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読書とは、暇つぶしである

衝撃でした。

今まさにじぶんが考えていたこと、いやそれ以上のことがハッキリと書かれていた本があったのです。ショーペンハウアーの「読書について」という本には、こう書かれていました。

読書するとは、自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ。他人の心の運びをなぞっているだけだ。それは生徒が習字のときに、先生が鉛筆で書いてくれたお手本を、あとからペンでなぞるようなものだ。したがって読書していると、ものを考える活動は大部分、棚上げされる。

ショーペンハウアー著「読書について」

読書が大好きで、これまでに何百冊という本を読んできたのに、いざ思い返すとこれといって頭に残っていない。いや、残っていないどころではない。

なにか悩み事があったり、壁にぶち当たったとき、とにかく「知りたいことがあればすぐに本を買ってしまうクセ」がついてしまい、じぶんの頭で考えることができないようになってしまったのかな?と感じていたところに、この本と出会ってしまったのです。

通勤電車の中でゲームをしている人や、YouTubeを見ている人、SNSをだらだらスクロールして見ている人や、Netflixを見ている人。そんな人達を横目でみながら「なんてムダな時間を使っているんだ」と心の中ですこし思っていたにもかかわらず、実は、じぶんが一番、何も考えていないムダな時間を使っていたのかもしれないとは。

たしかに、読書をしていると、その本に書かれているすばらしい考え方や、新たな発見がたくさんあります。そしてなんだかそれを知ったじぶんは、読む前よりも成長した気がするのです。

著者が人生を通じて経験した苦労や成功。そしてそこから学んだこと。そして知り得た事実や体験談を、1冊たった1000円とか1500円程度で買うことができる。

「本って、なんてコスパがよい自己投資なんだろう」と思っていました。

ところが、そうではなかったのかもしれない。

ショーペンハウアーの本には、こうも書かれています。

おそろしくたくさんの本を読んでいると、何も考えずに暇つぶしができて骨休めにはなるが、自分の頭で考える能力がしだいに失われてゆく

ショーペンハウアー著「読書について」

まさに、このとおりのことが自分に起きているのだと思います。

次から次へと本を読み、読書家気分にひたる。知的な人間にでもなったつもりでいる。ところが、実は何も考えずに暇つぶしをしていただけ。

読書について、このような見解が書かれた本にはじめて出会ったので衝撃を受けました。今まで自分が読書に費やしてきた時間とお金、数々の本のタイトルが頭の中をかけめぐり、それらすべてとは言いませんが、そのほとんどがただの暇つぶしだったとは。複雑な気分ですね。

でもなぜか、スッキリしました。じぶんの中でずっと「このままではいけない」とモヤモヤしていたことの理由が、ハッキリしました。

そして、その事実に気づくことができたのも、それもまた「読書」のおかげだというこの皮肉に、少し笑えてきます。

ただし、ショーペンハウアーは読書すべてが悪いと言っているわけではありません。悪書は読まない方がよい。良書だけを、何度も読むようにと書かれていました。

良書はどんなに頻繁に読んでも、読みすぎることはない。悪書は知性を毒し、精神をそこなう。良書を読むための条件は、悪書を読まないことだ。なにしろ人生は短く、時間とエネルギーには限りがあるのだから。

ショーペンハウアー著「読書について」

これからは、なにか悩みや壁にぶち当たったとしても、すぐに本は読まずにおこう。自分の頭でしっかり考えよう。脳みそに汗をかこう。他人の考えではなく、自分の考えを持とう。

そして、どうしても本を読みたくなったときは、ショーペンハウアーのこの言葉を思い出し、良書だけを、くりかえし、じっくり噛みしめて読もう。

本を読んでも、自分の血となり肉となることができるのは、反芻し、じっくり考えたことだけだ。

ショーペンハウアー著「読書について」

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