【映画産業は不動産ビジネス】日本から世界的ヒット映画が生まれない理由
映画産業は不動産ビジネスなのですが、意外と映画ビジネスの基本と本質は知られていないようです。と言うのも結構前になりますが、『米学生アカデミー賞ファイナリストの日本人が語る「米アニメ界から宮崎駿が出ない理由」』という記事をたまたま見掛けたことにより改めて痛感したからです。
そもそもなぜ米アニメ界が宮崎駿や細田守を出さないといけないのか前提が不明です。ジョン・ラセターや記事にも出てくるピート・ドクターではいけないのでしょうか?以前の記事『【開閉会式で顕在化】エンターテインメント後進国日本の演出力不足』でも少し触れましたが、今回はまずアニメーション映画(CG含む)に限定した世界興行成績(興行収入)ランキングを見てみましょう。(尚、本稿では敬称などを省略することとします。)
アニメ映画世界興行成績ランキング
アニメーション映画(CG含む)に限定した世界興行成績(興行収入)ランキングで世界トップ10に入る日本のアニメ映画は存在しません。
それどころか、これも前出の記事『【開閉会式で顕在化】エンターテインメント後進国日本の演出力不足』で触れましたが、日本興行成績歴代トップのアニメ映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』の全世界興行収入であってもアニメ映画世界興行成績で第25位(前出の記事からワンランクダウン)の中国アニメ映画『哪吒之魔童降世』にさえまだ届かないのが日本アニメ映画の現実であると同時に本当の実力でもあります。
なぜ日本から世界的アニメ映画が出ないのか?
アニメーション映画(CG含む)に限定した世界興行成績(興行収入)ランキングの数字データという事実(ファクト)を見る限り、むしろ本来問わなければならないのは「日本から世界的なアニメ映画が出ない理由」なのです。
その理由を繙くにあたり、まず理由と密接に結び付く映画ビジネスの基礎をおさらいしましょう。
映画作品は映像コンテンツではない
映画ビジネスの基本としてまず映画作品は映像コンテンツではありあせん。もちろん、主に劇場興行終了後に映像コンテンツの側面を持つことは否定しませんが、第一義としては映像コンテンツではありません。
映画作品はアトラクション
それでは映画作品とは何でしょうか?映画作品は興行場(興行施設)である映画館にお客を誘致するためのアトラクションです。映画作品とは興行施設である映画館にお客を呼び込み、飲食しながら上演を楽しんでグッズなどを購入してもらうためのアトラクションなのです。
映画産業は不動産ビジネス
興行施設である映画館はアトラクションを体験するためのシート(座席)をお客に対して上映時間で貸し出しています。不動産会社が如何に空室率を低く抑えて収益を上げるのか、あるいはホテルが毎日の客室稼働率を高く維持して安定した収益を上げるのかを事業課題としているのと同様のビジネスモデルであり、興行施設である映画館の売上は上映毎の空席率をどれだけ低減できるかにかかっています。つまり、映画産業は不動産ビジネスなのです。
アトラクションの性質
ここでは分かりやすく遊園地のアトラクションを考えてみましょう。もしディズニーリゾートやUSJに特定の人が不快となるアトラクションや怪我人続出のアトラクションがあったらあなたはどう感じるでしょうか?もちろん、そうした趣向を好む向きも一定数いると思いますが、それはあなたが万人に自信を持って薦められるアトラクションではないはずです。アトラクションは訪れた全ての人が安全に安心して楽しめるよう様々な点に配慮して作られています。
ショービジネスとしての映画作品
アトラクションである映画作品も同じです。エンターテインメントビジネスとして映画作品を制作しているアメリカのスタジオは訪れた全ての人が楽しんでもらえるようにアトラクションを作っているのです。さらには映画館の大事な収入源であるポップコーンなどの飲食売上の支障にならず、むしろ飲食売上やグッズ売上の相乗効果になれないかとまで考えて映画作品というアトラクションを制作しています。
ブレイントラスト会議
従って、アトラクションである映画作品の制作においてブレイントラスト会議などで演出や表現方法から人種差別や動物虐待問題まで様々な視点からチェックして審査を行うのはエンターテインメントビジネスとして当然と言えます。
この会議は日本でよくある連帯責任という誰も責任を負わないことを確認するための儀式でも責任の所在を曖昧にするための儀式でもなく、アトラクションを作るための建設的な「コラボレーションする環境」としてのブレイントラスト会議です。
アトラクションとして極力訪れた全ての人に楽しんでもらえるエンターテインメント作品を提供するのが、アニメ制作スタジオに限らず、アメリカの映画制作スタジオの基本姿勢です。
エンターテインメントか?芸術(アート)か?
