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『海のはじまり』第7話 母性と父性の非対称性と津野の持つ無償の愛

フジテレビ系列で月曜9時から放送中のドラマ『海のはじまり』。このドラマは、『silent』や『いちばんすきな花』の脚本家・生方美久の最新作である。

※この記事には、ドラマ『海のはじまり』の内容が含まれます。『海のはじまり』はFODTVerで配信中です。

あらすじ

月岡夏(目黒蓮)は、海(泉谷星奈)と一緒に百瀬弥生(有村架純)のマンションへ向かう。到着後、手洗いうがいで洗面台に立つ海を夏が後ろから抱える。そんな2人の姿を見て、微笑む弥生。

弥生は下準備していたコロッケを冷蔵庫から取り出し作り始める。その様子を見て海は「コロッケって家でも作れるの!?」と驚く。海の母・水季(古川琴音)は生前、スーパーのお総菜のコロッケが安くなった時だけ買ってくれたという。その話を聞いた夏は、かつての水季と海の暮らしに思いを巡らせながら、コロッケを家で作るのはとても大変なんだよと海に話す。

弥生のコロッケを食べた海は「スーパーのみたい!おいしい!」と感激する。その後、夏が離席し海と2人きりになった弥生は、夏との暮らしはどうかと海に聞く。海は楽しいと答え、続けて「夏くん一人占めしてごめんね」と謝る。弥生は冗談交じりに、好きなのに会うのを我慢してしまう時もあるのだと話すと、海は水季もそうだったのかと聞く。そして、夏と水季はなぜ別れたのかと聞く海に、弥生は言葉に詰まる。さらに海は、水季と津野清明(池松壮亮)が交際しなかったのは自分がいたからなのかと弥生に問う。

その頃、南雲家では、水季の四十九日法要と納骨について話していた。朱音(大竹しのぶ)は津野に電話をかける。心の整理がついたら水季に会いに来てほしいと言う朱音に、津野は言葉に詰まり…。

海のはじまり - フジテレビ

母性と父性の非対称性

8月12日放送の第7話「いちばん近くで支えてくれた人」では、母性と父性の非対称性について描かれた。そのことは、次の弥生と津野の会話の場面に表れている。

◯道
駅へ向かう弥生たち。

津野「付き合ってどのくらいですか?」
弥生「3年くらい、です」
津野「春頃、月岡さんに会いに行ったそうです」
弥生「水季さんですか?」
津野「海ちゃん連れて」
弥生「え……。でも」
津野「会わずに帰ってきたって」

津野と弥生が立ち止まる。
桜の花びらが舞い降りる。
 ×    ×    ×
回想。
桜の花びらが舞い降りる中、アパートの部屋を見上げる水季と海。
玄関の扉が開いて、夏と弥生が出てくる。楽しそうに笑い合う夏と弥生。
水季がきびすを返して、海を引っ張って走り出す。
 ×    ×    ×
回想明け。

津野「アパートの前まで行ったけど、女の人と出てきたらしくて、それで会うの……会わせるの、やめたそうです。まあ、それは南雲さんの判断なんで。あなたが何かしたわけじゃないし」

津野が歩き出す。弥生も続けて歩き出す。

津野「南雲さん、そういう人なんですよ。そういうこと知らずに代理されるの、なんか嫌なので、言っておきます」
弥生「ありがとうございます。そういうの全部教えてください」
津野「なんでそんな一生懸命っていうか、必死なんですか?」
弥生「母親になりたいからです」
津野「立派ですね。すごいですよね、そういう女の人の、子供への覚悟っていうか」
弥生「性別関係あります? なんで子供の話になると途端に、父親より母親が期待されるんですか」
津野「すみません、イメージで物言っただけなので」
弥生「父性ってあんま使わないけど、母性ってみんな気軽に使いますよね。無償の愛みたいな。そんな母親ばっかりじゃないのに」

『海のはじまり』本編と解説放送を元に筆者が作成

水季は、海を連れて夏に会いに行ったことがあった。そのきっかけは、水季が病気であることを知った津野が、父親に知らせるべきだと言ったことである。しかし、水季は弥生と夏が一緒にいるのを見て、海を夏に会わせることを諦めた。

津野は、そのことを弥生に告げる。それは、水季の苦労を知らない弥生が海の母親になるのを許せなかったからだ。だが、弥生は「そういうの全部教えてください」と食らいつく。「母親になりたい」という弥生の必死さを、津野は性別と結びつけた。そんな津野に「性別関係あります?」と、弥生は疑問を呈する。母親は生まれながらに子供への無償の愛を持っている――そんな世間のイメージを弥生は否定した。

