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『三宅雪嶺人生訓』二〇
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/933730/1/22
〇思ふには燈を仮らず(その一)
学而不思則罔、思而不学則殆(まなんでおもはざればすなはちくらし、おもうてまなざればすなはちあやうし)、読書するは即ち学ぶ者なるも或は思はざるの嫌(きらひ)なからず。学ばざるの殆けれど、思ふの必要をも認むべく、思ふには燈(ともしび)を仮らず月星を仮るの一層有効ならずや。ビスマルクは夜中単身犬を携へて郊外に出でしが、雄謀大略は実に此間に成りにき。(続く)
【現代語訳】
〇思索には灯りを頼りにしない(その一)
「学んでも思索しなければ真の理解とは言えず、思索しても学ばなければ独断的で危うい」(『論語』為政)。読書はその内容を学ぶものであるが、ときに自分の頭で考えないきらいがある。学ばないことは危険だが、思索の必要も認めなければならない。思索には机上の灯りを頼りにするのではなく、月や星明りを頼りにするのがより一層有効ではないだろうか。オットー・フォン・ビスマルクは夜中に一人で犬とともに郊外へ散歩をしたが、彼の雄大な計画は実にこの散歩中の思索の間にできた。(続く)
【補説】
読書は他人の考えを咀嚼するだけで、実際はそれほど自分の頭を動かしているわけではない。
自分の頭を働かせるには、机上よりも散歩が有効であることは、様々な角度から証明されている。
雪嶺自身も毎日散歩に出かけたという。
良いアイデアは頭を働かせているときよりも、体を動かしているときに、ふと降りてくる。