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『海のはじまり』は何を描こうとしているのか

フジテレビ系列で月曜9時から放送中のドラマ『海のはじまり』。このドラマは、『silent』や『いちばんすきな花』の脚本家・生方美久の最新作である。

※この記事には、ドラマ『海のはじまり』の内容が含まれます。『海のはじまり』はFODTVerで配信中です。


あらすじ

東京の印刷会社に勤務する月岡夏(目黒蓮)には、化粧品メーカーで働く百瀬弥生(有村架純)という恋人がいる。ある日、夏は大学時代に付き合っていた南雲水季(古川琴音)が死んだことを友人の連絡で知る。水季の葬式で、夏は南雲海(泉谷星奈)という女の子と出会う。海は自分と水季の子どもであった。そのことを夏は水季の母・南雲朱音(大竹しのぶ)から聞かされる。確かに、水季は夏と付き合っていた時に妊娠したことがあった。だが、夏は水季から中絶したと聞かされていた。葬式の翌日、海は一人で夏の家にやってくる。海は水季といっしょに何度も夏の家を訪れていたという。海は夏に問う「夏君、海のパパでしょ? 夏君のパパ、いつ始まるの?」と。

筆者が作成

『海のはじまり』の、はじまり

『海のはじまり』は以下のようなシーンから始まる。

◯海
砂浜に寄せては返す波。
幼い子供(海)と女性(水季)が手を繋ぎ、波打ち際を歩いている。
打ち寄せる波を避けようとしてはしゃぐ2人。

水季「ほらほら……(波が)来るよ、来るよ、来るよ。」
海「どこから?」
水季「どこから? 何が?」
海「海。どこから海?」
水季「水があるところからじゃない? (打ち寄せる波を指差しながら)ここから。ここ。(波を避けながら)お~」
海「(波が引いた砂浜を指さしながら)ここ海じゃなくなった?」
水季「んー別にここからが海とかって、ないんじゃない。分かんないけど。海がどこから始まっているか知りたいの?」

うなずく女の子(海)。

水季「んー……。難しいなあ……」

2人が足を止める。女の子(海)が海の先を指さす。

海「終わりはあそこ?」
水季「あ~、水平線ね、あれは終わりじゃない。終わりに見えるだけで、あの先もずーっと海。
海「どこが終わり?」
水季「終わりはないね。ずーっと海で、その先に、また海岸があるの。ここみたいに」
海「ふぅ~ん」

(鼻歌を歌いながら)女の子(海)が繋いでいた手を離し、一人で先を歩いていく。その背中を追いかけ、歩き出す女性(水季)。
女の子(海)がふと立ち止まって振り返る。不安げな表情。
女性(水季)も足を止める

「いるよ。いるから大丈夫。行きたい方行きな」

女の子(海)が笑顔で頷くと、前に向き直り歩き出す。
その後ろ姿を見つめ、柔らかく微笑む女性(水季)。
女の子(海)と同じペースで歩いて行く。
水平線にタイトルが浮かび上がる。

タイトル「海のはじまり」

ドラマの映像と音と解説放送を元に筆者が作成

このシーンでは、海がどこからはじまって、どこで終わるのかについての母子の会話がかわされた。海は命を意味する。命はどこから始まって、どこから終わるのか、それは曖昧なものである。命が生まれる前には、妊娠があり、その前には性交がある。人が死んだあとも、その人の思い出は周りの人の中に残り続ける。そんなことを、この海のシーンは表しているのではないか。

2つの選択

このドラマは選択にまつわる話である。第1話では、2つの大きな選択が描かれた。1つ目は、妊娠した子どもを生むか、それとも中絶するかである。あらすじで書いたように、水季は夏に相談せず、中絶を決めた。しかし、実際には中絶しなかった。しかも、そのことを夏に告げていない。水季は、夏に別れを告げ、1人で子どもを育てることを選ぶ。水季は子どもに海と名付ける。そして、水季は海を残して、この世を去った。

2つ目は、海を誰が育てるかである。水季の母の朱音は、孫の海を引き取るつもりだ。そんな中、朱音は水季の葬儀で海の父親である夏に出会う。朱音は、夏に海が夏の子どもであることを伝えた。朱音は言う。「知らないですよね? 男の人は隠されたら知りようがないですもんね。妊娠も出産もしないで、父親になれちゃうんだから」。押し黙る夏に朱音は言う。「海の父親やりたいとか思わないですよね」と。夏は答えられない。「ですよね。分かってますます。押し付けようとしてるわけじゃないんです。水季が勝手にわがまま言って。一人で勝手に産んだ結果ですから。大丈夫です。ただ、想像はしてください。この7年の水季のこと。想像はしてください。今日一日だけでも」朱音は、夏にそう告げて立ち去った。

