真っ白な世界で、わたしのシンプルさと世界の彩りを思い出す<そのまんまフォルケホイスコーレ体験記>
2023年の振り返りもまだまだやりたいけれど、2024年はもっと純度を上げたいなー、と考えていて。「純度を上げる」ってどういうことかというと、わたしにとってはこんなイメージ。
そんなことを思っていたとき、ふと思い出したのがこのコースでした。
以前アイスランドに行ったときに感じた感覚を思いだしたかったのと、北海道にはかなりの回数行っていて土地勘もなんとなくあるし、今回は日数が短いこともあって、すごく参加するハードルが低かったから。
締め切りは過ぎていたけれど、問い合わせてみたらOKということだったのでそのまま参加することに。
朝問い合わせのメールをして、夕方の予定までの数時間で申し込みから入金から、飛行機の手配まで全部完了するという、今思えばあっという間の不思議なできごとでした。
真っ白な世界で、自分のシンプルさを思い出す
少しだけ、最初にアイスランドの話を。
コロナが日本で本格的に流行り始める少し前の、2020年2月に訪れたアイスランド。北極に近い場所ということと、真冬ということもあって太陽はずっと低い位置にいるけれど、遠くまで広がる白い地平線がとにかく美しかったのを覚えています。
空が広くって、空気が澄んでいて、見えるのはただただ白と透明の世界。「余計なものがないってなんて潔くて美しいんだろう」と感じたのです。
そして、あまりにも壮大な自然の中にいたことで、「あぁ人間の力ではどうしようもないこともあるんだ」と腑に落ちたのですね。
本当はこの世界には「色」はなくて。光があるから、私たちは「色」を知覚しているけれど、そもそも「見る」側の私たちがいなければ「色」は存在しないのです。
この世界は本当は真っ白ですごくシンプルなもの。だとしたら、この世界に彩りを与えているのは、一人ひとりの個性とか輝きなんじゃないかと思うし、一方でものごとをややこしくしているのも、私たち人間なのかもしれないな…と思ったのです。
わたしは夏生まれ&西日本生まれなので、とにかく寒さが苦手で。冬はなかなか外に出るのが億劫になってしまうのですが、前にアメリカのネイチャーガイドのおじいちゃんにこんな言葉をもらったことがあって。
それから少し「冬」というもののイメージが変わったのです。
もう一度、新しいわたしをはじめるのに真っ白な世界にいきたいなと思ったのと、そんな言葉を思い出したのもあって、久しぶりに北海道にいくことにしたのでした。
「そのまんま」のわたしで出会い、「そのまんま」で過ごすフォルケホイスコーレ
「そのまんまフォルケホイスコーレ」は、わたしも2023年に行っていた、Nordfyns Hojskole卒業生の大城美空ちゃんがやっているプログラム。
普段は1週間コースがメインなのですが、わたしは今回3日間という長さがちょうど良くて、このコースに参加しました。
東京からの行き方はこんな感じ。東京⇄旭川便は早朝なのでけっこう朝が早くなってしまうけれど、半日くらいで到着します。
宿泊はHOTEL KUMOIという、層雲峡にある元温泉旅館。温泉も24時間入れて、ご飯も毎日おいしくって、めちゃくちゃ快適でした。
そして、今回のテーマは【Well-beingとまなび】。思っていたより「お絵描き」が多くて、わたし自身も場づくりで参考にしたいヒントがたくさんでした。
Well-beingって最近よく聞くけれど、いったいどういうこと?(1日目)
この日の大きなテーマは「わたしにとってのWell-beingを考える」こと。自己紹介を終えたら雪の中をペアでお散歩して、それぞれ浮かんだことを書き出します。
わたしがつくったコラージュの”Well-being”は、つながりあう世界。境界線が柔らかくて、美しい景色と、温かい人間関係と、1日にグラデーションを感じるような優しい世界。そして、わたしにとっての幸せな日々には、「小さな大冒険」と「安心できる心の隠れ家」が大切なのだな、と実感しました。
そしてその反対は、見通しが悪いところに1人で孤独に突き進んでいく感じ。周りには何かわからないパーツだけがパラパラと存在している、直線で区切られた世界でした。
いい感じに裏表に相互性があってすごくわかりやすかったことで、わたしにとっての”Well-being”という言葉が、少し立体的になった気がしました。
実は”Well-being”という言葉自体は、わたしはあまり好きではなくて。オーガニックとかSDGSとかと同じく、”マーケティング的”に使われていて、「とりあえずその言葉を使っとけばいい」空気感を感じるから。
とはいえ、それだけ「世の中に使われている言葉」というのをただ横目で見ているのではなく、あえて自分の中で噛み砕いてみる機会が持てたことが、とても良い時間だったなと思いました。
