めいそう日記Ver3~Day43(+1000):言葉にすると自分がわかる
1. 瞑想小咄~言葉にすると自分がわかる
お久しぶりです。最近は週に数回の投稿になってしまったものの、いつも「スキ」を押してくださる皆さま方に心から感謝しております。継続するうえで、誰かの心の支援は本当に大切なことだとあらためて感じる今日この頃…。
とはいえ、これまでにも綴ってきたものの、最近は本業が非常に忙しく、家に帰ったらなかなか文章を書く気力が湧かなくなってしまっているのも事実。また、ちょうど8月から勤務体系が変わって、出勤時間が30分前倒しになったというのも、noteを書く時間を捻出できなくなってしまったことの理由のひとつでもある。
そう考えると、実にちょうどいいタイミングで記事投稿1000回を迎えたものだなとあらためて思う。
文章を書く機会や、自分で何かを言葉として生み出す機会が少なくなってしまったものの、その状況になっているからこそあらためて気づくこともある。それは、自分の心の状態について。
言葉にすることで自分の心の状態を保っているという感覚はこれまでにも持っていた。例えば、何かもやもやとしたものを抱えていることがあったときは、日記に書きだすことによって、それを過去のものにすることができていた。言葉にすることで、「現在」を「過去」にする心の切り替えができていたということだ。
最近気が付いたのは、言葉にすることによって自分の心の状態を客観視できるということだ。特に表れやすいのは俳句。短い文章だからこそ、自分の状況をよくよく知ることができる。
ありていにいえば、心に余裕がないときは適当な俳句を作ってしまうということだ。ちゃんと自然や世界に向き合うことができていないというか。そのための余裕がないというか。そうすると、自分の内側から生まれる言葉が貧弱になってくるような感覚がある。相手の心を動かすことができないような、力のない俳句になってしまう。そんな感覚がある。
去年の今頃は、我ながら俳句のコツをつかみ始めた時期で、結構いい俳句が作れていたように思うのだが、最近は自分の心とちゃんと向き合うことができていないからか、ありきたりな俳句になってしまっているような気がする。そうすると、当然人から選んでもらうことができない。
自分らしさとはなんなのか。自分の感覚で世界をとらえることによって、独自性を俳句の中に生み出すことができる。それが持ち味のはずなのだが、中途半端に俳句に心を傾けていると、自分の持ち味を生かせない、適当な俳句になってしまう。こんな感じで、言葉にすることによって、自分の心の状態を客観視することができることに気づいたのだった。
瞑想もそうだが、やはり自分が今どのような状態にあるのかを客観的に知ることが、生活や自分の心を変化させていくための第一歩になるのだと思う。仕事は仕事、趣味は趣味。それぞれにちゃんと心の状態を切り替えられるようになると、どちらも充実した取り組みができるようになるのではないだろうか。
そんなことを俳句からあらためて学びつつ、自分の成長につなげていこう。そんなふうに思うのだった。
2. 今日の瞑想~2024.10.29 Tue 6:20~(10min)
火曜日の朝。最近疲れが溜まっているからか、やや風邪をひいてしまったようで、昨晩は早めに寝ることにした。多少なりと、楽になりつつあるような気はする。
今日の瞑想音楽はこれ。
姿勢を整えて座る。今日はあれこれとやるべきことが頭の中に湧いてきた。最近、本当に忙しいから、無意識的にいろいろと考えてしまっているのだと思う。今回は思考を止めてもすぐに雑念が湧いてくる感じ。致し方なしか。
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