見出し画像

『三宅雪嶺人生訓』一四

https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/933730/1/21

〇小成者流
 英雄時代去りて平凡時代来るとは、小成者流の口にすべきこと、血気の壮んなる青年が初めより平凡を以て居りては、九十里の半ばを往(ゆ)かんとして遂に十里にも足らざるに均(ひと)し。

『日本及日本人』、『三宅雪嶺人生訓』六頁

【現代語訳】
〇小成(わずかばかりの成功)者流
 英雄が活躍した時代が去り、凡人の時代がくる、というのは小成者(わずかばかりの成功をおさめた者)が口にすることである。血気盛んな青年がはじめから平凡にとどまっていては、九十里というほとんど終りまで来てやっと半分というところを、実際には十里にも満たないにことと同じである。

【補説】
「九十里~」の出典は『戦国策』巻三、秦・武王「『詩』に云ふ、百里を行く者は九十を半ばとす、と」による。
『詩』とあるが、現存の『詩経』には無い逸詩である。

意味は、何事も終わりの方ほど困難であるから、九分まできてようやく半分と心得るべき、最後まで気を抜くな、という箴言である。
雪嶺はそれをもとに、青年については半分でもない、僅か十里、一分とする。
それぐらい若者の安住や老成を厳に戒めた。

昨今、学生の海外留学者数は減少傾向にあるという。
いまだホワイト・パワー(人種的な意味ではなく、近代以降、アングロサクソンがつくった資本主義社会)のルールでゲームをしなければならない世界にあって、外の世界を見ずに日本のぬるま湯に浸かっているのでは、十里はおろか、一里も往くことはできまい。

実は高齢者問題よりも、若隠居の方が深刻なのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?