【10クラ】第8回 風情溢れるアンティーク
10分間のインターネット・ラジオ・クラシック【10クラ】
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第8回 風情溢れるアンティーク
2021年3月26日配信
収録曲
♫モーリス・ラヴェル:古風なメヌエット
オープニング…サティ:ジュ・トゥ・ヴ
エンディング…ラヴェル:『ソナチネ』より 第2楽章「メヌエット」
演奏&MC:深貝 理紗子(ピアニスト)
プログラムノート
美しすぎるものに怖さを覚えることがあるように、ラヴェルの研ぎ澄まされた音世界には「固有の割れ物」感がある。
ラヴェルはドビュッシーやサティの10歳ちょっと年下で、作品の数は多くはないものの、フランス音楽界に大きな影響を及ぼした。
当時前衛的な芸術運動を巻き起こしていたバレエ・リュスには、ドビュッシーやサティ、ロシアのストラヴィンスキー、スペインのファリャ、ラヴェルの後輩のプーランクなどが名作を残している。
たとえば、ドビュッシーは文学・美術・踊り・音楽すべてが官能的に美しく薫る《牧神》を、サティはそれこそ実験的な《パラード》をかの名高いコクトーやピカソとのメンバーで大スキャンダルを呼んだ。
ストラヴィンスキーに至っては言うまでもないが、《火の鳥》《ペトリューシカ》《春の祭典》などセンセーショナルな作品の数々を世に送り出した。
スペインのスーパースター・ファリャはフランス音楽界とも篤い信頼を築いていたが、バレエ・リュスにはピカソとともに華やかな《三角帽子》を、プーランクはマリー・ローランサンと色彩豊かな《牝鹿》を、というように、ディアギレフ率いるバレエ・リュスには音楽家、画家、デザイナー、脚本家、多くの錚々たるメンバーが携わった。ココ・シャネルもその一人である。
ラヴェルは、そのようなバレエ・リュスと苦い経験もある。
《ラ・ヴァルス》は「こんなもので踊れるか」とディアギレフの反感を買った。
いまでこそ魅力的なバレエ・レパートリーになっている《ボレロ》ものちに生まれるが、ラヴェルの音楽は「ダンス向きでない」とされた。
そのなかで、試行錯誤の末生まれた壮大な世界を描く《ダフニスとクロエ》は現在に至っても芸術的視点から見ても重要な作品とされている。
ラヴェルは親しい友人をはじめ、周りの人々が戦禍へ向かうなか、無力さと葛藤した。
身体的な理由から戦いに出ることも許されず(そのおかげで名作の数々が生まれたわけだが…)、孤独と哀しさと、追悼の意を音楽に託した。
戦禍へ飛び込むつもりで、急き立てられるように書いた”遺書”であるピアノ・トリオは言葉に表せないほど素晴らしい。
左手のためのピアノ協奏曲や、《クープランの墓》にも、戦争の影響が色濃く表れている。
私の大切にしているレパートリー《鏡》には、風景や生き物の描写の裏に、どうしようもなく儚い人間の闇が描かれている。
ラヴェルの作品は、いつもそうだ。その裏の「割れ物」に気づいたうえで、奏者は再び、作者の望んでいたであろう「隠喩」的描写を緻密に描いていくのである。
《古風なメヌエット》は、そんなラヴェルがまだ20歳の頃の作品だ。
早くも「固有の割れ物」に満ちている。
フランス音楽界のルーツ、フレンチ・バロックの時代に対するラヴェルの皮肉と言われる「古風な」の表現を、私は隠喩のリスペクトと解釈する。
【10クラ】のエンディングには、ラヴェルの《ソナチネ》のなかの「メヌエット」を演奏している。
《クープランの墓》にも哀しいほどに美しい「メヌエット」がおさめられているし、ト長調コンチェルトの第2楽章もまた、ラヴェルのメヌエットに共通するような「語るような静けさ」が謳われる。
この美しい世界観を、大切に味わいたい。
2021年3月26日配信
収録曲
♫モーリス・ラヴェル:古風なメヌエット