弥生の言うように、母性に比べて父性という言葉が使われることは少ない。
それは辞書の記述にもみられる。小学館デジタル大辞泉によれば、母性とは、「女性のもつ母親としての性質。母親として、自分の子供を守り育てようとする本能的特質」である。一方、父性の項目には「父親としての性質」とだけ書かれている。さらに、母性の用例として「母性本能」が示されているにもかかわらず、父性には用例が示されていない。まるで母親にだけ「子供を守り育てようとする本能的特質」があるかのようだ。

母性は本能ではない

同じ疑問は水季も持っていた。それは続く回想の場面に表れている。

◯図書館(回想)
水季「津野さん、何かお薦めあります?」
津野「でも、南雲さんが選んだものがいいと思うよ。母性の話だし」
水季「母性?」
津野「うん。母の日の展示でしょ」
水季「えっ……何ですか。母性って」
津野「うん? 何って?」
水季「無償の愛とかですか?」
津野「うん。言葉にするなら」

水季が首をひねる。

津野「えっ……? ごめん、気に障ったなら」
水季「子供を愛せない母親なんていっぱいいるのに、母の性(さが)って。それが無償の愛って……」

津野が水季をじっと見つめる。

水季「あっ……引いてます?」
津野「(首を小さく横に振りながら)そのとおりだなって」

『海のはじまり』本編と解説放送を元に筆者が作成

水季は母の日の展示にどんな選書をするか津野に相談する。しかし、津野は「母性の話だし」と、女性である水季が選ぶほうがいいと答える。津野の「母性」という言葉に水季は引っかかった。水季も弥生と同じく「母性=無償の愛」という考えに疑問を呈す。水季の言うように、子供を愛せない母親もいる。

母性は本能ではないという辞書もある。ブリタニカ国際大百科事典には、「母性は,本能的に女性に備わっているものではなく,一つの文化的・社会的特性」とある。つまり、母性とは文化的・社会的背景から生まれた特性であるというわけだ。さらに、「母性は,その女性の人間形成過程,とりわけ3~4歳ころの母親とのかかわりによって個人差がある」とも書かれている。これは、母性は成長過程によって個人差が生まれるということだ。

弥生は母親からの愛情を感じられていない。それは、第4話で描かれている(第4話の記事を参照)。弥生が1人で子供を産み育てるか迷っている時、弥生は母親に相談した。しかし、弥生の母親は、その相談をまともに取り合おうとしなかった。そんな母親を、弥生は夏に紹介できていない。

一方、水季は母親からの愛情を過剰だったと感じている。それは、水季が不妊治療の末に生まれたこととも関係している。事あるごとに、水季を産んだ時の苦労を話してくる朱音のことを、水季は「うざい」と感じていた。そんな水季には、子供が母への感謝を表す母の日の展示にどんな選書をするべきかわからなかったのだろう。

津野の持つ無償の愛

津野は周囲から見れば、ほとんど海の父親代わりであった。津野は海の面倒をよく見ていた。水季が忙しい時には海を保育所に迎えに行く。「付き合い始めたの?」。同僚の三島芽衣子(山田真歩)に問われた水季は否定する。「気持ち利用してます」と水季は答えた。

津野の水季への気持ちは恋心なのであろうか。それは明確には描かれていない。「俺、子供も彼女もいないし」。津野は確かに水季にそう言った。水季はこれを恋心の宣言のように受け取ったのかもしれない。しかし、これは海の面倒を見るのを手伝う時間があるという意味の言葉とも取れる。津野は、休みの日に呼び出されたとき、夏に同じことを言っていた。それは休みの日に時間があるから気にしないでという意味だろう(夏に彼女がいることへの当てこすりも含まれているのかもしれないが)。

「見返り求めてやってないでしょ」。芽衣子の言葉どおり、海と遊ぶ津野は、ただただ楽しそうだ。見返りを求めない愛、それが無償の愛である。その意味で言えば、津野の海への気持ちこそが無償の愛なのではないか。だからこそ、弥生と水季から母性への疑問を向けられたのは、津野だったのだ。

もし仮に、海を育てる人がいなければ、津野は進んで海を育てるだろう。子供も彼女もいない、休日は本を読むだけ。そんな津野も無償の愛を持っているのだ。無償の愛は血縁者だけが持つのではない。そんなことを『海のはじまり』は描いている。

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小嶋裕一
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