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やっぱりブルース・ウェインが一番ヤバい。映画感想『THE BATMAN ザ・バットマン』(2022)



この記事は『THE BATMAN 』のネタバレを詳細に含みます



≪予告≫

クリストファー・ノーランが手がけた「ダークナイト」トリロジーなどで知られる人気キャラクターのバットマンを主役に描くサスペンスアクション。青年ブルース・ウェインがバットマンになろうとしていく姿と、社会に蔓延する嘘を暴いていく知能犯リドラーによってブルースの人間としての本性がむき出しにされていく様を描く。両親を殺された過去を持つ青年ブルースは復讐を誓い、夜になると黒いマスクで素顔を隠し、犯罪者を見つけては力でねじ伏せ、悪と敵対する「バットマン」になろうとしている。ある日、権力者が標的になった連続殺人事件が発生。史上最狂の知能犯リドラーが犯人として名乗りを上げる。リドラーは犯行の際、必ず「なぞなぞ」を残し、警察や優秀な探偵でもあるブルースを挑発する。やがて政府の陰謀やブルースの過去、彼の父親が犯した罪が暴かれていくが……。「TENET テネット」のロバート・パティンソンが新たにブルース・ウェイン/バットマンを演じ、「猿の惑星:新世紀(ライジング)」「猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)」のマット・リーブス監督がメガホンをとった。 
                 出展  : https://eiga.com/movie/92523/





≪ネタバレなし感想≫





 公開から一か月くらいたったけれども、ユナイテッドシネマ豊洲にてようやく鑑賞!

 バットマン映画としては比較的珍しい”まだ活動歴の短いバットマン”をロ バート・パティンソンが演じる今作 (バットマン・ビギンズとかもあったけれど) 。まだまだ市民への認知度は低いし、現場改めてたら警官から「何だこの変態コスプレ野郎はーっ!」とか言われて追い出されそうになっちゃう。悪人はビビッて逃げ出すけど、悪人に襲われてた人もビビって逃げ出しちゃう。アルフレッド (アンディ・サーキス)とは色々あってギスギスしちゃうし、裏表なく協力できるのはゴードン警部 (ジェフリー・ライト) くらい。そんな若手ヒーローが一人前になるまでを描く、オリジン映画だ。

 今作のバットマンは怖い。バット一族に違いなくステゴロは異様に強いし (もしかしたら実写バッツの中でも一番の武闘派なんじゃないだろうか?) 、短機関銃くらいならバットスーパーアーマーで受け止めて、ものともせずにバットタックルしてくる。地面にぶっ倒れててもマウントポジションでバット不殺パンチを連発するし、脅しの一環で胸倉つかんで壁に押し付けたら亀裂が走る。

 そんなバットマンの前に立ちふさがるのが、緑タイツのジム・キャリーから随分とカッコよくなっちゃったリドラー (ポール・ダノ) 。このリドラーも怖い!バッツが目前の暗がりからヌっと出て来て、無言で殴りまくるのに対して、リドラーは背後の暗がりにスーッと立ってて、興奮した息を漏らしながらやっぱり殴りまくる。動のバッツに対して静のリドラー……と見せかけて、一連の事件を沈思黙考して推理するバッツに対して、リドラーは忙しなく動きながら物を言う。二人は共通する要素が多い一方で、対比は徹底的なように思える。

 ブルースはリドラーの事件を追う中で、ゴッサムの闇を駆けるキャットウーマン=セリーナ (ゾーイ・クラヴィッツ) 、闇に潜むカーマイン・ファルコ―ネ (ジョン・タトゥーロ) 、そしてアルフレッドの語るウェイン家の闇と対峙する。そして最後に直面するのは……自らの闇、バットマンという形で復讐を出力し続けた己自身だ。

 未熟なヒーロー……にもなり切れない仮面の暴力マスクマンが、最後にはヒーローとしての確かなアイデンティティを見出して、市民に認められて、自分自身を受け入れる。そういう点で、本作は紛れもないヒーロー映画であり、バットマン映画であったと思う。

 僕自身の感想を言えば、3時間の長尺でも最後まで退屈することなく、面白かった!ダークナイトの様に派手派手なテロ映像が連続するわけではないが、押さえるところではしっかり派手に爆発するしてくれるし、容赦のないアクションはシーンごとに演出も凝っていて飽きさせない。口下手で不愛想なように見えるブルースはその実、客席からは何を考えてるか丸わかりなあどけない少年で、見ていると微笑ましくなってくる。そんなブルースに振り回される……様に見えて、よくよく考えると自分から暴走バット自動車のアクセルを踏んでいるゴードンや、そんな二人にシメられ続けて爆発炎上するバットモービルにやったぁ!ざまぁみやがれくそったれ!なんて燥いだり、見終わるころにはすっかり萌えキャラになってるペンギン(コリン・ファレル)。画面を彩る人物たちもノワールなゴッサム市街の中で表情豊か、終わるころにはすっかりこの世界が好きになっている。

