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ある街の、バス停での出来事
バス停で待っていると、おばあさんに声をかけられた。
「クリニックで処方箋をもらいたくて、隣の住宅地からバスで来たのよ」
この場所は、都心部から鉄道で1時間ほど離れたベッドタウン。昭和の頃、多くの人が会社員として出世し、家を持つことがステータスだった。急激な地価上昇で都心部の家を持つことが難しくなり、家を買える場所はどんどん遠くなっていった。この住宅地は、おそらく業種や会社に関わらずかつて部課長クラスの人が住んでいるようで、似たような所得層が集まっているように思える。
「足が悪くて痛くて、大変なのよ。お医者さんに、プールで歩くことを勧められて、定期的に市営プールに通ってるの」
「そうですか」
「犬の散歩も難儀でね。犬の力が強くて、膝が痛んでとても辛いのよ」
「それは大変ですね」
犬の散歩は朝夕2回あり、ワンちゃんは外に出られる唯一のチャンスなので、尻尾を振って全身で喜びを表現する。しかし、その楽しみがこのお婆さんにとっては大変な苦労になっているようで、心から気の毒に思った。
しかし、大変なのはそれだけではなかった。話は続いた。
「今朝、3時に警察が自宅に来て、主人をパトカーで家まで送ってくれたのよ」
「へぇ、何があったんですか?」
「主人は認知症で、徘徊するのよ。深夜に家を出て、10キロほど離れた場所で歩いているところを見つけられて、保護されたの」
徘徊するのに、身分証明書を携帯していたのか、もしかしたら米軍の認識票のようなペンダント型の身分証をつけていたのかはわからない。しかし、これが初めてではなく、常習のような口ぶりだった。
「もう、歳だし、二人暮らしだから大変なのよ」
苦労話を他人事のように話していたが、明るい表情で語るお婆さんの外見からはその苦労はうかがえなかった。しかし、こうして話すことで少しは楽になったのだろうと思い、私も少し役に立てたのではないかと思った。
2022年、厚生労働省によると、認知症患者は443万人、有病率は12.3%。つまり、8人に1人が認知症という計算だ。現在はもっと増えているに違いない。
私も以前、認知症と診断された方と話したことがある。日常会話は普通にできるのだが、2回目に訪問したとき、どう考えても私のことがわかっていない様子だった。認知症は直近の記憶が消えるらしく、特に時間と空間の認識が弱くなる。
徘徊は、古い記憶が蘇り、「仕事に行かなければならない」と思い出して歩き出すが、いつもの目印の道を外れるとわからなくなり、歩き続けるという話を本で読んだことがある。
実際に本人から聞いた話ではないので真偽は不明だが、認知症の本人は認識力が衰える一方で、身近な人々の心労は計り知れない。
「8人に1人」ということは、身近な家族や知り合いも同じような悩みを抱えているに違いない。
認知症は進行性の病気で、進行を遅らせる薬はあるものの、一度発症すると寛解することはない。だからこそ、家族や介護者が長時間にわたり、その対応に苦労することになる。
この地域のほとんどの家庭がそうであるように、子供が育ち、家を出て独立すると、夫婦二人きり、もしくは一人暮らしになる。どちらかが介護や入院を必要とするかもしれないし、二人ともそうなるかもしれない。そう考えると、いくら将来の備えとしてお金を準備していても、すべてが思い通りにはならないものだと思う。このお婆さんも、真面目に生きてきたのだろうが、多くの苦労を背負っているのだと気の毒に思った。
だからこそ、今を大事に生きることが大切だと思った。不治の病を癒すという禅僧に師事したある方のエッセイに、その僧侶が「死ぬまで生きている。だからこそ、生きている時間を大切にせよ」というニュアンスの言葉が書かれていた。その方は、今を大事に生きたことで病を克服し、現在も元気に生きているらしい。人の人生には、ある種の覚悟が必要なのだろうと感じた。
「人生いろいろあって大変だけど、頑張らないとね!」
多分、ワンちゃんと、ご主人のために頑張っておられるのだろう。
バスが来たとき、私はお婆さんに手を差し伸べ、ステップを登るのを手助けした。そして、4つ目のバス停で別れた。
足を引きずりながら前に進むお婆さんの後ろ姿を見ていると、まるで重い荷物を背負っているように見えた。私は心の中で「どうか幸せに生きてください」と、心からのエールを送った。