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世界幸福度ランキング第2位と言われるデンマークって、そもそもどういう国?

Nordfyns Højskole滞在記の続きです。今日は、デンマークという国について、わたしが学んだことをまとめてみました。

正しいか正しくないかは置いておいて、なんとなく「人」に対しての考え方の背景に気づけたことがすごく価値のあることだったなぁと思っています。

▼ひとつ前の記事はこちら


「人の幸せ」をベースに考える社会はどうやって生まれた?

デンマークはよく「高福祉社会」と言われます。

けれどそれはつまり、「高負担社会」という意味でもあります。

日本とは違って税金は払う(納める)ものなので、教育費とか医療費は無料なわけではなく、税金からの「還元」という感覚なんですよね。消費税は25%なので、けっして観光客にとって優しくはない国です。

そして税金は、主に医療・教育・介護支援の3大分野に使われています。

デンマークが高福祉社会として成り立っていくためには税金が必要。だからこそ、「税金を納めてくれる資源である人間をつくる」ということが、教育の一つの命題でもあるんです。


ここでめちゃくちゃ基本的な話になるのですが。

デンマークの大きさって、だいたい日本の8分の1くらいなんですよね。面積で言うと九州と同じくらい。人口も兵庫県よりちょっと多いくらい。つまり、一つの国ではあるけれど、日本で言うと地方政治の規模だから、フットワークが軽いんです。

ちなみに、お隣のスウェーデンは北欧諸国で一番の経済大国ですが、国家予算は東京都の予算と同じくらいの規模です。

これ、けっこうわたしたちが見落としていることな気がします。シンプルに国と国で比べてしまうけれど、わたしたちが思っている以上に日本は大きな国で、一つの政策を動かすのにエネルギーがいる社会なんですよね。


それからもう一つ、歴史的背景について。

第二次世界大戦からまもなく80年ですが、日本はドイツ側で負けた国です。ちなみに、デンマークはドイツに占領された国です。そのときに、

命ほど尊いものはない。

と言って、領土を差し出し、自ら降伏を選んだ国です。

日本は戦後「経済大国」をめざし、資本主義で大成功した国ですが、一方でデンマークはそのとき「生活大国」にベクトルを合わせ、世界に誇る社会福祉国家になった国なんです。


もし今日本人が、「北欧ってなんか幸せそうでいいなぁ」と思っているとしたら、それはちょっと見落としているものがあるかもしれなくて。

デンマークは、長い間ずっとずっと「人の幸せ」を指標にしてきた国なんです。戦争に負け、領土を大幅に失うという苦しい社会情勢のなかにおいても、デンマークの人々の心にあったのは「外に失いしものを、内にて取り戻さん」という言葉。最後に残る資源が「人」であることに気づき、その「人」の力を信じることが出発点となっているんです。

同じく「幸せな国」としてよく話題になるフィンランドも、似たような歴史を持っています。ロシアとスウェーデンに挟まれて、自分たちの国がなくなるかもしれないという状況も経験している。寒くて、資源が多い国ではないからこそ、「この国の資源は人なんじゃないか」「人を大切にすればきっとこの国はよくなる」と信じたことが、国が立ち直るきっかけになっています。


歴史を振り返ってみると、自分たちのアイデンティティが根底から揺らぐ経験が、「人の幸せ」をベースに考える社会につながっているんですよね。

だからこそ、「ほんの一部」を切り取って、それを150年かけて取り組んできた北欧と今の日本を比べるのはちょっと無理があるよっていう話なのです。

(もちろん、日本も戦後の教育でアイデンティティを失っている部分はあるのですが、、、それはここでは置いておいて)


日本は、その人が「できること」に価値を置いてきた国で、わかりやすく一つの指標で図ることで成長をしてきた国なんですよね。「できてなんぼ」「効率性」「目的達成」っていう感覚はこのときに染み付いたもの。

考えてみれば、極東の小国が、一時であったとしても世界2位の経済大国にまでなれたのってすごいことなんですよ。そういう頑張りがあったからこそ、今の安定した生活基盤が作られているんです。

けれど、代わりにそのとき日本が払った代償があるのかもしれないということ。もし日本人が今のわたしたちの生き方に疑問を持ち始めていて、アイデンティティについて考え直すなら、今こそ「”人”にスポットライトを当てるべきタイミング」なのかもしれないっていうことなんです。


だからこそ、デンマークにあるものをそのまま日本に持っていくのではなくて、過程で落としてきたものがあるなら、日本のやり方で解決方法を見ていくしかないんだよって教わりました。

