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たまには書いてみた

なにを書いてもものにならないなぁとため息をつく毎日だったんだけれど、ようやく先の見える小説が滑り始めた。なにも書いてなかったというわけではなかった。

自分の書きたいものを捉えるのはなかなか難しい。その時の気分に大きく左右されるし、モチベーションも大きな問題だ。わたしの場合、良いことでは無いのだろうけど流行の話題に寄せていこうという考えはないので、まさにセルフオーダーメイド。すべて自由であると共に、すべてに枷がある。

カクヨムコンで年末年始に『青い鳥』というひとりの女性のしあわせの形についての小説を書いたのだけど(応援してくださった皆さん、ありがとうございました!)、次はなにを書きたいのか皆目見当がつかないまま短編を数本書いた。そうしたらどんどんいままでの軸からズレてきて、『恋愛』という型から抜けてきてしまった。

なるほどそう来たか。

『恋愛』はあっても要素として扱われ、もっとひとの心の深いところを書きたくなったらしい。それは決してきれい事ばかりじゃないし、ひとの心のよどみというのは読者を不快にするかもしれない。でも最近書きたいのは、そんな、闇のある小説。

で、5千文字くらい書けたんだけど「これはいいな」と思ってから設定を細かく詰めたくなってきて、また書き直しだー。そんなことの繰り返しばかりなんだけど、旬を逃してしまう時があるので、できればもう少しスマートに作業をしたい。

OneNoteも使ってみたりしてはいるんだけど、どうにも思うように使えなくて、紙にプリントアウトしたら大量の裏紙ができたり。お陰で子供たちと楽しくお絵描きごっこ(と言っても子供たちは普段はデジタルで絵を描いている)をしてしまった。久しぶりにイラストなんて描いたものだからちょっと楽しくなってしまった。

とりあえず娘に出だしを読んでもらって、「不幸になるの」と言ったら「大丈夫、もう十分に不幸な話だよ」と言われたので及第点かもしれない(?)。以前から興味があった、持つ者・持たざる者の話をベースに進めていく方針。

まだ公開してないのでなんともだけど、こういう時に他人と明らかに違う経験をして生きてきたことが物語を生み出していく。不幸な人が作家になる、というようなことを言うけれど、アマチュアでも同じらしい。物語の中のシチュエーションに、自分がいままで人生の中で経験してきたなにかを乗せる。盛ってあげる。大概、不快な経験が多いけれども、真実味は出るんじゃないかと思う。

読者さんによるとわたしはリアル追求型らしいのだけども、確かにどれだけ真に迫れるかを目指しているというところはある。読者さんに物語を読むことで、気持ちを追体験してほしい。そしてその気持ちを受け止めて、或いは刺さってくれたら。何人かに一人でもそういうひとがいてくれたら、書いたかいがあるんじゃないかと思う。

『青い鳥』でも「生きづらさ」について感じてくれた方がいらして、あの作品にちょっと自身を失いかけていたわたしは大いに励まされた。たくさん読まれること、みんなに評価されることだけがすべてではないと学んだ良い経験になった。

暗い人生の話でも、もしかしたら誰かの人生に「触れる」かもしれない。そのことを忘れずに書き進めようと思う。

1万文字のものがなんでもいいから書ければいいやと思って書き始めたんだけども、どうにもそれで終わりそうにない。そう、あんなによくわからずにいた『テーマ』が物語を支配し始めて、語らせていくようだ。

なるほど、これが『テーマ』か。なかなか重い。

そういう実体験を伴って次の文章教室に挑みたいところだけど、コロナのことを考えると7月期はまだ早いように思う。なにしろ家族がいるので、自分一人が都内で拾いました、というわけにはいかないのですね。

ということで、明日も病院。スケジューリングが悪くて通院3日連続となってしまい、明日が最終日。

暑くなってきてマスクも枚数、あった方がいいなと思うんだけど、なかなか進まない。この一週間、ミシンを踏んでない気がする。紙マスクが普通に売られるようになったけれどまだ3千円だし、子供たちも通学が始まっても布マスクでいいと言っているのでもう少し縫っておきたい。

今日の病院の先生とも話してたのだけど、第二波が来ないとは限らない。非常用(例えば発熱外来に行かなくてはいけなくなったり、家族が罹患した場合)に少し紙マスクは常備して、普段は布マスク使用で我が家は行こうという方針。先日、夢のようにかわいい(大人っぽい)花柄の布を手に入れたので、早くマスクに仕立てたいところだ。

病院に行くために、今日も睡眠サイクル、整えていきたいと思います!

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