《瀬戸内フォルケホイスコーレ》オリジナルな自分に出会い、新しい一歩を踏み出す旅
最近、どこかに「旅」しましたか?
もし、最近旅に出ていないなぁという方がいたら。
旅って、実は遠くに行くことだけじゃないと思っています。
いつもと違うルートを通ってみる
自分の「いつもの場所」から抜け出してみる
はじめての人に出会う
まだ見ぬ「わたしらしさ」に出会う
これも一つの旅だと思います。
ちなみに、わたしにとって旅は、「人生を前に進めてくれるもの」です。
旅に出ることで、日常に一つの「区切り」が生まれる気がするのです。
旅を通して、これまでの自分の思い込みに気づいたり、新しい視点を手に入れて、次に進むきっかけをもらう。そんなイメージです。
あなたにとって、旅とはどういうものですか??
どんなときに旅に出たくなりますか?
さて、今日は「人生がちょっと変わる旅」へのお誘いです。
2年前までは普通に会社員として、いわゆる「敷かれたレール」の上を歩いていたわたし。
けれどあるとき「このまま歩いていても、誰かと同じ人生にしかならない…それってわたしの幸せだっけ?」と思うようになったのです。
そうしてわたしは、5年間勤めていた会社を辞め、2022年から2023年にかけて、北欧・デンマークにある人生の学校「フォルケホイスコーレ」と、イギリスにある大学院大学「シューマッハ・カレッジ」に行くことになります。
帰ってきた直後は、正直インプット量が多すぎて頭がパンク状態だったのですが、そこから1年経って自分のオリジナルの道を歩きはじめたときにやっと、あのときに受けとった「学び」が一つひとつ意味を持ちはじめて、キラキラと輝きだしたのです。
それまでは、「やりたいことはなんとなくあるけれど、それが何になるのかわからない」「何からはじめてよいのかわからない」状態だったわたし。
4ヶ月の旅を経て、「わたしを認めることの大切さ」「自分からはじめることの価値」を知り、それが「誰かの幸せとつながっている」ことを体感し、そして、「自分で仕事をつくる」ということを今まさにやりはじめています。
あのときのわたしが知りたかったこと。
一歩踏み出したからわかったこと。
わたしの背中を押してくれた学びのこと。
ぜひ、そんな経験をシェアしたくて企画をつくりました。
今日は、そのお話をさせてください。
人はなぜ旅に出るの? 旅が与えてくれるギフトとは?
それは、きっと単純に、わくわくするものだから。
今の日常に、ちょっとマンネリ感とか飽きを感じていたりするとき、人は「旅」に出たくなるのだと思います。
旅ってそんなことを感じさせてくれる気がします。
「旅行」という言葉を使うと「観光」や「レジャー」に近い感じがするし、日常の疲れを癒す、とかリフレッシュの意図が入ってくる感じがしませんか?
一方で、「旅」という言葉には「人生」とか「新しい自分」とか「出会い」みたいな空気感が含まれる気がします。ちょっと未知な世界へ飛び込むわくわく感です。
わたしは「旅」という響きのほうが好きです。
もはや日本においていい意味では使われなくなってしまった「自分探しの旅」。でもこれ、意外とバカにできないと思っています。わたしも最近、久しぶりにこの言葉をポジティブに使っている人に出会いました。
使い古された言葉なのかもしれないけれど、もし、わたしが「自分探しの旅」に一つだけツッコミを入れるとしたら、
と、思っている人が多いこと。
多くの人が「大人になってからも夢を見ていること」にツッコミを入れたくなると思うのですが、そこはまったく問題ないとわたしは思っています。むしろ今の世の中「夢を持てる大人」ってめちゃくちゃ素敵じゃないですか。
そうじゃなくて、たぶん「今の自分」を否定しているところが問題なんですよね。「自分の外」に答えがあるって思っている。「旅に出れば」何か新しい自分が見つかると思っている。
そんなふうに思っていると、旅に出たものの、結局何も得られなかったってなってしまうんだと思います。
結局、一番変化が起きるのって、「自分の内側」だからです。
わたしが思うに、旅がくれるギフトって、
ということに一番価値があるんだと思います。
いつもと違う場所に行くと、予想もしなかったことがおきます。
知らない人に、突然話しかけられる。
電波なしで目的地に行かないといけなくなる。
言葉以外でのコミュニケーションが必要になる。
ひったくりにあって、持ち物全部なくなる。
とか。(全部わたしに起きたことです。)
何が起きるかわからないので、「なんとなく」惰性で行動するのではなく、「自分のスイッチが入って」行動するようになります。
それから、自分の中にある「当たり前」が通用しないことが起きます。
ご飯の前に「いただきます」って言わないとか。
スーパーで夜お酒買えないとか。
意思表示しないことは「悪」だったりとか。
「やるべきこと」でも「やりたくない」なら「やらない」とか。
って気づいたら、明日の行動変わりませんか?
