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大人になるまでの障壁①

結び手は“ここに産まれたから“という人生の諦めを排除することがミッションです。そんな中で、日々教育の機会を提供したり、生活の支援をしています。

実に多くの、世界中の、民間企業やNPOなどがこうした課題に様々な角度から解決に向けてアプローチしています。なぜか?

言うまでもなく、「教育が一人一人の生きるために、幸福のために、また地域や社会と様々なコミュニティを創っていき発展させていく上でも必要不可欠なものであるから」という見方もあれば、「どんなにやっても課題が山積みだから」という見方もあります。「貧困」が単に一つの原因から生まれてくる単純なものでもないから、そういった実態もあります。

教育を提供するまでが簡単ではない

一口に教育と言っても、今の時代、学校教育を代表とする基礎教育からリカレント教育という学び直しの領域と様々です。ただ、全ての根幹は基礎教育からであり、もっと言えば一般に学校と呼ばれる施設に通うまでの家庭内での教育も極めて重要な機能を果たしています。

ここで重要なのが、「機会があれば教育は平等になるか?」という問いです。そして、その答えは明確にNOです。恐らく、これは国家のあり方が根底から変わったとしても、根本的には不可能な話なのです。

こうした話は、こと日本においても想像には容易いです。もちろん、日本においてはご存知の通り義務教育というものがありますが、日本国憲法第26条第2項では「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。」と規定されています。よく読むと分かる通り、保護する子女に教育を受けさせる義務があり、この義務が課せられているのは詰まるところ親もしくは保護者とみなされる者になります。つまり、子どもたちが教育を受ける権利とそれを担保する義務が親に課されているものの、裏を返せば親がその義務を果たさない、もしくは果たせないなどのことがあればその時点で「皆が当たり前に受けるもの」ではなくなってしまうのです。そして、今の日本社会やインド全土、いや世界中にそうした単に教育機会を設けるだけでは解決し得ないたくさんの課題と落とし穴が潜んでいるのです。

つまり、例えば日本においても子どもが小学校に通い始めるまでに、また通い始めたあとも、綺麗な設備があり、優秀な教員が豊富におり、必要な教材や筆記用具も揃っていたとしても、家庭での虐待やいじめ、様々な要因が目の前にある機会すら阻むこともあるのです。

未就学児を取り巻く課題

そこで、今回は学校に通う年齢になるまでの子どもを取り巻く課題をいくつかご紹介します。それに先立ち、まずは時系列的に子どもを見てみるとします。

まず当たり前の話ですが、この世に命を授かりこの世界のどこかに生まれます。そして、2歳ごろまでにその子どもの個人として自我が芽生え始めます。幼稚園や保育園に通う年齢になるとともに周りのお友達や色んな人との会話、交流、遊びを通じて徐々に社会性が芽生え始めます。そうして自分自身の主張や社会との交わりを徐々に知ってきた頃に、ようやく学校に通い始める。これが日本においては平均的な過程です。

生まれた場所、家庭による格差、こればかりは何があっても変えることのできないものです。ただし、その後の運命にも残念ながら大きく左右します。

この一連の過程では、子どもに複雑な意思や判断できるだけの能力、ましてや何かに抗うことのできる能力は全くと言ってありません。そんな中で、日本でも時折悲しみニュースを目にすることもあると思います。「パチンコ屋の駐車場に置き去りにされて…」と言うものや、「泣き止まないから叩きつけて…」と言うもの、最悪のケースでは生まれて間もなく命を失ってしまうこともあります。また、虐待や親の精神疾患、極度の貧困などで子どもが親の元を離れてしまうこともありす。

日本の乳児院・児童養護施設の実態を見てみる

厚生労働省調査をもとに結び手事務局で編集
厚生労働省調査をもとに結び手事務局で編集

例えば、日本においての児童養護施設や乳児院の入所者は数は長期トレンドで見ると横ばいです。しかしながら、ここには近年積極的に導入されている里親制度や障害者施設などは含まれておりません。また、子どもの総数が減少していることを鑑みると、その割合は年々増加していると言えます。児童養護施設に限ってみると、約7割に近い原因というのが虐待によるものです。そうした背景事情を抱えた子どもたちが背負うのは、目に見える傷もさることながら、心に深く刻まれた見えない傷の方がより深刻であることすらあります。心理的な貧困を抱えつつ、無論、経済的な貧困状況とも切っても切り離せない生活を余儀なくされ、その後の選択肢がどうしても狭まってしまうことが往々にして起こり得るのです。望んだけれどもお金が…というのはそれもまたごく一部で、最初から進学することが選択肢にないことのほうがむしろ大半かも知れません。