何よりも、まずは「人」。デンマークという国を支えた思想

デンマークの思想をつくった人たちとしては、この3人が有名です。

【童話】アンデルセン(1805〜1875)
「みにくいアヒルの子」などで有名な童話作家
「私が書いたものは、ほとんどが私自身の姿であり、登場人物はすべて私の人生から生まれたものです」

【哲学】キルケゴール(1813〜1855)
ニーチェとともに実存哲学の祖とされる
一般的な「人」ではなく「この私」に焦点をあてた哲学。実存とは「いま、ここに、現実的に存在する私」を意味している
「人生は、解かれるべき問題ではなく、経験されるべき現実である」

【教育】グルントヴィ(1783〜1872)
フォルケホイスコーレの創始者
「生きた言葉」による「対話」で、異なる者同士が互いに啓発しあい、
自己の生の使命を自覚していく場所が「学校」であるべきと考えた

デンマークの3分野で共有される哲学や人間観が注目されているのは、宗教や役職よりも、"まずは人"という人間哲学が根底にあること。

デンマークでは、宗教の前に人間の存在「existence」を重視した哲学があるんですね。ルター系の哲学を持つ国はあるけれど、"人間"に注目していること、システムとして取り入れていることがデンマーク特有なんだそうです。デンマークでは、王室も「ひとつの役割」でしかなく、人間としてはフラットという考え方なんだそう。


ちなみに、デンマークの法律には「その子に合わせた」「その子に意味をなす」教育を受ける義務と権利が明確に書かれているんですが、それもこういった思想の影響だと思います。

教育においては、先生の影響も大きくて、日本は「輪を乱さないこと」を優先しているけれど、デンマークは「その個人であること」からはじめるんですよね。

でもこれって、悪いことじゃないんですよ。どっちも必要なことだから。

日本人が調和できる力って、わたしはすごく貴重だと思っています。それを持っているなら、今度は「その個人であること」をやればいいだけ。多くのヨーロッパ人は「個人」が強すぎるから、フォルケホイスコーレに調和を学びにきているんです。

どっちがいいかだけじゃなくて、どっちが先か。うまく使い分けられる人が生きやすくなるよっていうだけな気がします。


どんなにテクノロジーが発展しても、それを使うのは人間だからこそ、人間は「人として」何を持っていないといけないのか。

そういうことに目を向けながら、社会をつくっていく人材づくりをしているって話していました。さまざまな授業を媒体にしながらそこに向かっていると言えるのは、ある意味すごくデンマークっぽいなぁと思ったのでした。

社会のあり方には、「人」に対しての考えが現れる

これまででも出てきたように、デンマークは「個人主義」であり、その人らしさを尊重する「生活大国」をめざしている国。一方日本は「調和主義」でありつつ、人の価値を数値で測ろうとしている「経済大国」。

つまり社会のあり方には、最終的に「人」に対しての考えが現れるんです。

そしてどんな仕事も、最終的にすべては対「人」なんですよね。エンドユーザーは「1人の個人」にたどり着くってことです。


ここで出てくるのが、この問い。

「人間とは?」

グループで話し合うなかで出てきたのは、こんな答えでした。

・未来と過去を考える生き物(計画性を持っている)
・概念で考えることができる(見えないものを信じられる)
・コミュニティや社会をつくる(協力し合うことができる)

そして、ここからデンマークでMenneskesyn(メネスカシュン)という、人間をホリスティックにとらえた言葉を学んでいくことになるのです。

<4つの分野>
肉体的:身体機能、内臓
精神的:マインド、ハート
文化的:家庭的、地域的なもの、宗教(繰り返し習慣になっていくもの)
社会的:家族、所属組織での対応(アイデンティティの背景)

Menneskesynとは、簡単にいえば「人間観」のこと。一人ひとりが持っている相手を判断する基準でもあり、「人として何を大切にしたいのか?」ということ。

人も、フォルケホイスコーレも、政党も、「人間観」を持つことができます。逆に、どこかひとつだけを切り取ってその人を定義することはできないということでもあります。

そして、デンマークで医療・教育・介護支援にかかわる人たちはみんなこの哲学(ホリスティックな人間観)を共有しているんだそうです。一人の人に出会うときに、ちゃんとこの4つの観点からその人を見ようねということ。

例えば、医療分野では主に肉体と精神を中心に見ることにはなるけれど、目の前の患者さんは、生きてきた文化や社会を背負ってそこにいることを忘れてはいけないという感じだそうです。