「旅」というカタチで、日常からちょっと離れることで、そういう「自分を縛っていた無意識の思い込み」を外していって、「意識的に日々を生きる」ことを通して、新しい行動パターンを手に入れるっていうことにめちゃくちゃ意味があると思うのです。
デンマーク発祥の「人生の学校」フォルケホイスコーレ
さて、ここでやっとタイトルに戻るのですが、、
「フォルケホイスコーレ」という言葉自体がはじめてという方もいると思うので、少しだけ説明させてください。
デンマーク発祥のフォルケホイスコーレは、17歳半以上であれば国籍・人種を問わず、試験もなく、誰もが入学できる大人の全寮制の学校のこと。
哲学者であり教育者でもあったデンマーク人のN.F.S.グルントヴィが、「すべての人に教育を」というコンセプトのもと、農民などを対象に創設した学び舎です。
そこから少しずつ解釈が広がり、「自分にとって幸せな人生とは何かを考える時間」「人生を考える、社会を考える場所」という意味で、「人生の学校」とも言われています。
その特徴は、
もう少しわかりやすく説明すると、
日本人の多くは、成績や評価というプレッシャーを無意識に感じているはず。けれど、ここでの学びはそうしたジャッジメントはありません。自分が思うことを、それぞれが自由に発言して良い場所なのです。
学ぶ内容は、哲学、音楽、アート、クラフト、スポーツなど、学校によって異なっていますが、それらはあくまで触媒。すべての授業は、対話のなかで進められ、先生はファシリテーターのような役割で存在しています。
そして、ここでの学びは、それらを通して「自分自身について探求し、生き方の多様さや、社会の手触り感を自然と身に着けていくこと」であると考えられているのです。
なんだか、今の日本とはまったく違う考え方だと思いませんか…?
どんな思想がこのような教育機関を生み出し、支えているのだろう?
そこでは、実際どのような授業が行われているのだろう?
その学びは、社会にとってどんな影響を与えているのだろう??
わたしはこれを知りたくて、デンマークまで足を運んだのです。
ちなみに今から150年ほど前、デンマークは戦争に負けて領土のほとんどを失っています。絶望を感じさせる現実、苦しい社会情勢の中で、国民の心を支えたのは、詩人ホルストの言葉でした。
自分たちのアイデンティティが崩れゆく中で、人が国をつくると信じ、あるものを生かす国づくりをめざしたんですよね。
フォルケホイスコーレを創設したグルントヴィは、「教育」という言葉を避け、代わりにデンマーク語で灯りをともすという意味の「Oplysning(オプリュスニング)」という言葉をよく使ったそうです。
日常的にキャンドルを使っているからこそ生まれたであろう、いかにもデンマークらしい表現。なんだか素敵だと思いませんか?
新しい学びのカタチを日本でも
さて、わたしが惹かれた、北欧の学びについて少し興味を持っていただけましたでしょうか?
教育学部を出て、教員免許をとり、大手教育会社で働いていたわたしが、日本では見つけられなかった「何か」に、この4ヶ月の旅を通して、少しだけ手が届いた気がしました。
わたしは2つのフォルケホイスコーレに滞在したことで、こうした考え方に出会うことができました。
そして、もう一つ、イギリスにある大学院大学シューマッハ・カレッジでは、「自然の中で生きる人間という概念」「自ら一歩踏み出すことの大切さ」「見失っていたつながり」を教わりました。
これらも、わたしが探していた「自分の好きを仕事にする方法」であり、「学び」と「働く」をつなげてくれる概念でもありました。
みんなが、すぐに会社を辞めて、海外に行けるわけじゃない。
けれど、人生をもうちょっと前に進めたいと思っている人はいるはず。
ならば、もっと気軽にこの学びが体験できる場をつくりたい。
わたしが受け取ったものを、わたしの経験を添えてお渡ししたい。
そのギフトが回り回って、きっと誰かのきっかけになるはずだから。
そう思うようになったのです。
そして、わたしは旅行会社で商品企画をやっていたので、行程を組んだり、スケジュールを組むのがもともと大好きで、息を吸うようにできるのです。
それから、認定ワークショップデザイナーでもあるので、場づくりを支える理論について学んできただけでなく、これまで20回以上ワークショップを実施してきた経験も持っています。
まさに、「これまでの経験」と「これからやりたいこと」がちゃんとつながっている、そういう不思議な経験をしているところなのです。
瀬戸内フォルケホイスコーレでお届けしたいこと
さて、前段が長くなってしまいましたが…
ここからは、プログラムの具体的なお話をしようと思います。
開催日程は11月1日(金)〜4日(月)、連休を含む3泊4日です。場所は、瀬戸内海に浮かぶアートな島・直島で開催します。