もちろん、そのような家庭環境にいなかったとしても、学校での人間関係や様々な悩みから学ぶことを遠ざけてしまうこともあります。

インドの場合は数も原因も実態もすべてがより深刻

さて、どうなっているか?
これをある程度マクロで見たいものの、実態がわからないこと、それそのものが課題です。あらゆる国連機関が総力をなしても、なかなかその正確な実態や統計というのは完全な状態では揃っていないことが残念です。もちろん、政府の統計はもっともっと脆弱です。

例えば、孤児とされる数は一説によると3000万人とも、5000万人以上とも言われており、実際の数は極めて不明確です。広大な土地故に孤児であることを認知されない統計外の人々が多くいるわけです。親のいない子どもという日本にある程度馴染みのある課題もあれば、例えばUNICEFが発表する世界子ども白書2023では、2021年に5歳未満で死亡した数が苦いことに世界第2位(1位はナイジェリア)であり、その数なんと852,000人とされています。この数ももちろん、”最低でも”という注釈はつくでしょう。貧困を背景にした医療、衛生的な課題もあれば、虐待や酷使によるものもあると思います。1年のうちにそれだけの子どもが人生を考える自我を確立するまでにこの世を去るのは何とも心苦し話です。

課題はさらに地域にもよりますがもう少し複雑かつ多岐にわたりです。インドに限らずとも子どもを労働力と捉える貧困地域においては同様のことが言えます。ある程度意思疎通ができるようになれば、しつけや家庭教育ではなく、その日その日を生きるための食い扶持の手段として、時には物乞いとして、時には手伝いとして、時には見せ物として…。また、最も最悪と言えるのがそもそもこの世に生まれてくることすら許されないケースです。インド特有とも言えるのがこれに係る女性蔑視の文化です。インドにおいては出生前の性別診断が禁止されており、これは女の子であることが分かると中絶する(させる)ケースが今なお後を経たないからです。禁止されているにも関わらず違法な手段でそれを何とか事前に検知するわけです。

なぜ女の子が?それは大きく2つ、1つは女の子は結婚の際などにお金を用意する必要が出てくるため支出を増やすもの、つまり単なるコストとして捉えられていること、2つ目が社会的背景を反映した女性蔑視の社会。端的に言えばまだまだ生きづらい構造が各所に見られます。もちろん、都市部においては解消しつつあるものの、とりわけ農村部などではこうした悪しき風習が今なお残り、まともな人権すら与えられないこともあるのです。

もう一つ特徴的なものが、人身売買です。インドはこの人身売買の送出国でもあり、受取国でもあり、また中継国でもあります。ネパールやバングラデシュなどの近隣国とそうした闇取引をすることで、ブラックマーケットが出来上がっています。これに親が加担し、生活のためのお金を得るという構図も何とも心苦しく悩ましいものです。そして売り飛ばされた子どもたちは、多くの場合は売春宿などに入れられ、同じく一切の人権なき人生を過ごすわけです。

言うまでもなくこうした環境要因は多かれ少なかれ子どもたちのその後の人生にも、人格の形成にも影響します。そして、これらは全て子どもたち本人には何の悪気もなければ、それを避ける権利すら専ら認められないのです。

結び手では今後、こうした実態をミクロレベルで調査し、実態を報告書としてまとめていきたいと思います。

学校や機会があるだけでは足りない

これらが機会があったとしても足りないとするごくごく一部の理由です。国がどれだけ発展しても、善意の社会福祉がどれだけ機能しても、解消しきれない課題もまだまだあり、“学ぶ”までの道のりは意外と遠いものです。言い方を変えれば、“学べること”自体が決して当たり前ではなくすでに贅沢なものでもあるのだと思います。だからこそ、社会は皆でこうした課題に対して日々知恵を絞り、動き続けなければ、多くの選択肢のない子どもたちを取り残し、取りこぼしていくのです。そして、往々にしてこの現象は負のスパイラルとなり連鎖的に次の世代へと継がれていってしまうのです。

もちろん、インドやその他の新興国たる国々では、こうした現象が当たり前に存在します。しかし、何も経済的な、政治的な発展途上の国々だけでなく、私たちが住む日本でも、もちろん北米や北欧においてもこれらは一定数存在します。里親のような制度が整っている国もありますが、残念ながらそれもまた悲しい実情の裏返しでもある訳です。 

とは言え一方で、私たちが身勝手に線引きしてしまったり、親から引き離してしまったり、不幸だと決めつけてしまったりすることもエゴなのだと思います。だから何とも難しい…。社会でそれぞれの役割を担い、何かを変えようとしている、良くしようと願って動いている人たちと共に、悩みながらも「こうすれば少しは未来が明るくなるかも」と少なからず信じてやっていく中で、様々な方たちとの協力関係、信頼関係というのがとても大事で尊いのだと思います。

Written by Tatsuya

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