日本って(一応)単一民族国家なので、文化とか社会的な側面って見落とされがちなんですよね。けれど、デンマークでは文化や社会の視点なしに人を語ることはできない。「ある視点」だけで出会ったとしても、そこからどれだけ全体的にその人を捉えることができるかが問われてくるのです。

「その人ができないこと」ではなく「その人の可能性」を見ていくって、福祉もだけれど、教育にもすごく必要な考え方だよなって思いました。


ちょっと関係ないけれど、「人間とは?」の問いで出てきた言葉。

「人間だけが逃げることを悪いと思っている。ほかの動物たちは本能的に逃げないと生きていけないのに、どうして人間だけが逃げてはいけないという答えに辿り着いたのだろう」

人間だって、無理だって思ったら逃げていいんですけどね。

自分の資本をどう使っていくか?公正と平等の話

福祉分野で有名な人に、ノーマライゼーションという考えを提唱したバンク・ミケルセンというデンマーク人がいます。

ノーマライゼーションとは、「立場や能力、文化が違う人がそれぞれ選べる権利・可能性があるということ」。日本でノーマライゼーションって言われたら「みんなが普通の箱に入ること」だと捉えているかもしれないけれど、それはちょっと違うよって言われました。

これって、デンマークの人たちが「自分の立場でできることをやる」っていう感覚の、根底にあるものな気がするんですよね。


もしかしたら、公平と平等の違いに近いかもな、と。

公平(見える景色が同じ)
平等(与えられる台が同じ)

日本ってけっこう、「平等」を求める国ですよね。

でも、デンマークは「公平」の感覚のほうが強くて、もし今自分に余裕があるとしたら、その余裕を誰かに回すイメージがあるんですよね。

フォルケホイスコーレも、資源のある人が動いて共同生活が成り立っている。視点によってはとても不公平だけれど、そうじゃないと成り立たないことがあるんだよって言われました。


話がちょっと飛ぶのですが、週末旅に出ていて、ふと感じたこと。

人間って、一度にそんなに多くのものは持てないのかも。

一つひとつのことをちゃんと味わえるように。
みんなに幸せが行き渡るように。

自分が大切にしたいことを大切にする。
それ以外のものは一旦手放す。
そうすれば、それは誰かの新しいチャンスになる。

みんながそういう感覚でいれば、意外と世界は幸せなのでは?

本来この世界には、それを必要とする人の分の資源はあるはず。誰かが持ちすぎているから、偏りができるのかも? 「もっともっと」ではなくて「大切にできるものだけ」という価値観に変わっていけば、世界のバランスってもっと優しくなるんじゃないのかなって、思ったりしたのでした。

デンマークがぜんぶぜんぶ理想なわけではなくて

ここまでいろいろ書いてきていますが、別に「ほら!デンマークって最高な国でしょ?幸福度第2位になるだけあるよね!」っていうことを言いたいわけではないんです。

たしかに、ヨーロッパの中では治安も良くて、自然環境への意識も高くて、高福祉社会が実現していて、住んでいる人たちも優しい人が多いです。でも、いろいろ抱えている問題もたくさんある。

例えば、、

デンマークもフィンランドも、冬の日照時間がかなり少ないので、うつになる人がたくさんいます。精神病の人の数は、かなり多いらしい。

幼稚園浪人、小学校10年生、職業専門学校、エフタスコーレ、フォルケホイスコーレいろんな選択肢があるけれど、とはいえストレートに進学することがメジャー街道ではあるらしい。

「自分らしさ」が求められる社会だからこそ、自分が望む方向がわかっている人は生きやすいけれど、自分迷子になるとかなり苦しい社会なのだそう。

大学受験含めて、日本は「テスト」という形式だからこそ、ある意味平等に評価が受けられて、就活だってポテンシャルだけで採用してもらえたりします。デンマークは人脈と実績ベースなので、一発逆転が難しかったり、見方によっては大変なこともあるかも。

「自分に余裕があれば、その余裕を誰かに回す」という考え方なので、自分に余裕がなければ、決められた役割もやらない場合がある。日本人は、その役割が必要だなと認識した場合、自然と身体が動く人が多い気がします。

他にもたぶんいろいろあると思いますが、、

デンマークに行ったことで見えてきた「日本の良さ」みたいなことも、実はたくさんあって。「どちらが良い」という話ではなくて、「どちらも体験することで、自分の元いた場所を客観的に見ることができる」ということに価値があったのだなって改めて思っています。


続く。


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