やらないことが、救いを生む
現在55歳のわたしが、義理の両親のお世話を始めたのは、もう10年くらい前。
はじめは、料理をするのがめんどくさくなった義母に、手料理の肉じゃがとかきんぴらとか少し手のかかる料理を作って、近くに住む義両親の家に持っていくことがきっかけでした。
いつからか義母は、家事をほとんどしなくなり、義父か作り始め、そのころからは、1週間に1度ほど2人分を2食分ぐらい3品作って持っていく日々。
好き嫌いもあるし、やわらかいものしかダメで、これがけっこう大変でした。
その後、義母は転んで足腰が極端に弱くなり、地域包括センターに私が助けてと連絡しました。
まず、家の玄関やトイレに手すりをつけてもらい、そしてリハビリ型のディサービスに気が乗らない義母を見学に連れて行きました。
義母より若くてスムーズに歩ける健康な方がたくさんいるのを見、施設の方からの運動をしないと寝たきりになるという脅しと、お昼ごはんのごちそうに釣られ、はじめの頃は義父の送り迎えで半日だけ過ごし、そのうち1日ディサービスで過ごすように、、、
そのとき、義母は要支援2。
現在は義母は要介護2、義父は要支援1になったのですが、詳細は省きますが、それまでいろいろなことがありました。
あることをきっかけに私は、義理の両親との関わりを一切断つことになります。
関係を断つ直前は、ケアマネさんやヘルパーさんとの話し合いも義理の両親と関わるスタッフの方々と一緒に会議に毎回参加。
私が自主的に参加したのではなく、義父から電話がかかってきたり、ケアマネさんから電話がかかってきたりで、仕方なく、、、(ケアマネさんには、夫に電話してくれるよう、連作先を変更したのですが、ディサービスの専属の方に代わってまた私に電話がくるようになってしまいました)
以降ディサービスからの苦情で、ケアマネさんから毎日のように私に電話がかかってくるようになりました。
その苦情というのは、、、
粗相するので、リハビリパンツを持たせてほしい。
冬なのに、夏物の服を着ている。
など、、、
その度に、リハビリパンツを買いに行ったり、義母宅に行って服を整理したり、肌着とかも買いに行ったり、、、
1人でディサービスに行く用意するのが難しいようなのでヘルパーさんに朝ディサービスの用意を頼んだりしました。
あれこれ私が奔走している中、義父はヘルパーさんやケアマネさんが勧める宅配弁当を強固に拒否。
ディサービスが3回になって、ばあちゃんがおらんようになってまったと言ってみたり、、、
そして、これだけ奔走しているのに、まるで、私が悪いようにいうのです。
認知症だいうこともあるかもしれませんが、、、
お弁当は取らず、わたしが毎日義父を買い物に連れて行けばいい、ヘルパーさんに頼らず私がやればいい、と義父は少し遠回しに当たり前のように言います。
今は昭和か?! というような無茶苦茶な要求に、わたしはへこたれて、ストレスで心臓がドキドキするようになってしまいました。
もちろん、いろんなことを夫に抗議、その頃両親のことは一切やらなかった夫は話を半分聞いて私を非難するようなことをいいます。
結果、私は離婚を覚悟し、嫁に行った娘の部屋に寝室を移し、家庭内別居をしました。
2週間ぐらい、一切口を利きませんでした。
心療内科のドクターから、もう介護は夫にまかせて関わらないこと、とドクターストップがかかりました。
その旨を夫が義理の両親に言ったらしく、それ以来私は義理両親宅に行っていません。
ケアマネさんからの電話もすべて夫に回します。
ばっかみたいに、楽ちんになりました。
義理の両親に関わることがなければ、夫に文句やグチをいうこともありませんのでギスギスした感じもなくなりましたし、夫も別段両親をほったらかしで、世話する気配ありません。
ケアマネさんからも電話がかかってこなくなりました。
なーんだ、べつにこれでまわっていくなら、これでいいじゃん!!
夫は仕事があるから私がやらなければと懸命にやっていたあの時のわたしは何だったのだろうと、今思います。
病気までならなくては、離婚まで考えなくては、介護を放棄することはできなかったかもしれませんが、今になってバカバカしくて仕方ありません。
読んでくださって、ありがとうございます。尻尾を振って、喜びます!!語彙を深めるために、本の購入に充てさせていただきます。