結局わたしがやっていたのは、「民主主義を小さく体感して実践すること」だったのかもしれない
Nordfyns Højskole滞在記、これでやっと終わりです。全部は書ききれていないけれど、自分にとってアウトプットしたことが一つの区切りになった気がしているので、また書きたいことが出てきたら追記しようと思います。
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結局わたしがやっていたのは、民主主義の練習
学校のタームも終わりかけのころ、ふと、この3ヶ月間わたし何やっていたんだろう?って思ったんですよね。
授業とか生活とかイベントとかエクスカーションとか、いろんなことを経験してきたけれど、結局いろんなことを通して「民主主義を小さく体感して実践すること」をやっていたんじゃないのかなって思ったのです。
あるとき、授業でLEGOを使ったワークをやったのですね。
2つのチームに分かれて、一つのチームには完成したLEGOが、もう一つのチームには必要なパーツだけが置かれたLEGOが置かれています。完成品を目の前にしているチームが、言葉でそのつくり方をもう一つのチームに伝えていく、というシンプルなワークでした。
後半は自分たちでルールをつくるというワークもあったのですが、これってすごく比喩的なワークだなって。
途中の行動だけで見ると誤解を生むこともあるけれど、本当は、お互いがめざす目標だったり目的があるはずなんですよね。そこを両者でクリアにしてはじめて、歩み寄りが始まっていくんだなって思いました。
そして、うまくいくために必要なルールを自分たちで決めていくこと。その目的を達成するために、役割分担をしていくということ。
これって社会をつくっていく練習みたいじゃない?って思いました。
デンマークでは、保育園・幼稚園からこういう民主主義のプロセスを学ぶ環境があるのだそう。小学校からが義務教育で、そこからが学問の場所っていう考え方は日本と同じだと思うのですが、デンマークにおける保育園・幼稚園は社会を学ぶ場であり、「民主主義のプロセスの土台づくり」として捉えられているのだそう。
彼らは、幼稚園の頃からこういう経験をしているんですね。どんなに小さくても、先生が介入するのは力関係が不平等なときだけ。それ以外は基本的にこどもたちの中で解決させるということをやっている。
これって「その人の中にある力を信じられるから」ですよね。
小学生の社会科の授業では、人にあえて順番をつける授業もあるそうです。
ある危機的な状況で、一人ずつしか救出できないとしたら、誰から救出するか順番に指名しなさいっていう問題。しかも、その救出対象者は国も年齢も職業もステータスもまったく違う人たちなのです。
1つの問題を通して、いろいろな価値観をすり合わせて、自分たちが考える最適解を見出す。そのうえで、それを周りの人たちにも納得してもらうために説明するという授業なんですが、命の順番をつけるってめちゃくちゃ難しいし、そもそも多くの人があまり話したことがないことだと思います。
でも、文脈によってが判断が変わる、意見をすり合わせする中で、自分の価値観に気づくという経験をさせるっていうことに意味があるんだそうです。
これ、ヨーロッパにおいて、めちゃくちゃ大事なことなんですよね。この教育のかたちは、やっぱり環境が生み出したものな気がしました。
元麹町中学校の工藤先生も言っていたけれど、第二次世界大戦を経て、「これだけ科学技術が進歩してしまったら、もう地球は滅びるな」って一番早く気づいたのがヨーロッパの人だったんだそうです。
ずっとずっと戦争をしてきて、いろんな民族や文化がぶつかってきた場所だからこそ、それを対話の力で合意していくことをめざし、教育を通してそれらを実現していこうって思ったのがヨーロッパだったんだよって話してくれたんですよね。そのときのことをふっと思い出したのでした。
話し合うことって民主主義のファーストステップなんですよね。だからこそ、実践を通して対話力を身につけ、磨いていくということに意味がある。
その意味がなんとなくわかった気がしたし、シンプルにプロセスをまとめるとこういうことなんじゃないかなって思いました。
日本だとサイレントマジョリティーというか、「無言の賛成」みたいな人たちが多くいると思うのですが、ここでは「賛成であっても自分の意見をきちんと述べること」が求められるのですよね。そのうえで、議論の場で決まったなら、それが自分の意見と違うものであったとしても、全力でサポートしていくんだよ(陰で文句言うのなしね!)っていうことを教わりました。
民主主義の考え方って、フランス革命に由来するんですね。周りの国を含めて王室はいつ自分がどうなるかわからないと危機感を持ち、そこから国民にパワーを与えようとなって、国民との共存を考えるようになった。
実はデンマークの王室は、フランス革命の1年前に国民に自由を与えていて、だからこそ今でも国民に敬愛されているのだそう。そういう歴史が、今のデンマークのフラットな感覚を支えているんだなって思いました。
自分のcomfortableをあきらめないこと
わたしたちのタームで、一人けっこう気質の激しい生徒がいて、同室の子とか大丈夫なのかな? っていう話が上がったことがあったのです。
そのとき先生が語ってくれたことが、まさにフォルケホイスコーレの学びの象徴であり、わたしたち日本人が学べることがありそうだなって思ったので、そのことについて書いておこうかなと思います。
日本人って、先生の介入を待っているところがあったりする。というか、学校内の問題解決は、先生の役割でしょって思っていませんか?
