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「漁業の人手不足」は誰の感想ですか?

これからこの認識のズレを可視化し、必要な解決策を考えていくための頭の整理です。私の備忘として書き残します。
駄文です。走り書きです。でも知ってほしいことでもあるのでnoteに書きます。
ここに書くことは、事実と推測が入り混じっていますので、引用はご遠慮願います。


信じてやまない「担い手不足」を疑う

漁業の世界でよく言われる「担い手不足」。漁業生産の現場を見ても、統計を見ても漁業就業者数は年々減少しており、高齢化も進んでいるのは確かで、誰もが担い手不足に悩んでいるものと、私も疑わなかった。

大学で勉強しているときも、漁業政策に関わっているときも、広報をしているときも、漁業の大きな課題の一つとして必ず出てきた。特に漁師はその課題にとっても悩んでいるに違いない!と思っていた。

ところが、昨年から沿岸漁業の漁師である父にくっついて半分中の人として動き回っていると、おやおや?と思い始めてきた。
担い手不足ですごく困ってるのは、本当は誰なんだ?と。

体力や人手に合わせて伸縮自在な沿岸漁業

60代になった今の私の父を見ていると、40代のバリバリの頃とは全然違う働き方をしている。
私が原風景として思い浮かべるのは、船にシラスやオキアミの籠を満載にして入港してくる我が家の船。一日数十万円と稼ぐ漁業(たぶん腕の良い漁師さんはもっと稼いでいたのかも)。
父が60代になった今、あのころとは違った漁師の姿を私に見せてくれる。以前のようにスピードや体力が必要な漁法はあまり選ばなくなったが、刺し網や籠漁等、若いころは「冷やかし程度だ」と言っていたような漁法をメインで行うようになった。一度に数十万も稼ぐような漁業ではなくなったけど、子どもたちが成人しバリバリ稼がなくてもよくなった今、父にとってはこれで十分なのだ。
それが悪いことだとは全く思わない。むしろ、年を重ねても自分の力で稼ぐことができる沿岸漁業の柔軟性に感激している。

そして、そんな姿からは「人手不足」はそれほど感じない。今ある人手で、今の体力でできる範囲で漁師を続けているという感じだ。
たぶん自分ができなくなったら廃業して引退すればよいと思っているぐらいだと思う(本当は私に引き継いでもらいたいのだけど、、、(笑))。
父と同じ規模の高齢の沿岸漁業の漁師さんたちを見ていると、大体そんな様子に見える(内心はわからない)。

と、ミクロな視点に立つと、この地域で大多数をしめる小型船の高齢の沿岸漁師に関しては、一人ひとりの経営体としてはあんまり困っていないようだし、そこだけ見ていると「担い手対策って何のためにやるんだっけ?」と思ってしまう。

誰が「担い手不足」で困っている?

一方で、自治体の担当者や漁協の職員さんたちとお話をすると、やはりこれまでの私のように「担い手不足が課題」だと、とても深刻になっている。

では人がいなくて困っているのはいったい誰なのか?

聞こえてくる範囲で推測するに、例えば底引き網漁業等人を雇って数人で操業するような、少し規模が大きい漁業では「人手」を欲している。

じゃあ、「担い手対策」は、中規模・大規模な漁業だけに講じれば良い?

どうやらそういうわけでもないっぽい。

「担い手対策」と声を上げている、自治体や漁協も困る人たちだろう。漁業の担い手が減って生産量が減れば、裾野の産業にも影響し、地域経済へも打撃を与え税収が減るかもしれない。また、組合員が減れば漁協も機能しなくなる(漁協がなくなると共同利用施設や産地市場がなくなって困るのは漁師だけど)。水産業の根底である漁業生産の縮小が地域に与える影響は計り知れない。想像しきれない。そう考えると、数の力がある小規模な(本人たちは困っていないような)漁師さんたちも、減ってしまっては困るのかもしれない。

ちなみに、小規模な漁師の中でも、20代や30代ぐらいの沿岸の若手の漁師たち(いわき市ではかなり少数派だが)と話していると、稼ぎが大きい漁法、例えば協業制の漁法や、船団を組んで魚影を探す必要があるような漁法(まさに父が年を取ってやらなくなったような漁法)にはやはりそれなりの数の仲間(同業者)が必要で、そういう漁ができなくなると漁業収入が減り困ってしまうという。つまり、地域から同じ規模の(小規模の)漁業経営体の数が減ってしまうと困ってしまう。

あまり困っていない漁師がカギを握っている

なるほど。

じゃあ実は、”小規模で高齢”だけどそれなりの解決策(望んでいる方法ではないかもしれないけれど)を持っていて、一経営体として「担い手不足」でどうしようもないという状況ではないように見える(うちの父のような)漁師たちが、担い手対策のカギを握っているのではないだろうか。

彼らは圧倒的に人数が多く、こでまで蓄積してきた道具も技術も持っている。
今高齢化で一人一人の生産力は落ちているかもしれないけど、息子・娘や後輩たちに生産力を託す力を持っている。
彼らはとても大切な、地域の財産ともいえる存在だ。
それに気づいてほしい。本人たちに。そして、その財産を後世にも残してほしい。

どうしたら気づいてもらえるのだろう

特にめちゃめちゃ困っているわけでもなくて、自分の生業に満足し、自分の代で全うするつもりでいる方々に、「あなたがこの地域で漁師でいてくれることが、とってもありがたいことなんです」、つまり「あなたが廃業することが、地域にとって大きな痛手なんです」ということを伝え、納得してもらうにはどうしたら良いのだろう。「どうかその技術と船を、地域の財産として次の世代に引き継いでください」と伝えたい。

少なくとも、まずは「担い手対策」を掲げる人たちが、誰がどんなふうに困っているのかを知ることからはじめないと。
それから、どんな状態がこの地域にとっての「担い手が足りている状態」なのかを示されたい。
何人の漁師がいて、船がどれだけあって、どんな規模の経営体がどれぐらいいて、水揚げ量と金額がどれぐらいだと、この地域はオッケーなのだろう(案外誰もその青写真を描いていない。発信もしていない)。

困っていない漁師たちが、困っている漁師や関係者たちのために骨を折るインセンティブは、「担い手不足で困っている」という言葉をぼんやり宙に浮かせているだけでは見えてこない。

漁師と言う仕事は「食料生産」を担っていて、地域の経済や文化を支えている、と言うことを、私は全漁連というステージで働いて初めて知り・実感した。漁師の娘、漁家の一員という視座では気づかなかった。
という私自身の体験がヒントになっている気がする。

とにかく、小さくとも動き出しています。


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