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【10クラ】第28回 革命の陰に咲き

10分間のインターネット・ラジオ・クラシック【10クラ】
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第28回 革命の陰に咲き

2022年1月28日配信

収録曲
♫クロード・ベニーニュ・バルバトル:クラヴサン曲集第1巻より 第7曲「ラ・シュザンヌ」

オープニング…サティ:ジュ・トゥ・ヴ
エンディング…ラヴェル:『ソナチネ』より 第2楽章「メヌエット」

演奏&MC:深貝理紗子(ピアニスト)


プログラムノート

歴史に「もし」を入れたなら、どれだけの「もし」を知りたくなるだろうか。歴史などという大きなものでなくても、自分の人生のなかでも「もし」を求めたくなることが誰にでもあったと思う。
私はあるとき、それが怖くなって「もし」をやめようと努めているが、今日の作曲家には少しばかり、「もし」を使ってみよう。

フランス革命は生活において、思想において、経済において、芸術文化において、大きな影響を及ぼした。
いまや観光の目玉として、先祖の手によって断頭台に消えていったアントワネットの肖像を施した商品が並んだ街を見ると、なんとも滑稽である。変わりゆく時代のなかで、彼らの生きざまもまた受け入れたのか、それとも戦利品好きの性から見た一種の勝利の象徴としているのか、フランス人の心の内はわからない。

フランス王朝の最も華々しい時代にやってきたアントワネットには何人もの家庭教師がついていたが、今回の作曲家バルバトルもまた、その一人だった。
バルバトルは1724年にフランスのディジョンに生まれ、オルガニストの父親のもと音楽家として育った。そのころフランスではラモーが大きな功績を上げていて、ドイツでは大バッハが既に偉大だった。
ちょうどモーツァルトの父レオポルトや、ヨーゼフ・ハイドンと同時期に生まれているバルバトルは、のちにパリへ出向いてノートルダム大聖堂の教会オルガニストと宮廷音楽家・教師という、時代に即した音楽家だったと言える。作風は典雅で品がある。どこか涙を誘うような旋律美には時代を先取りしたロマンをも感じる。
宮廷文化の傾いている最中が働き盛りだったバルバトルには、いったいどのような恐怖心があっただろうか。

「もし」革命が勃発しなければ、彼は間違いなくロココ、そしてギャラント様式の作品を数多く作り続けただろう。もしかしたらその安泰のなかで、もっと明朗な作風にもなっていたかもしれない。
実際は不穏な空気漂う宮廷を直に感じ、庶民の、そして過激派の若手政治家の勢いを予感しながら自らの職務を全うした。
生きるために、かつて自分の務めた宮廷をこてんぱんに歌い倒した「ラ・マルセイエーズ」の編曲で辛うじての生活をしのいでいった。それも、長くは続くはずもなく。

そんな彼は「アントワネットの師」ということで紹介するのは勿体ないくらいの音楽家であると思う。なぜならバルバトルの性急さはベートーヴェンのそれを予感させ、深く染み入る歌心はシューベルトのようだ。
いわゆる「古典派」から「ロマン派」の時代、フランス人作曲家の名前を見かけることが少ない。
リュリ、クープラン、ラモー。
で、ドビュッシー。
???
その間があまりに知られていない。
そこで、今回まず挙げたいのがバルバトルの存在だ。彼は革命の最中に道半ばで時代が変わりすぎた。貧困のうちに没するまで、書きたいものをかける環境になかったのだから。
そしてまた、フランスはいち早く民主主義を勝ち取ったからこそ、続く近隣国の音楽家たちは革命から離れ、なかには亡命もし、書きたいものが書ける環境の整ったパリに集まることができた。
対して渦中にいたフランス人が、革命というものを境に一瞬にして立場を変えることは困難でリスクがあり過ぎた。それに、いつの時代も美術や文学といったほかの芸術の少し後を追いかける音楽は、宮廷が幅を利かせていた時代に活動できる拠点などなかなか見出せない。筆一本で時代とともに身の危険も顧みず描き記すことのできる画家や文学者に対し、音楽家がそこで埋もれがちになってしまうのも無理はない。

革命によって波乱万丈な人生となったバルバトルの、新たな時代を予感させる作風は、復興されていくべきものと思う。「もし」革命前後にも活動拠点を見つけられるような環境があったなら、彼は間違いなくフランスにおける一時代の橋渡しをした人物であっただろう。
ただし―
その「もし」があったなら、これだけ陰影に富んだ表現が生まれ得ただろうか、という考えの繰り返しが待っているわけだが。

クラシック音楽を届け、伝え続けていくことが夢です。これまで頂いたものは人道支援寄付金(ADRA、UNICEF、日本赤十字社)に充てさせて頂きました。今後とも宜しくお願いします。 深貝理紗子 https://risakofukagai-official.jimdofree.com/