けれど、本当は「自分のcomfortable」をちゃんと理解して、それが犯されたときには自分で主張できないといけないんです。
まずは、自分の心地よさの条件や範囲を知ること。そうすれば自分のご機嫌は自分でとることができます。そして、それが犯されたときには、自覚的になれます。相手にも、自分の求めることをきちんと伝えることができます。
その上で、相手がなぜそうなっているかにも目を向けること。自分が見落としている要素があるかもしれないということを頭に置いて、それらを対話を通して、見つけていくことが大切なんですよね。
両者が実現したい目標を確認し、自分が妥協できる部分は妥協して、お互いの納得解を見つけ出すこと。目的も、その状況の裏側にあるものも、2人の間の解決策も、結局は「話し合う」という土台がないと始まらないものなんですよね。
もし自分の力だけで解決できないなら、第3者の力を借りること。それが友人でも先生でも、何かの機関でもOK。フォルケの先生たちが「唯一滞在している時間」に対してお金が支払われているのはそういう意味もあるんだよって言われました。
勝手に周りの人が「問題」をつくり出すのは違うよっていうことなんですよね。ちなみにコミュニティ全体に影響があるときは先生も動き方を考えるので、ほったらかしというわけではないです。
何かのプロジェクトをスタートアップする
わたしは経験していないのですが、秋タームのSOSUでは”FUTURE WORKSHOP”というのを授業で行うそうです。
これは、なんらかのプロジェクトをグループでスタートアップする、というもの。それまで学んできた民主主義の対話プロセスを使い、自分が果たすべき役割を見つけて、みんなで実行してみるということだと思います。
これまでに出てきた、肉体的・精神的・社会的・文化的な側面において、グループのメンバーそれぞれが大切にしたい価値観を抽出してみる。その上で、それが現実と照らし合わせたときにうまくいっているのか? うまくいっていないとしたら、どんな解決策が考えられるか? ということを話し合いながら、自分たちにできることを見出していくという作業。
ちなみに、ルールはこれだけなんだそう。
決められたメンバーで、何ができるかを考えること。うまくいかない理由を、人や場所のせいにしないこと。その上で、いつ・どこで・誰が・何をやるまでの戦略と、それぞれの期間におけるコミットメントを決めるというワークなんだと教わりました。
結局は、それを実現するプロセスの中に、対話が生まれ、共通言語が生まれ、理念への深い理解が生まれてくるということ。
会社とかチームってそういうことだよなぁと思ったし、社会人になる前にこういうことが経験できる場所がもっとあったらいいのになぁとも思いました。(学校のプロジェクト学習とかってここまでやっているのだろうか? わたしが知らないだけかもしれないけれど)
デモクラシー・フィットネスという言葉があるように、民主主義で国をつくっていくには国民にもそのスキルが求められるんですよね。プロジェクト学習だけでなく、コミュニケーションというテーマ一つとっても本当はスキルとして学ぶ機会がもっとあってもいいんじゃないかなって思いました。
すべては自分たちで創り出すことができる
わたしが滞在していたとき、生徒たちがメインになってつくるイベントが2回あって。
1つは、PEOPLE'S FUTURE LAB FESTIVAL。デンマークにある10のフォルケホイスコーレと、そのパートナー校が全世界から集まって、自分たちが果たせるSustainabilityについて考えるイベントでした。日本からも陸前高田のChange Makers Collegeが来ていたけれど、ケニアやメキシコ、インドのフォルケホイスコーレからも人が来てました。
メインサブジェクトが、World Camp Nordfynsを受講している生徒たちが1週間かけて準備してくれたイベントで、わたしは最後の発表の日に行っただけなのですが、すごく活気ある1日で、お天気も良くて、ロケーションも最高で、めちゃくちゃいいイベントでした。
全然違う学校の人たちと、フォルケホイスコーレの歌でつながれるのとかめちゃくちゃ圧巻でした。
そのとき思ったのは、教育ってめちゃくちゃ大事だってこと。そして、「自分の力で何かを変えられると信じられる力」を育てることが教育の一つの役割だなって思い出したのです。
ウクライナから来ている子がスピーチしていて、
やっぱり、ヨーロッパっていろんな人種や文化が入り混じる場所だからこそ、自分の国や文化、そこに住む人をリスペクトする姿勢が日本よりずっと強いんだなって思いました。それが一つのアイデンティティなんですよね。