必要なのはバランス。思いっきりカラダを動かすことで、心も動く(2日目)
この日は、「学び」を軸に、Well-beingについて考えることがテーマ。
朝からスノーシューを履いて森へ。
望んでいた真っ白な世界は想像以上で、最高に楽しい時間でした。
なかでも、途中ガイドのトビさんが用意してくれた「クマの木カフェ」で、みんなで並んでコーヒーを飲んだとき、一瞬生まれた音のない真っ白な時間が本当に贅沢すぎて、とても感動したのでした。
深い静かな時間に落ちていく感じがすごく心地よくて、こういう時間が毎日少しでもあれば、私たちは自分を見失わずにすむのになと思ったのでした。
そして、最後は滑る!頭から滑る!しかも全員。笑
予定時間を超えて、4時間くらい雪の中にいて。久々にカラダを思いっきり動かしたら、すっごくスッキリしたのです。
最近は頭を使うことが多くなっていて、そういえばカラダを全然使っていなかったことに気づいたし、何よりお宿に戻って温泉に入って、「ふーっ」て息をしたときの心地よさが最高でした。
午後のワークは”Life as a River"から。
「学び」を軸に、人生の川を描きます。
わたしにとっての「学び」は、わたしを知っていくプロセスというイメージで。世界はたくさんの面白いことで満ちていて、純粋なわたしが、いろんな学びや刺激によって、だんだん自分軸を太くしていく感じを絵にしてみました。
そして、ニーズカードを使って、「学び」の中でわたしが大切にしたい8つの言葉(わたしが満たされたかった8つのニーズ)を選びます。
「感謝/価値の承認」とか「直感/インスピレーション」とか「存在/あること」とか「信頼」とか「喜び」とか選びたい言葉がたくさんあったけれど、最後に残ったのはこれらの8つの言葉たち。
わたしが大切にしたい「学び」の世界が、また違う角度から見えた気がしました。そして、もう一つ、新しい「問い」を見つけたのです。
そして、その後のペアトークで、8つの言葉に「あたたかさ」を選んでいた”ぽんちゃん”の言葉にヒントをもらったのでした。
その話を聞いて、わたしの中に生まれたのは「ほくほく」「ほっこり」したあたたかさ。真っ白な森の”カフェ”で、みんなでぼーっと太陽を眺めていたような。向かい合うんじゃなくて、隣にそっと座るような。
ちゃんと、わたしが大切にしたいことを伝えて、相手の大切にしたいことも大切にする、そういうコミュニケーションの中に、愛とか希望はちゃんとあるのかもしれないな、と思ったのでした。
そして、わたしにとっての”Well-being”はバランスなのかもしれない、と気づくのです。
あらかじめ「こうしなきゃ」と決まっているものではなくて、ちゃんとそのときそのときの心地よさを選んでいける感じ。
そんなふうに常に問いかけられるような、更新し続ける言葉として、存在していたらいいなと思えるようになったのです。
自分を信じ、未来を描ける人が増えたらきっと世界はWell-being(3日目)
最終日のテーマは、Well-beingに生きるための「学び」をみんなで考えること。
朝のペアウォークで代表のみくちゃんとペアになって。わたしが引いたカードが「挑戦しないのと失敗すること。どっちが悪いと思う?」だったのだけれど、これは2人ともシンプルに「挑戦しないこと」だよね、と。
みくちゃんは地域おこし協力隊のお仕事の中で、たまに高校生にお話する機会があるそう。
本当にその通りだと思う。人生ってそもそも解がないものなのだから、自分で選びとっていくしかないし、選んだ道を自分のものにするしかない。
そして、わたしが考える「これからの未来に必要な学び」は、「”自分にはできる”と思える力」を育むこと。
これは、最近読んだ小林さやかさんの本にもすごく影響を受けています(笑)
わたしも実際「なんかやれそう」っていう謎の自信で乗り越えられた経験が何度もあるので、自分の体験としてもすごく腑に落ちるのです(そして、その思い込みを入れてくれたのは、さやかさんと同じく「母」でした)。
そして、そのために必要なこととして書き足したのは、「それを受け止める環境」と「素直なコミュニケーション」と「作り手側の発想」でした。
これだけ忙しい社会だから、「やってみたい」「できるかも」を受け止める環境をつくるって、すごく難しいのかもしれません。けれど教育においては、その人が自分の人生にとって大切なことに気づくまで「待つ」姿勢と、それを受け止める周りの余裕(心の余裕や、視野の広さという意味で)は絶対大事だと思うのです。
それから、その人のそのままを大切にするコミュニケーション。今の世界って、ありのままで生きたら傷つくからとみんな防御を張って仮面の自分で生きている感じがするのです。けれど、素直にそのままを生きるほうがずっとシンプルで心地よいし、本当に「合う」人にも出会えるはずなのです。自分の心地よさを知り、嫌なことは嫌だと言えること。そして、本当に望むことを知ることで、その望みは実現に向かっていくと思うのです。