でもゴッサムに住もうとはこれっぽっちも思わない。

それと、見終わった後バッタラング型のペーパーナイフ買いに行ったら売り切れていた。どうしてなんです。どうして……。



以下ネタバレありの感想になります。

気持ち悪い文章ので、それでも気になる人だけ読んでください。





以下の記事は『THE BATMAN 』のネタバレを詳細に含みます





≪真面目な考察≫





まず、この映画について感想を残そうとすると『モンテ・クリスト伯』『虎よ、虎よ』『ニンジャスレイヤー』とフォーカスする先を変えてきた復讐譚についての話であったり、ビル・フィンガーから始まってグラント・モリソンとかジェームズ・タイノン四世まで解釈を変えていくバットマン存在概念だとか、いくらでも書けてしまうので、とりあえず『THE BATMAN ザ・バットマン』劇中で語られたヒーロー観について集中して書こうと思う。

改めて、ブルース・ウェイン/バットマンの構成要素とは何だろう。

ゴッサムの誇るウェイン財団の御曹司、慈善家にしてプレイボーイ(最近はこのプレイボーイ設定が活用されてることが少なくてちょっと悲しい)のブルース・ウェインは、実は、両親を殺された過去から自らを恐怖の対象として悪党たちに刻み込み、犯罪撲滅をもくろむ自警団員、バットマンなのだ!

そんな感じだろうか?

そんなことを思うと、本作におけるバットマンは映画が始まった時点で既に「悪党に恐れられる恐怖の象徴、バットマン」を確立させている。オープニングが空に輝くバットシグナルを見て、悪党たちが暗がりを恐れて逃げ出すというシーンから始まるのだから、まさしくここがスタートライン。

一方で、町の名士にして慈善家ブルース・ウェインとしてはどうだろう?てんでダメダメだ。オープニングで悪党ぶん殴ってバットケイブ(現代舞台だってのに秘密基地にコウモリ多数!糞害とか大丈夫なんだろうか?)に帰ったら、アルフレッドに「いい加減ウェイン家として会計士にくらい面通ししなさい」とか言われちゃう。アルフレッドだけじゃなく市長候補のリアルさんにも「お父上は慈善家でした、あなたは?何もしてませんよね?」なんて直球で言われちゃう。そしてそれは裏を返せば、父トーマスから受け継いだウェイン財団の責務から、目を背けていることの証明だ。

ストーリーが進んでいけばより具体的にその様が表される。中盤、リドラーの正体を追うブルースとゴードンは父トーマスが設立した孤児院跡へたどり着く。中を探索してみれば物音……すわリドラー!あるいは与する何らかの何かか!?と思って警戒してみれば、何だ、ただのドラッグ中毒者の集いか……無視して進んだ奥には、市長選に臨むトーマスとアヴェマリアをうたう孤児院の子供たち、当時のニュース映像を映し出すプロジェクター、そして「父の罪に子が報いる」との赤い文字……。

このシーンはリドラーのオリジンを仄めかし、ブルースへ父の罪なるものを意識させ始めるストーリー上重要なシーンでもあるが、同時にブルースの行う活動がヒーローというには不完全で、盲目的だと明示している。リドラーという犯罪者を追うブルースたちは、ウェイン家の慈善基金として設立されたはずの孤児院跡にドラッグ中毒の若者が屯してても気にしやしない。直後にトーマスが設立した救済基金によるものだと明かされるのだから。ブルースが継いだ筈の遺産……トーマスの果たせなかった責務からも目を背けMr.復讐なんて独善的なことに現を抜かしてる現状を痛烈に皮肉っている。

 何を隠そう、リドラーはまさしくトーマスが延ばした蜘蛛の糸 (ワイヤーロープくらいの太さはあったと思うけど)の先にいて……糸の太さしか見てなかった連中の身勝手な利権争いの前に、見向きもされずに見棄てられた人間だった。究極的には、彼らが見捨てられたのは社会構造によるものでもなければ、行政システムでも、ましてや共同体からつまはじきにされることでもない。偏に、人々の””無関心””によってであるということを、他でもないブルース・ウェインその人が示し続ける。後に明らかになることだが、リドラーの職業は法廷会計士、ブルースは会計士との面会すら拒んでいた。


