結局は動き出さないと、言葉にできない。~1~
書きたいことを書く、頭に浮かんだことを書く、人に見てもらえるような内容であるかは気にしない投稿。
言葉を選び取り繕うことなど全く気にせず書きます。
今日、仕事を退職しました。(後日投稿で退職したのは、2023/3/6)
2022年6月に入社したので、約8ヵ月。
8ヵ月と言ってもそのうちの1ヵ月は休職期間を取っていたので、勤めたのは7ヵ月程。
広告業界で働いていみたいという願望で入社した会社です。
今は、転職活動も合わせて行っているので、よく過去の経歴について問われるのですが、
話を美化してしまおうとする癖や甘ったれていると思われない話を作る癖があるので、いつも面接の時に上手く想いを表現できません。
なぜ、その会社を選んだのか。
なぜ、そのような選択をしたのか。
今、履歴書や職務経歴書に書き連ねている言葉は、本当に気持ち悪いです。
当初感じていた、希望していた業界への転職による高ぶりは、前職を辞めれたことへの高揚感だったのか…とすら感じるくらい上手く表現ができず気持ち悪いです。
案の定、美化してしまった言葉は面接官に見抜かれ、伝わらず不採用通知をもらう日々。
自分って思った以上にちんけだなあ。
周囲からはよく、自分に自信がなさそうだねと言われます。
昔は、実際に自信がない所が嫌でどうにか取り繕おうと頑張ったものです。
最近においては自信ないことないのですが、その程度の人間が思い上がるなと足元をすくわれるのが怖く自信がなさそうにふるまってしまいます。
内心は、自分に対しては高く評価を付けてしまっているのですが笑
自分の本心が見えなくなってしまう程遠くにある自分の気持ちやプライドが私をどこにでもいる普通の人にしてしまいます。
そんな、可愛いと思えない一面を早く脱ぎ捨てたい。
昔は、自分に対して感受性が豊かなところや人に優しく気を使えるところなど、自分に対して素敵だと思う部分が沢山あったんです。
特別勉強ができたわけではないけれど、愛嬌の良さから小学校、中学校、高校、そして大学の先生からだいたい気に入られていました。
人から承認されることは心地よく、他者から一目置かれる感覚が自分を少し他の人とは違う、特別な存在だと思い込ませてくれて、すごく心地が良かったんです。
そして、今思えば楽だったのだと感じます。
自分で一歩を踏み出す、自由を選ぶということには、孤独がいつもつきものだと。
大学を卒業した新卒一年目は、同い年の同期に囲まれて研修を受けながら育ってきました。
同い年で同じ会社に所属している人、親近感も湧きやすく打ち解けるまでにはそんなに時間はかかりませんでした。
ノルマが課せられる会社であると知り同期と比較されているような感覚がぬぐえず、窮屈に感じることは多々ありましたが、その場を離れた今、所属感や帰属意識があることが少しでも心の支えになりえるのだと知りました。
優柔不断で未熟な私は、自分では間違った選択だとは思っていなくても、その選択をどうにか正解にする術をまだ身に着け切れていません。
間違った道を選んだら戻ってもいい。
この言葉は、友人が私に言ってくれた言葉です。
24歳の私には、まだ有効な言葉だと信じたい。
まだまだ、これからだと。
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