台湾の最南端『港口茶』を求めて
さて今回も茶研修にご参加いただいた
生徒さん達の同行を終え
残りの日数は再び茶を求めて一人旅
今回は南へ来ておりましたから
どうせなら台湾の最南端の大地を
踏みしめてみました
それでは早速行ってみましょう🎵
入口付近では野菜売りカーが
やって来ていて
ついつい気になりますが先を急ぎます💦
っと…ここで満足してる場合じゃありません
本来の目的地港口茶のある地域へ
まず訪れたのはこちら
入口付近の壁には港口茶の紹介文が
早速中へ入ってお店の方に
インタビューしてみましょう
『你好』というやいなや
すぐさまお茶飲んで~と言っていただき
その場でお座り
こちらでは2種類の港口茶を
作っているのだそう
ちなみに港口茶
実は台湾緑茶のはじまりではないかとも
呼ばれているのですが
どちらにも発酵茶の味わいを感じました
それもそのはず長い年月の中で
凍頂烏龍茶の製法が取り入れられているとも
聞きました
(だから龍眼焙煎なのか…納得)
で…
ちなみにこちらの品種は元々福建省から
4種類の苗が移植され今では自然に交配合して
雑種になっているのだそう
そういえば何軒か先の
港口茶のお店のガラス窓に
どど~んと『雑種茶』って書いてた…
ちょうど小雨ぱらつき出して
(この地域雨が多いのだそう…
でも究極の晴れ女のため
ぱらつきだけで速攻やむという…😅)
ご老体の足もわりと限界に達していたため
この上の急坂を登る事を断念し
写真で茶園を拝見
その後、調査を進めたところ
港口茶の農家さんは3軒のみ
(親戚だとおっしゃってました)で
基本流通せず現在は
この地域で消費されている
地方茶のようです
お店の方のインタビューや
残された資料によりますと
1874年に台湾の南部海域で
琉球船の乗組員が原住民に
虐殺された事で起こった『牡丹社事件』
に端を発するようで
清が殺された被害者を賠償し
日本政府は撤兵に同意するということで
事件は終止符を打ったとの事のようです
その流れで1875 年に恒春県を設置し
その初代県知事として周有基が福建から
赴任してきたことで
彼はお茶を愛する愛飲家だったため
持ち込んだ
福建省武夷山(もしくは安渓)からの茶樹の苗を
現在も港口茶を生産しておられる
朱さん一族の初代がその苗をこの地に
植えたとされているようです
その朱家の向かいには
茶山と名のついたお寺があり
どことなく歴史のつながりを感じます
ちなみにこの地域の住所は
『屏東縣滿州郷港口村茶山路』
茶山路とつく…
台湾では高山茶がもてはやされる中
まさに真逆の低海抜で日照時間長め
ちなみに(時に立っていられない程の)
海風による強風と
とても茶樹の生育にとって
条件の良い場所とは言えませんが
そういった歴史の背景があって
この地に根付いたようです
この背景を知ってお茶をいただくと
さらに興味深くありがたく感じる
お茶なのでした
それではまた次回👋