ブルース・ウェイン/バットマンはいまだ独善的であり、盲目的。

そして、それは対応するエドワード・ナッシュトン/リドラーも同じだ。


 物語の終盤。リドラーの計画した爆破テロにより堤防が破壊され、ゴッサムを濁流が襲う(絶対に住みたくないよこの町)。町はパニック状態、市長候補のリアルさんが演説していたスタジアムに、避難を求めて人々が雪崩れ込む。だが、その梁の裏にはリドラーに賛同する者たちが武装して潜んでいて……

 当然、無差別な洪水被害なんて引き起こしたら、真っ先に犠牲になるのは下層階級の市民や、ゴッサムという町から見捨てられた、幼き日のリドラーのような人々だ。ナッシュトンにそれが分かっていないはずもない。どこまでもブルースと対比される彼もまた、無関心への復讐故に、一面へ盲目的になっていて。それを理解したうえでアヴェ・マリアを熱唱し、「見捨てられた孤児院の子」という唯一のアイデンティティにしがみつき、シニカルな舌戦を繰り広げていたのだろう。

 セリーナによるファルコーネへの復讐とその顛末、そしてブルース自身と同じく、自らを””復讐””だと名乗ったリドラーたちによる、自分達を見捨てた全てへの復讐。銃で撃たれ、自らへ薬剤(エピペンとかアドレナリン?)を注入し、人を殴り、ブルースが己を見つめ直す一連のシーンが図らずも、ナッシュトンが面会室で語った孤児院での境遇、そしてリドラーとしての犯行をリフレインさせるのも面白い。

 ブルースはしがみ付いた蜘蛛の糸、へその緒めいたケーブルを、自らの意思で切断し、胎児姿勢で水へ沈み、また起き上がる……ベタすぎるほどの演出で産まれ直しを果たしたバットマンは瓦礫に埋められた市民へ手を伸ばす。怯えたままの彼らの中で最初にその手を握ったのは、他でもない葬式でのリドラーの襲撃の時、バットマンではない、ブルースが咄嗟に……自己犠牲的に庇った市長の息子だ。彼に手を握り返された事で、まさにブルース・ウェインが抱えていた情動と、今のバットマンの姿が重なり合う。人々の進む道を拓き、自分も胸まで水に漬かりながら、赤い発煙筒で彼らを先導する。オープニングからずっとブルースを照らしていたレッドアラートの赤色は、夜明けの赤い灯に変わったのだ。

 最初のシーンじゃ、のそのそ夜の暗がりから出てきてギャング殴って市民にも恐れられていたMr.復讐も、最後は朝日の元で市民を救助し、不安を和らげようと腕にすがりつかれるまでになる。そうしてようやく、ずっと降っていたゴッサムの雨にも、ほぼ接触する至近距離で爆発した首輪爆弾にも傷一つつかず、汚れ一つもない、文字通りの鉄面皮だった素顔 (顎) が、泥に塗れることが出来る。

 一連の騒動を締めくくったニュースは「リドラーと名乗る団体によるテロリズム」でも「テロリストを鎮圧した謎のマスクマン」でもなく「市民の救助に協力する覆面の自警団」。人々が当然に持っている、無関心と対になる、誰かを助けようとする普遍的な良心こそがヒーローだというのが『ワンダーウーマン1984』でも語られたように、この映画の謳うヒロイズムとは悪党をブン殴るMr.復讐でも、一方的に市民を助けて怖がられるマスクマンでもなく、人々に寄り添われ、寄り添える存在なのだろう。

 マントの十字軍にして悪党ぶん殴る復讐の暴力装置であるバットマン。ウェイン財団の跡取りにして咄嗟に子供を庇っちゃうような慈善家のブルース・ウェイン。その二つの根源にある、弱者のための火を灯せる、善性を以ってようやくゴッサムの騎士たるヒーローに相応しいのだと。





≪真面目じゃない感想≫





 本作で描かれているのはブルース・ウェインがヒーロー・バットマンを確立させる話だ。僕はバットマンのストーリーは、ブルース・ウェインのストーリーであり、二人は不可分であるというバットマン像がどうしても取り去れない。いやまぁ、当然フラッシュポイントから輸入されたトーマス・ウェインだったりビヨンドのテリー・マクギニスだったりもいるのだけれども。ともかく、僕にとっては二つはイコールであって、どちらかがどちらかの仮面をかぶっているわけでは断じてないと思っている。そういう訳で、どちらか片方では不完全で、どちらも素顔であってこそバットマンたり得ると結論付けたこの映画が、僕は大好きだ。