対して日本の製作委員会や映画会社などが製作し、アニメ制作スタジオなどの制作会社が制作するアニメ映画はエンターテインメントビジネスではなくどちらかと言えば芸術(art)作品であり、もっと端的に言うなら職人が作った工芸品です。
故に、日本では職人の棟梁である映画監督の作家性が重視される傾向にあります。ハリウッドでは映画はプロデューサーのものという印象が強いのに対し、日本では映画は監督のものというイメージが強烈なのはこのためです。
芸術(アート)と自慰行為は紙一重
職人の棟梁である監督の作家性を頼りに作られた映画作品はある意味で芸術(art)ですが、それは独り善がりの自慰行為と紙一重です。この性質を悪用して、日本では映画館に呼び込んでしまえば上映終了まで観客が逃げることはないだろうという魂胆から、芸術(art)に昇華することもなくエンターテインメントでもない作り手にとっての趣味でしかない自慰行為作品が大半を占めるようになっています。
100人に1人が観ればヒットの日本市場
作り手にとっての趣味でしかない独り善がりの映画作品であっても日本という比較的市場規模の大きな島国では、人口の100人に1人が劇場(映画館)で観れば興行収入21億6,000万円(単価1800円 × 120万人)のヒットになるというマーケットの特殊性、カルトとして自慰行為作品を支え続ける日本のファンダム(オタク)文化とが相俟って一見好循環とも受け取れなくもない作用が日本国内を支配しています。
海外では通用しない日本の自慰行為作品
しかし、海外市場は島国市場とは大きく異なります。作り手にとっての趣味でしかない自慰行為作品は世界市場では通用しないのです。ただ、日本のアニメ映画作品はむしろまだいい方で、この悪しき傾向は日本の実写映画作品に色濃く見受けられます。日本アカデミー賞を見れば分かる通りほとんど自慰行為作品の傷の舐め合いでしかありません。
アトラクションはエンターテインメントの基礎
アトラクションの演出は全てのエンターテインメントのベースとなるものです。日頃からアトラクションに対する認識が希薄な日本のショービジネス業界が総合エンターテインメントショーでもあるオリンピックの開閉会式でまともな演出さえできないのは当然と言えます。
OTT時代の到来
劇場公開後の映画作品を待ち受けるプラットフォームはNetflixなどのOTT(over-the-top media service)というのが世界の潮流となっています。場合によっては映画館とOTTの同時公開です。
日本の映画作品が劇場公開時に運良く観客を映画館に閉じ込められたとしても、映像コンテンツとして胡坐をかく間もなくステージはOTTに移行します。OTTの視聴環境の過酷さはポップコーンとペプシの比ではありません。
OTTの視聴はある者は通勤・通学の電車に乗りながら、ある者は仕事の合間に、あるときは倍速で、またあるときは飛ばされ、またあるときはアイスを取りに行くために止められ、ある者は視聴の途中でTikTokやYouTubeに切り替え、ある者はスマホゲームやビデオゲームの誘惑に負けて簡単に視聴を打ち切ることができます。もともと人々が娯楽の中で映画に費やす割合は1割でしかありませんが、OTTによってさらに競合との競争が熾烈になりました。
このOTTという過酷な視聴環境でますます重要となるのが映画作品のアトラクション性です。OTT時代には、映画作品は二次的にも映像コンテンツの色合いを強めることはなく、視聴者に襲い掛かる数々の誘惑を振り払い魅了し続けるアトラクション性の重要度が格段に増すこととなりました。因みに、これは映画作品以外にも当てはまります。
アニメーションの表現技法
さらに、話をアニメーションに戻すと、これも前出の『【開閉会式で顕在化】エンターテインメント後進国日本の演出力不足』で触れましたが、日本は「パラパラマンガ」以外のアニメーション技術(技法や手法)において後進国です。
世界各国の国際映画祭を年中巡っているときに出会った短編アニメーション部門のノミネート作品は度肝を抜かれるものばかりでした。優れた作品コンセプトに裏打ちされた様々なアニメ技法による斬新な演出とウイットに富むテーマ表現。特に当時はカナダの短編アニメ映画作品レベルが頭ひとつ抜きん出ていました。
アメリカ学生アカデミー賞のアニメ部門ファイナリストである田村鞠果が海外でアニメーションを学ぶ決断をしたのは英断だったと思います。
短編映画作品はアニメーターの名刺
海外においては自分の作家性を存分に詰め込んで制作した短編アニメーションが自分の名刺代わりとなります。アーティストとして仕事を得るときもスタジオなどに自分を売り込むときも基本的には短編アニメーションで評価されます。
しかし、気になるのは日本から国際映画祭などへの短編アニメーションの出品数の少なさです。私が世界中の国際映画祭を巡っていたときには日本からの出品数は韓国の3分の1しかありませんでした。恐らく、この傾向は現在も変わっていないのではないでしょうか?
確か今回のアメリカ学生アカデミー賞アニメ部門(Domestic)金賞は韓国(あるいはコリア系)の受賞者だったと思います(しかもプロパガンダ作品)。実は国際映画祭などの短編アニメーション部門でノミネートされるような作家性を有した学生やアニメーターが日本に十分いるとは言えない状況です。
宮崎駿や細田守、新海誠などのように自分でアニメ作品を作れる極少数の人物と好きなアニメ制作スタジオで指示されるがままアニメを描きたい大多数のアニメーターという層に二極化しているような気がしないでもありません。それはそれで悪循環を招いているのではないでしょうか?
日本から世界的なアニメ映画が出ない理由
以上、ざっくりと見てきたように「日本から世界的なアニメ映画が出ない理由」は「映画作品はアトラクションである」という大前提を無視して作り手にとっての趣味でしかないアニメ作品を作っているからです。ただ、アニメ映画はまだましで、日本の実写映画は作り手にとっての趣味でしかない独り善がりの自慰行為作品を観客に押し付けるので世界的なヒットは望めないのが現実です。
芸術性とエンターテインメント性の融合
アメリカのアニメ制作スタジオには名刺代わりの短編アニメーション作品によって国際映画祭などで受賞した(あるいはノミネートされた)作家性のあるアニメーターがごろごろいます。アニメ制作スタジオはあくまでそれら作家性を持ったアニメーターがコラボレーションするための環境です。天才はひとりでも存在しますが、天才を天才たらしめることはひとりではできないからです。
彼らはエンターテインメントビジネスとして映画館のためのアトラクションであるアニメ映画作品を制作します。アトラクションという土台に芸術性とエンターテインメント性を盛り込んだうえで、徹底的に無駄を削ぎ落として制作するからこそアメリカのアニメ制作スタジオは世界的なアニメ映画作品を数多く生み出しているのです。
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