らしさとは

「女の子らしく」「男らしく」

こういうことをよく言われてきた人生だと思っているんだけども。

「大人なんだから」とか言われたり、最初に書いたような性別らしくをどんどん言われるようになって思ったこと。

「らしく」っていったい何なんだろう?

例えば女の子に「もっと女の子らしくしなさい」ってちょっとおかしいのではないだろうかと思う。

女の子というものは、スカートをはいて、レースのフリフリがついた服を着て、お花に水を与えながら笑顔で皆に「ごきげんよう」とでも発してないと女の子として成立しないものなのか?

男の子というものは、絶対泣いてはいけないし、困っている女の人を見つけたら助けないといけないし、弱いものをいじめている人がいたら倒さないといけないし、半そで短パンで走りまくっていないと男の子ではないのか?

らしくもなにも、たとえ女の子が半そで短パンで弱いものいじめをしている人を助けたって、男の子がスカートをはいて清楚に笑顔で「ごきげんよう」と発したって、女の子は女の子だし、男の子は男の子なんだよ。

そもそも、女だとか男だとかじゃなくて、その人自身らしくあれば良いのでは?

私の両親はきっと真面目なのだろう。

私は、私の性別に合った服を着るべきだし、性別にあった言葉遣いをすべきだし、性別に合った行動をすべきと教えてくれていたのだ。

もちろん、そうしておけば誰も私のことを笑わないし、馬鹿にしないかもしれない。

でも、そんなことで人を馬鹿にするような人間に理解されようなんて私は到底思っていないのだ。

実際、親に言われた「らしくしなさい」でよく悩んだ。

最初は、私は異性の性別になりたいタイプの人間なのかと思った。

でも、服装や髪型で異性に間違われることがよくあった時「なんか違うな」と感じた。

嫌ではないけど、しっくりこない感じだった。

大人になって、周りが性別を結構意識してくれるんだと気づいてから、建前上自分の性別に合った動きにできるように徐々になっていった。

それでも、違和感を感じる部分はあるし、非効率だなと思うこともある。

でもその非効率さを効率的だと信じている人のほうが多いし、性別通りに動くことがそこまで難しくもないので、うまく利用しているようなイメージ。

それでうまくいく職場は良いが、たまにうまくいかない職場もある。

年配の人が多いと、やはり自分の持つ性別に対し、その人のものさしで何かしらを押し付けられたりもする。

それも仕方ないんだと思うけど。

そういう教育や、時代だったんだろう。

許すとか許さないというより、そういう時を生きてきたのならそういう価値観を持ってしまっても仕方ないんだよ。

多分私は人と少しずれた価値観の部分があるし、それが本当にコンプレックスだった時期もある。

なんで私はみんなと同じ感情にならないんだろう?

なんで私はみんなと同じものを求められないんだろう?

直そうと自分なりに色々努力してみたつもりだけど、どうしてもしっくりこない。

今の時代は、ネット、SNSがあるから本当に良かったと思う。

検索をかけたらいっぱい情報が出てくる。

それを見て、あー自分もこんな感じなんだなーって。

同じように悩んでる人もいるんだーって思うと、少しほっとしたり。

だからこそ、今の時代の人間だから気付けるものがあって、時代が少し違うだけで価値観がものすごく違ったりする。

きっと少し前の時代なら、私のような人間はこんな風に自分の気持ちを発信することなんてできなかったし、発信したとて見てもらえる人は限られていたはず。

そう考えたら、良い時代に生まれたなと思うし、自分の価値観を否定されたって、どっかに仲間がいるんだなーって思えるから、割とどうでも良く思えちゃうんだよね。


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