最後に「作り手側」の発想。おそらく文句が出るときは自分が「受け手側」にいるから。「作り手側」から見れば、不満なことは、未来に向けてよくなるための改善ポイントとか自分への学びになるはずなのです。
そして、イメージを「描ける人」は「創り出せる人」。それはたぶん人生も同じで。めざす世界を持っていて、それらを言葉や絵で表すことができれば、その夢は少しずつ現実になっていく、そんな気がしています。
そして答えが「ない」ことを楽しみ、今ここに「ある」ものに気づくこと。そういう視点が面白さを生み出していくのだと思います。
話は少し逸れますが・・・今回はじめて知った北海道弁「◯◯さる」。
<意図していなかったのだけど、そうなってしまった。自然とそうなってしまった>という意味だそう。
例えば「(エレベーターのボタンが)違う階を押ささった」とか。
そんななかで「学ばさる」が生まれたらいいよねーと。そうしようと思ってはいなかったたけれど「自然と学びたくなる」感じが理想だよね、という話になったのです。
そういう環境だったからこんな言葉ができたのかもね、と話しながら、はじめて聞いた言葉だけれどすごくいい言葉だなと思ったのでした。
最後は「beの肩書き」。これまでのわたしを「学び」を軸に振り返りながら、今までのストーリーを書き出していきます。
やっぱりわたしが思うのは、「その人が自分の人生に気づく瞬間に出逢いたい」ということと、一人ひとりの素晴らしさがもっと輝いて、「互いに心を灯しあう」そんな場づくりをしたいということ。
そして、そのためにわたしができることは、「わたしらしく生きることで誰かのきっかけになっていくこと」と「表現と対話の場を開いていくこと」かなと思っているので、それを少しずつ進めているという話をしました。
そんなわたしに、みんながくれた「肩書き」は、
わたしは、自分の人生を物語にする「エッセイスト」を選んでいたのですが(笑)、みんなの言葉を聞いて、旅人が集う「人生の宿」のホスト(出迎える人という意味の)とか、その人の魅力を言語化して、代わりに伝えるPRプランナーとかもいいなぁ、と思ったのでした。
Well-beingはきっと一人ひとり違うもの。考えること、分かち合うことに意味がある
改めて、Well-beingを調べてみたらわかるようでわからないような…。
けれど、プログラムが終わって今思うことは、その「よく分からないことをみんなで考えてみることに意味がある」のではないか、ということ。
普段考えていることって、意外となんとなく通り過ぎてしまうから、あえて時間をとって、言葉や絵にしてみることでより立体的になる気がします。
そして、表現することで自分にとっても自分がよく見えるし、誰かともっと深く分かち合うこともできる。さらには対話を通して、お互いの違いが価値になって、世界を広げてくれる感じがするのです。
そんなふうに、わたしがやりたかったことの可能性がまたひとつ見えた気がしました。
そして、今世界が大切にしようと語っていること、私たちが大切にしたいと思っていることって、本当は日本人が元々持っていたものなのではないかということ。
SDGSもWell-beingも、言葉は外来的だけれど、考え方はすごく日本的な気がしていて。元々サステナブルで、ホリスティックな文化観を持っているのが日本人だし、ちゃんとその個性を大切にした上で、調和を生み出せるのが日本人。
日本家屋は境界が曖昧で、自由度が高いため用途の幅はとても広いですよね。和食は「混ぜる」ではなく「和える」と言い、個性を生かしたままで調和してより美味しくなります。他にも「金継ぎ」とか「繕い」って、あるものを大切に使い続ける知恵ですよね。
明治維新や戦後に失われてしまったように見えていたけれど、私たちの中には実は脈々と受け継がれていて。一度失ったからこそその必要性に気づいて、今もう一度自分たちの手で、大切なものを取り戻そうとしているのかもしれないと思ったのです。
これもたぶん、年末に読んだこの本の影響を受けています(笑)
最後に。久しぶりの「参加者」として場に参加して思ったことは、あまりプログラムって設計されていなくても良いのかもしれないということ。
あえてゆっくりする時間を持つこと、脱線する学びを許せること、そういう余裕を取り入れたいなと思ったのでした(そしてそれはとても、フォルケホイスコーレっぽい)。
年初め、まだ10日間しか経っていないけれど、ひとつひとつ手触りを感じながら、今年も一つずつ歩みを進めていきたいなと思っています。
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