「人生を変える旅」ってどういうもの?
実は、つい最近までわたしにとって、「旅」というキーワードはすでに通り過ぎたものだったのです。
けれど「なつみさんのnoteコンサル」にはじまり、短い期間に何度もそれがわたしのアイデンティティなのだと確認させられるようなできごとがあって。
わたしにとってはもう空気のような存在になっていたけれど、やっぱり旅がわたしの原点だったのかもしれないなぁと。
というわけで、この機会に改めて「旅」について掘り下げてみようと思います。
わたしの「人生を変えた旅」とは?
例えば、わたしの人生を変えた旅をいくつか挙げてみると、
イギリスのオックスフォードに短期留学したこと
伊豆やすらぎの里で1週間断食したこと
直島で現代アートの面白さに出逢ったこと
マウントシャスタで、ガイドのおじいちゃんの教育観を聞いたこと
「アルケミスト」に従って、モロッコとスペインに行ったこと
フィンランドの教育視察ツアーに参加したこと
ぱっと思いつくだけでも、これらの経験はわたしにとってすごく大きいものだったなという気がしています(少しずつほかの旅行記も書いていく予定)。
もちろん、その間に1泊2日の近場温泉旅行とかにも行っていて、そういう旅もわたしにとってすごく大切だし、楽しいものなのです。
では、そういう旅行と「人生を変える旅」の違いは何なのか??
それは「その体験をきっかけに、その後の人生に何かしらの変化が起きているかどうか」だと思っています。
人気の観光スポットで写真を撮ったり、
決められた旅程をこなすことが目的ではなくて、
自分の日常から大きく離れて、冒険をするような、
目的を持たずに、直感に飛び込んでいくような、
そこで出逢った人たちと人生の交換をするような。
そういう、自分の人生を一度見つめ直すような旅。
そういう旅が人生にあると、けっこう豊かだよなって思っているのです。
そして、個人的には、そういう旅の後にはちょっとした余白が必要だよというお話も一緒にしたいなと思っています。
旅をしているときに、わたしの中に起きていること
最近、こんなことを言われるようになったのです。
これ、わたしにとっては、目から鱗的な一言でした。そしてその後に聞かれたこと。
え…それは…めちゃくちゃ言語化難しいやつ…!
って思ったけれど、ぽつりぽつりと話していくなかでわたしの口から出てきたのは、こんな言葉たちでした。
いつも「暇な時間があったら何かしよう!」と思って、旅先にもよくPCを持っていくのですが、結局ほとんど使わないんですよね。
むしろ一度出かけてしまえば、旅という体験の中に没入してしまうので、普段何気なくやっていることができなくなるのです。
むしろいつもの日常に自分を無理やり戻そうとすることで、目の前のリアルな体験が薄まってしまう感じがして、もったいないって思ってしまうんですよね。
そしてさらに、会話を進めていくと、わたしの口からこんなことが出てきたのです。
一緒に話しているうちに、自分でもだんだん旅の解像度が上がっていって。これまであえて掘り下げたり、分解して考えたことがなかったんですよね。
けれど、たしかに「旅が持つ有限性」が、わたしを解放してくれている気がするのです。その中では不思議と自由でいられるし、いつもより、ちょっとだけ勇気出してみようかなって思えている。
そして結局のところ、人生を変える旅って「外側で起こったできごとの大きさ」ではなく、「内側に生まれた気づきの深さ」が強く影響しているかもしれない、と思うようになったのです。
外の刺激に対して、自分の中に生まれてくるもの
旅に行くと、普段の日常から離れますよね。
なので、「いつもの」ではなく「新しいこと」に出逢う機会が増えます。
わたしたちは多くの場合、「何か」に出逢うために旅に出るのですが、その「何か」をこなすように見ているだけでは、自分の中に何も生まれてこないのです。
「何か」に出逢ったときに、自分の中に湧いてきた感情を見つめてみるとか。
「何か」をめざす途中で、もっと心惹かれる「何か」に出逢ったら、そっちを優先してみるとか。
誰かの話を聞いていて、自分が無意識に持っていた思い込みに気づいたりとか。
見落としていた人生のオプションに気づいたりとか。
ふとそれまでの経験がつながって、できごとの意味がわかってくるとか。
物理的に目で見たことよりも、それに対峙したときに自分の中で起きた変化に目を向けること、そういう経験がすごく大事なのだと思うのです。
このことを知っているだけで、旅との向き合い方はすごく変わってくる気がしています。
