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「考える」とは何か?について考える
こんにちは。「無知」のムッチーです(笑)。
前回(第一回目)は、ショーペンハウアー(敬称略)の『読書について』を教材に、“自分の” 考え・思想を築くための第一歩を踏み出しました。
それは、パスカルのいう「人間は考える葦である」、すなわち
「人間は未完成で弱い存在(葦のようなもの)だからこそ、考えなきゃいけないんだよ。人間は唯一、考えるために創られた生き物なんだから。考えなきゃ人間じゃねえよ、あんた」
と、人間で在ることの “存在意義” を突きつけられた “覚醒” への一歩だったともいえるでしょう。
な~んて、ちょっとカッコつけて言ってみましたが(照)、そもそも、その「考える」って何よ?、ってことを、まずは考えなきゃね。
というわけで、とっとと本題に入りましょう(笑)。
「考える」ための教材
前回の記事で僕は、「考えるとは、心の運動である」と、自分なりに納得のいく言葉を引き出しました。ショーペンハウアーの力を借りて、ですけど
(苦笑)。
じゃあ、その「考える=心の運動」について、もう少し掘り下げて考えてみたいと思うのですが...
情けないことに、今まで “心の運動” をサボっていた僕は、足をくじいて、これ以上は自力で歩けないような思考状態です(汗)。
なので、その手がかりとなる教材として、若松英輔さんの『考える教室』という本に、助けをお借りしたいと思います。
「考える」とは、どんな心の運動なのか?
この本の中で作者は、「考える」意味についていくつか言及していますが、個人的に「これだ!」と思ったのは、次の一文です。
「考える」という営みは、個において問いを深めることです。
-若松英輔 『考える教室 第3章』より-
この「 “問いを深める” とはどういうことなのか?」については、詳細に書かれてはいません。「読者自身で考えてね」と、問題提起しているのでしょう(たぶん)。
そう捉えて、ムッチー流に勝手な解釈をさせていただきますと、
「問いを深める」とは?
目の前にあるテーマの「大本(おおもと)の原理・原則」を発見するために、「それは何か?」「なぜそうなのか?」「じゃあどうすればいいのか?」といった、意味や疑問を問い続け(掘り下げ)ていくこと。
- by ムッチー -
なのではないかと思います。
であるとしたら、考えるとは、
地中に埋もれたお宝(原理原則)を見つけ出すために、土を「掘っていく」ような “心の運動”
とでも表現すると、少しはイメージしやすいでしょうか。
「問いを深める」とは?
では実際に、今、定義した「問いを深めるとは?」というテーマについて、もっと掘り下げてみましょう。
ここでは、「なぜ?」という疑問だけを使って、問い続けてみます。
問いを深めるとは、
あるテーマについての意味や疑問を問い続け(掘り下げ)ていくこと
↓
ではなぜ、意味や疑問を問い続ける(掘り下げる)の?
↓
そのテーマについての「大本(おおもと)の原理・原則」を発見したいから
↓
なぜ、原理・原則を発見したいの?
↓
ホントウのことを知りたいから
↓
なぜホントウのことを知りたいの?
↓
ホントウのことがわからないと不安だから
↓
なぜ不安を感じるの
↓
自分の生命(いのち)が大事だから
↓
なぜ自分の生命(いのち)が大事なの?
↓
自分はかけがえのない存在だから
↓
なぜ、かけがえのない存在なの?
↓
一人ひとりみんな個性が違うから
↓
なぜ個性が違うの?
↓
人間が生存していくために必要だから
↓
なぜ生存が必要なの?
↓
それが人間(を含めた生物)の根源的な “欲求” だから
↓
では、なぜ...(このへんでやめときます)
以上、あくまで単純な例です。「なぜ」だけを問い続け、テキトーに答えを考えてみただけだったりして(苦笑)。
それでも、こんな感じで問いを掘り下げていくと、「問いを深める」というテーマの “ホントウの意味(らしきもの)” が見えてきますね。
その答え(らしきもの)を、個人的に納得のいく言葉でまとめると、こうです。
「問いを深める」とは、「ホントウのことを知ろうとする、人間の根源的な欲求」である。
なんかホントウっぽい答えになった(笑)。
もちろん、この結論は、誰もが納得する正解(ホントウのこと)ではありません。
というか、この結論が正解(ホントウ)かどうかなんて、誰にも証明しようがありませんよね。こんな即席ではなく、もっと深く考え抜いて検証しまくって、答えを導き出したとしても。
そもそも「ホントウ」って何よ?って話です。
※この問いについては、次回のテーマにしようと思います。
「哲学」とは?...