オープニング…サティ:ジュ・トゥ・ヴ
エンディング…ラヴェル:『ソナチネ』より 第2楽章「メヌエット」
演奏&MC:深貝 理紗子(ピアニスト)
プログラムノート
美しすぎるものに怖さを覚えることがあるように、ラヴェルの研ぎ澄まされた音世界には「固有の割れ物」感がある。
ラヴェルはドビュッシーやサティの10歳ちょっと年下で、作品の数は多くはないものの、フランス音楽界に大きな影響を及ぼした。
当時前衛的な芸術運動を巻き起こしていたバレエ・リュスには、ドビュッシーやサティ、ロシアのストラヴィンスキー、スペインのファリャ、ラヴェルの後輩のプーランクなどが名作を残している。
たとえば、ドビュッシーは文学・美術・踊り・音楽すべてが官能的に美しく薫る《牧神》を、サティはそれこそ実験的な《パラード》をかの名高いコクトーやピカソとのメンバーで大スキャンダルを呼んだ。
ストラヴィンスキーに至っては言うまでもないが、《火の鳥》《ペトリューシカ》《春の祭典》などセンセーショナルな作品の数々を世に送り出した。
スペインのスーパースター・ファリャはフランス音楽界とも篤い信頼を築いていたが、バレエ・リュスにはピカソとともに華やかな《三角帽子》を、プーランクはマリー・ローランサンと色彩豊かな《牝鹿》を、というように、ディアギレフ率いるバレエ・リュスには音楽家、画家、デザイナー、脚本家、多くの錚々たるメンバーが携わった。ココ・シャネルもその一人である。
ラヴェルは、そのようなバレエ・リュスと苦い経験もある。
《ラ・ヴァルス》は「こんなもので踊れるか」とディアギレフの反感を買った。
いまでこそ魅力的なバレエ・レパートリーになっている《ボレロ》ものちに生まれるが、ラヴェルの音楽は「ダンス向きでない」とされた。
そのなかで、試行錯誤の末生まれた壮大な世界を描く《ダフニスとクロエ》は現在に至っても芸術的視点から見ても重要な作品とされている。
ラヴェルは親しい友人をはじめ、周りの人々が戦禍へ向かうなか、無力さと葛藤した。
身体的な理由から戦いに出ることも許されず(そのおかげで名作の数々が生まれたわけだが…)、孤独と哀しさと、追悼の意を音楽に託した。
戦禍へ飛び込むつもりで、急き立てられるように書いた”遺書”であるピアノ・トリオは言葉に表せないほど素晴らしい。
左手のためのピアノ協奏曲や、《クープランの墓》にも、戦争の影響が色濃く表れている。
私の大切にしているレパートリー《鏡》には、風景や生き物の描写の裏に、どうしようもなく儚い人間の闇が描かれている。
ラヴェルの作品は、いつもそうだ。その裏の「割れ物」に気づいたうえで、奏者は再び、作者の望んでいたであろう「隠喩」的描写を緻密に描いていくのである。
《古風なメヌエット》は、そんなラヴェルがまだ20歳の頃の作品だ。
早くも「固有の割れ物」に満ちている。
フランス音楽界のルーツ、フレンチ・バロックの時代に対するラヴェルの皮肉と言われる「古風な」の表現を、私は隠喩のリスペクトと解釈する。
【10クラ】のエンディングには、ラヴェルの《ソナチネ》のなかの「メヌエット」を演奏している。
《クープランの墓》にも哀しいほどに美しい「メヌエット」がおさめられているし、ト長調コンチェルトの第2楽章もまた、ラヴェルのメヌエットに共通するような「語るような静けさ」が謳われる。
この美しい世界観を、大切に味わいたい。
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クラシック音楽を届け、伝え続けていくことが夢です。これまで頂いたものは人道支援寄付金(ADRA、UNICEF、日本赤十字社)に充てさせて頂きました。今後とも宜しくお願いします。
深貝理紗子
https://risakofukagai-official.jimdofree.com/