美しい景色の中で、「写真」や「アート」や「言葉」を通して、自分の物語を編んでいくような時間です。
素直な対話を通して「自分らしさ」にもう一度出逢うとともに、はじめて出逢う人たちの素晴らしさに出逢える時間であって欲しいと思っています。
そして、いろいろなワークを通して、日常の見え方がまたちょっとが変わるようなきっかけをお渡しできたらいいなと思っています。
他にも書きたいことはたくさんあるのですが、大きなポイントはこちら。
【1】3つのフォルケホイスコーレの話が聞ける
実際にデンマークに渡航し、各校で受講してきたプログラムの内容に加えて、それぞれの経験の中にあった学びについてお話します。4日間を通して、現地で実際に行われているワークに取り組む時間もあるので、対話の中にある学びを、体感しながら学ぶことができます。
なぜデンマークという国に、フォルケホイスコーレという学びの場が生まれたのか、それを支える人生観・教育観についてもお伝えする予定です。
(イギリスから見た北欧の学びや、シューマッハ・カレッジで実施されているワークも組み込む予定です。シューマッハ・カレッジはいま存続の危機を迎えていて、日本でこれらを経験できる場はほとんどありません)
▼それぞれの体験談はこちらから
【2】一歩踏み出すまでのSTORYをシェア
「フォルケホイスコーレという場所に行くこと」それ自体は、本気で願えば誰でも経験できることだと思います。
けれど、本当にその学びを生かすならば、日本という場所(自分のHOME)に帰ってきてから、今度はどうやって自分の物語を自分の手で織っていくかが一番大切なプロセスのように思えます。
写真を通して人生観をシェアするゲストハウスをOPENするまで、言葉を使って誰かの夢を叶えていく会社をつくるまで、その途中で起こったそれぞれの物語をお伝えしようと思います。
そして、そのことがいつか、回り回って、まだ見ぬ誰かの新しい一歩につながっていったら嬉しいなぁと思うのです。
▼わたしの自己紹介も改めて。
【3】プログラムの背景は、瀬戸内海に浮かぶアートの島・直島
なぜプログラムの開催場所として瀬戸内を選んだの?と聞かれれば、シンプルに「主催者の2人にとって縁があった場所だから」なのですが、それを抜いたとしても瀬戸内は「人生を考える場所としてとても良いところ」だと思います。
・海を渡ることが、人に「来し方行く末」を考えさせる
・潮の満ち引きが目に見えることが、人生の波を感じさせてくれる
・穏やかな海、夕日の美しさがあなたの気持ちを受け止めてくれる
・ベネッセアートサイト直島がめざす「よく生きる」が背景になってくれる
ぜひ実際にこの場所に来て、その良さを感じていただけたら嬉しいです。
▼プログラムをつくるきっかけになったnoteがこちら(これだけでも読んでいただけたら嬉しいです。笑)
なんとなくの直感を大切に
最後に、改めてプログラムページを貼っておきます。
すでにプログラムの催行は決定しているのですが、ぜひ多くの方に体験していただきたいなぁと思い、あと2〜3名募集しています。(フォルケホイスコーレに興味を持ってくださる方は女性の方が多いのですが、男性の方もウェルカムです!)
すでに申し込んでくださっている方は、20代から50代まで、男性も女性もいらっしゃるのですが、さまざまなバックグラウンドをお持ちの方々で、すでにどんな物語に出会えるのか、わたしが一番わくわくしています。
ちなみに、イベントを開催しはじめた当初は知り合いが多かったのですが、最近ははじめましての方が増えてきました。ほとんどの方が、お一人で参加してくださっています。
もしこのnoteを見て、「なんとなく気になる…!」「よくわからないけどピンときた!」という方。参加を検討している場合や、何か相談したいことがある方は、個別相談も受け付けています。
・どんな人が企画しているの?
・実際どんなことをやるの?
・直島までどうやって行くの?
などなど、聞きたいことがあれば、個別でお話しする機会を設けているので、下記フォームより必要事項をご記入ください(Zoomを使用、20分くらいの予定です)。
個別相談フォームからお申し込みください。
(わたしのインスタにDMしてもらっても大丈夫です☺︎)
次の開催があるかは、正直わかりません。
あったとしても、同じ企画ではないと思うし、きっと価格は上がってしまうと思います。
そして、わたしにとって「旅の記憶」がまだ遠い過去ではないからこそ、一歩踏み出した経験がまだ身近だからこそ、お伝えできることもあるはずなのです。
あなたにとって、必要な旅には、呼ばれるもの。
きっとこの記事を目にしていることが、何か一つのご縁な気もしています。
もし、何か感じることがあったら、その直感を信じて、飛び込んできてもらえたら嬉しいです。
まだ見ぬあなたと出逢えることを祈って。