『考える教室』でも、作者は次のように結論づけています。
※言葉の “断片” だけをお借りして、引用させていただきますm(_ _)m。
「考える」という営みには終わりがない
(中略)
哲学に答えなどない。
-若松英輔 『考える教室 第2章』より-
『考える教室』の中でいう「考える」とは、問いを深めること、言い換えれば「哲学する」ということ。だけど哲学しても(いくら問いを深めても)、永遠に答えは出ませんよ、と言ってるんですね。
まるで、走っても走っても、ゴールにたどりつけないマラソンのようなもの。いや、いくら恋い焦がれても、掴(つか)むことのできない “彼女のハート” みたいなもの、といったほうがいいでしょうか?(笑)。
「うわぁ、切ないわ~(T_T)」
それでも、
自分にとって「哲学とは何か」考えていきたい。もっと言えば、
どうすれば、自分の中にいる内なる哲学者を目覚めさせることができるのか
を考えていきたいのです。
-若松英輔 『考える教室 はじめに』より-
と、作家や思想家は、哲学し(=知を愛し)続けるんですね。
いったいなぜ、ゴールもないのに走り(哲学し)続けるのか?
なぜ、“愛されることはない” とわかっているのに、愛し続けるのでしょうか?
考え続ける(問い続ける、哲学する)意義とは?
『考える教室』で作者は、“哲学の意義” について、次のように示唆しています。
生きるとは、「魂」の世話をすること、魂を磨くことにほかならない、
というのがソクラテスの、そして、その言葉を構成に残したプラトンの動かない信念です。
哲学とは何かを考えることは、「魂」とは何かを考えるのに等しい、とソクラテスはいう。ですから、もし哲学の原点に立ち戻りたいと思うのであれば、「魂」とは何かを考えてみなければなりません。
-若松英輔 『考える教室 第1章』より-
「魂」って、なんとも掴みどころのない抽象的な概念ですよね。“彼女のハート” のように(笑)。
はて、「心」や「精神」と、どう違うのでしょうか?
「魂」の意味を考える前に、まず「心、精神」について定義してみます。
※辞書に訳されている意味は無視して、僕のイメージで訳すと、こうです。
「心」とは、人間を構成する、肉体(形として見える有形物)とセットになっている、 無形の(形として見えない)もの。
人間をコンピュータに置き換えると、イメージしやすいかと。
コンピューター(人間)=ハードウェア(肉体)+ソフトウェア(心)
「心」は、感情や気持ちや思考や意思などの “機能” を持つ。その機能は、コンピュータよりはるかに “複雑で高度で、かつ、いいかげん” である(笑)。
「精神」も「心」とほぼ同義である。
-by ムッチー-
その、心の “機能” を生み出す「核」になるもの
それが「魂」だと、僕は思います。
だとすると、人間の「魂」とは “心の核” です。
心の核とは、言い換えれば、純粋な「心根」のこと。
「心根」とは、人が本来持っている性質です。
「魂」の意味をそう解釈したうえで、『考える教室』で述べている
生きるとは、「魂」の世話をすること、魂を磨くことにほかならない
という警句の意味を読み解くと、
「魂」の世話をする、とは?
↓
考え続け問い続ける(哲学する)ことである
↓
考え続け問い続けることで、魂は磨かれる
↓
魂を磨くとは、すなわち自分の「純粋な心」を見出すことである
↓
それは、本来の自分(本性)を掘り起こすこと
なのではないかと。
つまり、考え続ける(問い続ける、哲学する)意義とは、
自分を掘り起こすことで、本来の自分を取り戻す営み、だということができないでしょうか。
「考え続け問い続けてこそ、本来の自分を取り戻していける。それが、人が本来 “生きる” ということである」(by ムッチー)
↓ つづく ↓
今回、得られた気づき
以上、「考える」ことについて、『考える教室』の力を借りて考察してみましたが、
「考える」ことにゴールはなく、どう考えたって正解はわからない。
その “悩ましさ” と共に、「頭に汗をかく」ことで得られる “高揚感” も、ほんの少しですが、体感できた気がします。
恋愛で片思いをしているときの、あの “切なさと胸のときめき” にも似た、「生きてる実感」みたいな。
今回、「考えるとは、本来の自分を取り戻す営みなのではないか」と、
一応、結論づけてみたものの、この結論自体が重要なのではなく、
この言葉を “自分なりに導き出した” ことが重要なのだと思いました。
答えが重要なのではなく、プロセスが重要なんですね。
そんな感じで、まずは当面、できるだけ “自分の言葉で” 語れるよう、思考のプロセスを積み重ねていきます。稚拙であろうと、とんちんかんであろうと(笑)。
この「“自分の頭” で考える」ことの意義についても、また別の機会に書く予定です。
その前に、「考える」ことの意味について、もうひとつ取り上げたいテーマがあるので、さらに頭に汗をかこうと思います。
「切なさを、生きる躍動感に」できる “プロセス” を楽しむために、
そんな、自分の「魂=純粋な心」を見出していくために!...
最後まで、読んでいただきありがとうございました!m(_ _)m。