ここでも、「フォルケは人生のための学校で、自分自身であること、そして自分が社会の一員であると知ること」が学びだよっていうメッセージが繰り返されていました。
もう一つは、NORDFYNS FESTIVAL。
3日間かけて、学校全体を会場にデコレーションして、地元の人や学生の家族たちを招くイベントでした。
バーを運営するチーム、スイーツをつくるチーム、会場設営チーム、こども遊びエリアなどに分かれて、みんなで準備したのですが、これ、めちゃくちゃ楽しかったんですけど、計画性なさすぎてめちゃくちゃ大変でした…
ほんと、0からよくここまでつくったなって思いました(笑)
でも、わたしたちだけで、こんなお祭りが1つつくれちゃうんだなって。なんか、こういう感覚忘れてたなって思いました。
ギリギリまで本当に開催できるのか不安すぎたけれど、当日はゲストを呼んでトークセッションが開催されたり、アーティストさんのミニコンサートがあったり、こどもコーナーや飲食コーナそれぞれが盛り上がっていて、すっごく楽しい雰囲気の空間が生まれていたんですよね。
そして、つくっているわたしたちが何より楽しかったのです。よく考えれば文化祭みたいなものなのですが、こうやってみんなで一つのものを創り上げるのってやっぱりいいなーって改めて思いました。
ちなみにこのイベントは今回初開催だったのですが、自治体の協力と運営基金で500名以上の来客を実現してました。広告費よりも人のつながりの中で集まる場所があるのって、なんだかいいなって思ったのでした。
フォルケホイスコーレは体感する場所、定義する場所ではない
最後のSOSUの授業で、「この場所はどういう場所だった?」って、Momoyoさんがみんなに聞いたんですよね。
いい感じにバラバラで、でも言いたいことはなんとなくわかるような、これこそが、フォルケホイスコーレが体感する場所と言われる所以だなって思いました。
デンマークにおいて、「Hygge(ヒュッゲ)」が目的をもってするものではないように。何らかの明確な条件が前提なのではなく、目的がなくても居心地の良い場所を指す概念であるように。
そういう言語化し切らないところに、本当の価値がある気がしました。
いよいよ卒業が迫ってきて、最後のパッキングをしているとき、ふと自分の中に「不安みたいなもの」がまた生まれてきたのです。
それまでは、「今だけ」に生きていればよかったし、何かあればこの学校に戻って来ればよかった。けれど、ここを卒業するっていうことはこれまでの足場がなくなる分、やっぱり心許ない自分がいたんだなぁって気づきました。
でも、それが前に進むっていうことだよなって。
なんだかこの3ヶ月間って、「自分の手に選択権を取り戻す」ような時間だったなって思ったんですよね。
それから、自分たちの手で何かを作り出せること、お金をかけなくても楽しい時間はつくれるってことが実感としてわかった気がしました。
そもそも「誰かと一緒に」「何かをつくる」ってこと自体が楽しいこと。お金を払って最後の成果物だけを手に入れるのではなくて、そこまでのプロセスを一緒に楽しむからこそ、その後の時間がもっと豊かなものになるというか。
デンマーク人は、日本人が忘れている「楽しみ方」をたくさん持っている人たちだなって思いました。
北欧って冬が長いから、短い夏をめいっぱい遊びきろうとする気持ちが強い気がします。太陽の下で長い1日を遊びきるって、すっごい楽しいし、ちゃんと心と身体全部使って、疲れて眠るって幸せだなって思いました。
一方で、夜があることが「癒し」だってことにも気づいたんですよね。ノルウェーに行ったとき、夜中の0時でも明るいのを見て、なんかちょっと休まらないなって思ったんです。
陰陽だとどうしても「陽」のほうが注目されがちだけれども、「陰」の時間も必要。休むから、動くことができる。内面に深く向き合うから、外に成長することができる。そういうどっちも大切にするっていうことを学びました。
最後のビッグサークルで歌った1曲はハレルヤでした。この音楽、ヨーロッパのいろんなところで流れていたから大好きな曲。言葉の意味は「主を讃えよ」だけれど、それぞれの旅立ちを讃えているんだなってわたしは勝手に受け取りました。
北欧の卒業式は一般的に夏なのですが、高校卒業をお祝いする「ルスバス」が町中に溢れていて、なんだかこちらもお祝いしたくなって。春の桜が舞う卒業式も捨てがたいけれど、夏の卒業式も悪くないなって思いました。
そうして、わたしの3ヶ月は一区切りを迎え、クロアチア・フィンランドの旅を経て、シューマッハ・カレッジの旅へ向かうのでした。
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