画像1

【10クラ】本日スタート!第1回プレリュード - 尚古と開拓 -

10分間のインターネット・ラジオ・クラシック【10クラ】
00:00 | 00:00
第1回 プレリュード - 尚古と開拓 -

2020年12月11日配信

収録曲
♫ジャン=フィリップ・ラモー:『新クラヴサン組曲』第1番 第4組曲より 第3曲「サラバンド」
♫クロード・ドビュッシー:『ピアノのために』より第1曲「プレリュード」

オープニング…サティ:ジュ・トゥ・ヴ
エンディング…ラヴェル:『ソナチネ』より 第2楽章「メヌエット」

演奏&MC:深貝 理紗子(ピアニスト)


プログラムノート

ドビュッシーを掘り下げれば、その時代の音楽情勢、さらには芸術全般の動きを垣間見ることができる、と言えるだろう。

私が取り上げていきたい「フランス音楽」の方向性は、独自の伝統に立ち返り、世界の動乱の中で消えゆいてはならないナショナリティ、もっと言えば、個々のアイデンティティの復活と提起、そこから沸き起こる新しい息吹への朽ちること無き探求心に、スポットをあてることである。

フランス近代は、ブルジョワジーの名残のサロンが辛うじて芸術家支援を続けているところから始まるが、ドビュッシーは云わば上流階級から追い出された「要注意人物」であり、その音楽の多くは「パトロン型サロン」からではなく、文化人たちの集う「サークル的サロン」から生まれている。
つまりドビュッシーの音楽は、音楽家やいわゆる「社会的エリート」よりも、画家や文学者、それも「印象派」と呼ばれるよりももっと濃厚で頽廃的な「象徴主義」「デカダン派」の流れを汲んでいる。

ドビュッシーの若き日のフランスは、熱狂的なワグネリアンに溢れ、劇的なイタリア・オペラが席巻し、教育現場でさえそれを踏襲するまでになっていた。
ドビュッシーはいち早くそれを揶揄した。大袈裟で、耳障りな表現、あからさまな感情の吐露を嫌った。
ドビュッシーの音楽の「掴みどころの無さ」は、一種の反骨精神と見受けられる。「全員にわかってほしいとは思わない、わかる人だけが、ただ共感してくれれば良い」とでも感じさせるようなスタイルであろうか。

フランスの立ち位置、他国に飲まれかけている状況を鑑み、自国のルーツを今一度示したのが、ドビュッシーの先輩にあたるサン=サーンス、フランク、フォーレである。その「フランス国民音楽協会」では、フレンチ・バロックの復興として演奏や研究が行われ、メンバー会員による新作発表なども行われた。ドビュッシーやラヴェルものちに会員となっている。

フレンチ・バロックの代表格ラモーは、法学を学ぶ傍ら、オルガニストの父の影響で音楽に触れた。教育についての書物、作曲法についての書物も残している。膨大な数のクラヴサン曲、現代においても斬新とさえ言わしめる超長編オペラなど、その功績は大バッハと並ぶほどに巨大である。
ラモーのオペラは、すでにインドやシルクロードを題材としており、フランス近代における文化人たちの「ジャポニズムブーム」とも重なり合うような、好奇心を掻き立てる内容となっている。そしてバロックには珍しく、「宗教」を前面に出すよりも、「愛」の壮大な物語を描いている。

ドビュッシーは多くの題材を扱い、その真意を謎解きと思わせるまでに仕掛けを施すが、ラモーという存在が大きな光となっていたことは、ドビュッシー音楽に迫る第一歩であると感じている。

今回は、ラモーの美しく、慈しみと風格の漂う舞曲「サラバンド」を光として、確固たるスタイルを切り拓こうとするドビュッシーの「プレリュード」から、「個」の輝きを感じていただけたら嬉しく思う。

尚古、そして開拓。
それは挑戦をし続けたい自分自身にも、深く響くスタイルである。

いいなと思ったら応援しよう!

musiquartierーピアニスト深貝理紗子のミュジカルティエ
クラシック音楽を届け、伝え続けていくことが夢です。これまで頂いたものは人道支援寄付金(ADRA、UNICEF、日本赤十字社)に充てさせて頂きました。今後とも宜しくお願いします。 深貝理紗子 https://risakofukagai-official.jimdofree.com/