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私のあいまいな語学力
ちゃんと英語の勉強を始めたのは青年海外協力隊に応募する時に TOEICなどの点数が必要だということで勉強を始めました、すごく覚えてます。
それまで料理しかしてこなくて、学生時代まともに勉強をしてこなかったツケがこんなところで出てくるとわって感じてました。(当時すでに33歳)
数ヶ月後、猛勉強の末なんとかギリギリ合格点に達して協力隊としていけることになりました、当時の点数 TOEIC345点。。 我ながら酷い点数です。
もちろんこんなに低い点数なので英語圏の国には行けるはずもなくポルトガル語が公用語の東ティモール🇹🇱に派遣されることになりました。
(自分としては言語にこだわりなく第一希望🇹🇱でしたが)
協力隊の訓練所ではブラジル人講師の方にみっちりポルトガル語を教えていただきました。 とはいえ勉強というものをやり慣れていない僕は一番成績の低い生徒でした。 みんなすっごい優秀でビックリです。
結局東ティモールではポルトガル語は全く使わず現地語のテトゥン語を勉強しながら生活してました。 (テトゥン語もある程度話せます)
東ティモールの人達との写真
東ティモール生活🇹🇱1年ぐらいした頃、この先も海外で働きたいと強く考え英語の勉強を始めました。(楽しかったんです、楽しそうでしょ)
私の中で世界が一気に広がりをみせた。
そこでさっそく当時住んでた家の壁に紙を貼って英単語を書き込んだりして、休日など付き合う人を東ティモール人を含め外国人多めにしました、それと並行して活動が終わった後、英語の語学学校にも通うことにしました。
(左の色白い人は先生みたいな雰囲気ですけど生徒です、ブラジル人なんです) ここには週2回1年近く通いました。
ここの東ティモールの語学学校が夏休み間はインドネシアの知る人ぞ知るスラバヤから1時間ほどの英語村に行ってました。 ここで3週間、ここでは英語あんまり上達はしなかったけど楽しかったです。
そして青年海外協力隊の任期が終わり、その後どうするか考えた時インドネシアのスラバヤのレストランでお話をいただいて就職試験に行ってきました。
この時にある程度自信を持って就職試験を受けれたのは日頃の地道な勉強のおかげだと思います。 日本語しか話せないとなかなか面接もできないですしね。 (まだまだ英語できないですけど)
とはいえここの華僑のオーナーさんとお話しさせてもらった結果、自分の中でちょっと違うなと思ってお断りさせていただきました。
楽しかったんですけどね。
今ではたまに日本に帰った時なんかは、気分は風天の寅さんです。
渥美清みたいな口調で帰ったよーってなもんです、
その後知り合いの公邸料理人さんにご紹介いただいて当時のアフリカ連合大使とご縁がありエチオピア に連れて行っていただきました。
エチオピアも公用語は英語じゃないんですよね〜
エチオピアの公用語はアムハラ語。
アラビア語みたいなイメージ
楽しく生活したいと思いアムハラ語の勉強も始めてました。
やっぱり多少なりの現地語が話せないとしんどいんです。
アムハラ語はほとんど喋れませんが
この人に週2回家庭教師についてもらって教えてもらいました。
これが僕の語学勉強の全てです。。
日本ではほとんど勉強してないです。
ここまでの話でお気づきでしょうけど、どの国も英語が公用語じゃない国なんですよね。。 だからじゃないですけど僕の英語は正直言って全然ダメです。(とはいえ日常会話程度なら可能なんですよね〜)
これがまた伸びないところです。
今現在TOEICの点数は345点です。
最初に受けてから一度も受けてないです、さすがにスコア上がってると思いますがコロナ禍だったりで帰国時に受けれなかったんです。
なのでまだ(中学卒業レベル)
我ながら酷い点数です。
そのうち語学勉強だけのためにどっか行きたいな、、とか妄想しながら
フィジーでも英語の勉強しなおさないとなと思ういながら、、
ダラダラ過ごしてます。。
また気が向いたら始めるでしょう。