 基本的に、登場人物の中で一番やばいのがブルースだというのも徹底していて良かった。境遇から行動、眼鏡だけ露出してるマスクと顎だけ露出してるマスクとデザインまで対比されているバットマンとリドラーだけど、内面に関して言えばどう考えてもブルースの方がヤバい。リドラーは会計士の立場から救済基金の真実にたどり着いたのだろうけど、そのままじゃファルコ―ネ筆頭に闇権力者に握りつぶされて終わり。なのでバットマンを利用した……と本人が言っていたけど、要するにバットマンの存在ありきなのだ。じゃあブルースが何でバットマンなんて名乗って悪党ぶん殴り始めたかといえば、間違いなく本人の自発的な行動であって……もっと言えばリドラーはカーペットの工具なんて使って、推理の果てに見られる事を前提に床に模様を描くけれど、ブルースは唐突に部屋のカーペット引きはがしてスプレーで推理を整理しだす。当然誰かに見られようとか劇場型な思惑なんて全くない。当然の行動として床に描き始める。ヤバい。

 現代を時代背景としたバットマン解釈としても良かった。本人の気質はともかく、ギャングの親玉として悪いことしてることの多かったジョーカーを、社会的ムーブメントへの強力なインフルエンサーとしての解釈を与えたのが『JOKER』だったのだけれど、こっちでは時代設定はだいぶ古くて70~80年代くらい。2020年代が舞台な『The BATMAN』だと、ブルース本人が「俺は意図せぬ影響を与えていた」と語るように、インフルエンサーとしてのバットマンも描かれている。ダークナイトくらいの時代だとYouTubeとかmixiとかいろいろ含めても、いや通り魔的に悪党殴ってるだけじゃ犯罪なんて減るわけなくね?と思ってしまうと、もうそこで終わりだったり、そこに町一つ包むものすごい劇薬を投入して強引に達成させたのが『バットマン アーカム・ナイト』だったりしたのだけれど。TwitterとかTikTokとか、手のひらをポチポチすると情報の洪水がワッと出てくる現代だと、割と何とかなる気がしてくる。というか結構何とかなりそうなくらい影響を与えてたのが本作だ。そう考えると、リドラーの造形には、意図された「時代遅れ」があると思う。劇場型犯罪決行!途中までめっちゃ上手くいった!最後の最後でヒーローに阻止され全部台無し!みたいな悪役はヒーロー映画ではお決まりな感じがあって、リドラーもまさしくそれだ。リドラーの場合、リドラーチャンネルなんて作って内輪で爆弾の作り方シェアしてワイワイやってたりした。そいつらみんな仮装してライフル担いでくるんだから現代的な犯罪の成り立ち……に見えるが、「連続テロ事件」で済まされて終わり。情報の流れが速くなった現代では、一つ話題に残るデカい事件をやってアーカム送りにされるより、むしろ継続的に悪人ぶん殴ってるバッツの方が効率的なのかもしれない。

 結局のところ、バットマンもリドラーも自分の目的に対するアプローチを間違っていて、けれど、ブルースは自身の抱えていたよりプリミティブな思いをリドラーと市長の息子を通して見つめ直せたからこそバットマンとして成立した……というのがこの映画の筋だと思う。じゃあリドラーは?というと無関心から自らを認めさせようとする思惑は失敗したのだけれど、そこは人生万事塞翁が馬、取っ捕まった上に世間は最恐の知能犯リドラーは世間にはスルーだけれども、いたじゃないか隣の房に自分のことを認めてくれる上にアドバイスまでしてくれる友人兼切り札のスマイルフェイスが……。

 もう蛇足になるけれど、本作は演出の面と過去のバットマン作品を意識しまくってると思う。終盤のスクエアの天井枠組みからリトラーズをドンドン吊るしていくアクションなんてまんまゲームのアーカムシリーズだし(個人的には梁から降りてきて、銃を向けるリドラーズの一人にチャージをかける部分が非常にアーカムシリーズっぽく感じた、なぜだろう?)、セリーナが汚職警官つるしたらワンちゃんが走り去っていくのもティムバートン版のシーンと構図をかぶせてるし、リドラーの作ったお前のトーチャン口封じに記者殺させたんですよー!!!!なんて暴露映像にはでかでかと「HUSH」なんて表示させて、挙句、口封じされた記者の名前はエリオット……息子の名前がトーマスなんでしょう?ブルースは同じような境遇の……父を亡くし、遺体の第一発見者となった市長の子をガン見し続ける。

 しかし、最後、浸水した町を眺めてペンギンがイキイキしだす演出は劇場で小さく笑ってしまった。

 水を得た魚ならぬ、水を得たペンギン、と……。



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あとこれは僕が書いた民衆を導くバットマンの像。

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