水季の葬儀の翌日、海は夏の家を一人で訪ねる。海は水季といっしょに何度も夏の家を訪れていたという。水季は自分の死後、海を夏に託そうとしていたのかもしれない。海は夏に問う「夏君、海のパパでしょ? 夏君のパパ、いつはじまるの?」と。夏は、海の問いにどう答えるのだろうか。結論は2話以降に持ち越された。夏の選択を、現在の恋人である弥生がどう受け止めるのかも気になるところである。

水季は自分で決める人

夏、水季、弥生の3人の選択に対する態度は異なる。水季は、自分で決める人だ。水季は、夏に妊娠したことを伝えたときに、すでに中絶することを決めていた。夏に別れを告げたときにも「夏に影響されて、自分の考えとか気持ちとか変わったこと一回もない」と言った。夏もそれを認めている。それでも夏は、「急に勝手に一人で決められたら心配する」「会って話そう」と言う。水季は、「急に勝手に一人で決めなきゃなんないときもあるんだよ」と返した。

水季が言った「急に勝手に一人で決めなきゃなんないとき」とは、どんなときだろうか。水季は病死であることが明らかになっている。この病気は、水季が中絶するのをやめ、子どもを産んで一人で育てるとの決断に関わっているのだろう。思えば夏は、親に心配かけないように名のある会社に就職したいと水季に話していた。面倒くさいことを避けて、波風を立てずに生活したいという夏の態度が、水季の選択に影響を与えたのかもしれない。

水季はある時、犬か猫か「コアラ」か「ハムスター」か「ウサギ」の中で好きな動物は何かと夏に問う。「南雲さんは?」と、夏に聞き返された水季は、「イルカ」と応える。選択肢になかったと返す夏に、水季は「選択しなかった他のあらゆる可能性から目をそらすな。自分で自分の選択肢を狭めるな」と言った。このように、水季は普通は思いつかないような、あらゆる可能性を考えたうえで、一人で子どもを産み育てることを決めたのではないか。そして、その子どもが、自分の死後、夏の元にたどり着けるよう、夏の家の場所を教えていたのではないか。そんな風にも思える。

夏は迷う人

夏は、たった2つの選択肢にも迷う人である。それは、夏が道に迷うシーンにも現れている。夏は分かれ道のどちらが正しいのか迷っていた。その足取りは自信なさげだ。夏の迷いは、水季との出会いにも現れている。夏と水季が出会ったのは、大学の山岳部の新歓コンパだった。水季は、一年生なら、ただでご飯が食べられる新歓コンパの中から、自分の好きな沖縄料理屋が会場の山岳部の新歓コンパに参加していた。一方、夏は友人に付いてきただけだった。

夏は自分で決められないことに悩んでいると水季に打ち明ける。けれども水季は、そんな夏を肯定する。「人に合わせられるのすごい」「自分より他人のこと考えちゃうだけでしょ?」と。夏の癖になっている曖昧な返事も、「『はい』か『いいえ』で答えられることなんてそんなにない」と受け入れた。水季に受け入れられたことから、夏は水季に惹かれていく。一方、人に合わせられないことに悩んでいた水季もまた、夏に惹かれた。

弥生は相手とともに決める人

弥生は、選択肢をできるだけ広げて、相手とともに、その中から一番いいものを選ぶ人である。弥生は会議室のシーンで、3種類の香水の試作品を示された時、その相手に選択肢を増やしてほしいと要望した。弥生は自分の意見を相手にはっきり伝える。

そんな弥生の性格は、夏との食事シーンにも現れている。弥生の夏休みがいつ取れるかという問いに、夏は「んー……」と、曖昧な返答をする。弥生は夏に言う。「その『うん』と『ううん』の間みたいな返事やめれる?」と。夏は、「うん」と答えた。続いて、休みが取れたときの行き先を聞かれた弥生は海を挙げる。「あー海ね」と再び煮えきらない返事をする夏に、弥生は山を提案した。このやり取りからは、弥生は、選択肢を最大限に探ったうえで、相手の意見を聞いて決める人であることがうかがえる。

曖昧な領域を描く

このドラマが描こうとしているものは、あるひとつの正しさではない。「はい」か「いいえ」では答えられない、「うん」と「ううん」の間のような、打ち寄せる波のように揺らぎ続ける、そんな曖昧な領域を描くのが『海のはじまり』だ。登場人物たちは、迷いながら、悩みながら、揺らぎながら自分の答えを見つけていくのだろう。脚本を書いた生方美久は、今回モノローグやナレーションを使わないと宣言した。登場人物の心情や、作者の意図を直接説明するものはない。『海のはじまり』で提示される答えのない問いは、それを見る私たちにも投げかけられているのだ。

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