さんげつき
紀元前99年、北方の騎馬民族が漢(中国)を脅かしていました。北方の偵察と牽制のために派遣された、勇敢で優秀な武人・李陵は、わずか5千人の歩兵で善戦したものの、捕虜となってしまいます。
当時の武帝(皇帝)は猜疑心が強く、わがままな性格で、側近たちはイエスマンばかりでした。そのため、武帝の考えに同調して李陵を批判する者が大半でした。
そんな中、唯一李陵を弁護したのが、『史記』を編纂した司馬遷でした。しかし、司馬遷は武帝の怒りを買い、「腐刑」または死を申し渡されます。司馬遷は『史記』を完成させるという使命を果たすため、「腐った木は実を結ばない」と言われるほど屈辱的な腐刑を受け入れる決断をしました。
当時、刺青刑や鼻削ぎ刑、足切り刑(足を切断する刑)は廃止されていましたが、この腐刑だけは残されていました。男として、これほどの侮辱があるでしょうか。それでも司馬遷は、身を辱められながらも、中国の歴史上の人物たちを生き生きと描き出しました。その背景には、自らのこの苦難の経験が大きく影響していたのではないかと思われます。
一方、李陵本人もまた、数奇な運命をたどります。その詳細については、現代語訳されたこの本に詳しく記されています。一読をお勧めします。
この本には他にも『山月記』や『名人伝』を含む三つの短編が収録されており、いずれも傑作です。
著書:『さんげつき』
著者:中島敦
現代語訳:小島亮