コロナ前の2019年秋、わたしがフィンランドの教育視察ツアーに参加したとき。
ある教育コミュニティの人が書いている記事を見て、フィンランドに興味を持つことになるのですが、最初はフィンランドの教育現場の視察と、北欧デザインのお買い物と、北極圏でオーロラを見ることが目的で参加したんですよね。
けれど、行ってみたらそれは単なるきっかけでしかなくて、優しい自然の景色とそこに生きる人たちの豊かさに心が奪われる旅だったのです。
たったそこで2週間過ごしただけなのに、たくさんの宝物のような言葉をもらって、「豊かな人生を生きるって何だろう?」って考えさせられる時間で。
もちろん出逢った人たちも素敵だったし、自然もデザインも学びの場もすごく興味深かったけれど、そういう外からの刺激に対して、想像以上に自分の中にたくさんのことが生まれてきたのです。
当時わたしは教育会社の留学事業部にいたので、こうした自然との向き合い方や人生を考える時間、対話型の学びを日本でも経験できる場所がつくれないか、といったことを模索し始めるとともに、
こうした北欧カルチャーをつくり出したバックグラウンドが知りたくて、いろいろ調べるうちに、デンマークのフォルケホイスコーレへと興味の範囲を広げていくのです。
人生を変える旅には、副作用もある
ちなみに、人生が変わるほどの大きな旅をしたときって(量ではなく質という意味で)、自分の中に新しいオプションが生まれるっていうことでもあるので、戻ってからめちゃくちゃしんどいんですよね、、、
わたしもそうだったし、そういう状態の人をよく見かけました。
フォルケホイスコーレも、シューマッハ・カレッジも、そこで過ごした後に、それまでの会社員生活にすぐ戻った人たちはけっこう大変そうで。
この世界にはいろんな生き方があることを知って、もし旅の中で出会った生活をすごく好きになってしまったら。他の生き方の方が、自分にあっているかも、と思ってしまったら。
たぶん元いた場所に戻って、旅以前のその人に戻って、同じように生活するってすごくしんどいことなんですよね。頭と心と身体がちぐはぐになっちゃう感じ。
だからこそ、勇気を出して一歩踏み出した世界で新しく気づいたことと、もともと自分がいた日常をどう融合させていくかがすごく難しいのだと思います。
でも、その不安定な時期こそが、新しい自分の糧になっていく気がしていて。可能なら、そういう旅の後にはちょっとくらい不安定な自分でいられる余白みたいなものがあるといい気がします。
個人的には、そういう旅って、ちょっとパラレルみたいな体験なんじゃないかって思っていて。
旅を経て戻ってきた自分は、元いた場所とまったく同じ場所に帰ってきているわけじゃないというか。別のパラレル世界に飛んでいるくらいの気持ちでいたほうが楽なのかもな、って思うのです。
「新しい世界で、自分をどう生きていくか」、その融合までがひとつの旅なのかもなって最近は思いはじめています。
あなたの日常に、人生を変える旅を。
とはいえ、距離はそんなに遠くに行く必要はない気もしています。
もちろん、物理的距離が離れるほど、それは強烈な刺激となって自分をめざめさせることはあるかもしれませんが、
わたしにとって、ガイド付きのイタリア旅行よりも、伊豆で過ごした断食体験のほうが、ずっと人生を変える経験だったように。
そこでどんな人と出会い、自分を見つめ、何を得たかのほうがずっと大事な気がするのです。
これは、わたしが旅をするのが好きで、旅行会社で実際に商品企画をやっていて、本当に身に沁みて感じていたことでもあるけれど、
旅の価値は、本当にその人次第でいくらでも高めることができます。
コロナを経て、旅の価値が変わってきたからこそ、もう一度旅がどうあるべきなのかを考え直したいし、新しい旅のカタチが生まれてきたらいいなぁと思っています。
ちなみにわたしは「その土地のギフトを受け取る旅」と「そこに集まった人たちの人生を交換するような旅」がつくれたらいいなぁって思っています。
旅は、わたしたちの人生をきっと豊かにしてくれる。
それをわたしは心から信じているし、それを体感している人が増えたらいいなって思っています。
なので、そう思えるような旅をデザインしていきたいし、人生を変えるような旅を多くの人に経験してもらえたらいいなと思うのです。
今はまだ小さな一歩を踏み出したばかりですが、これからいろんな可能性が広がっていくことを祈って。
\いよいよ今週末申し込み〆切です!/