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きっと人生においてあの時間は必要だった。

思い返すと12年前の春、

僕は高校を卒業して音楽の専門学校へ進みました。

同級生が大学へ行ったり働き始めたりする中で

音楽の道を志して2年間の猶予期間を設けました。


2年後、友達は大学3年生に、
そして社会人3年目に。


専門学校から卒業後、約2年間は
アルバイトをしながら稼いだお金をライブ活動や
制作活動に充てる毎日。


稼いでもLIVEにお客さんを呼べなければ
お金は掌からこぼれ落ちていくばかりでした。


成人式の時に
「隼は音楽をやっててカッコいいね!」と言ってくれた友達も


2年後社会人になる時は
「そっか。まだ音楽続けてるんだね。羨ましい。」

そんな言葉に変わりました。


成果を出せてない自分を嫌になりながら
それなりに傷ついた思い出があります。


でも今思うのは、


あの時間があってよかった。

音楽を通して、人とのギャップを感じれたことは

めちゃくちゃ活きていると思う。


一生懸命やっていることが

誰かにとっては異常だったり

目障りだったり妬みの対象になったりする。


もし人生に規定ルートが存在するのであれば、

そこを外れた人間を許せない人もいる。


そういう人の尖った感情の対象になった経験は

自分にとって大切な要素だった。


誰かが大学を休学して海外に行ってみたり、

誰かが望まない留年の中で見た景色とか、

誰かが転職まで過ごした1ヶ月の感覚はどこか似ていて、

誰かにとっての"無駄"は、実は有意義だったりする。


そこでいうと、今回のコロナもそう。


在宅をしてみて世の中の見え方が変わったり、

簡単に経済が破綻すると分かった時に

今までの働き方で良いのかな?とか、

俯瞰して物事を見る時間は必要。


「絶対なんて絶対ない。」ってそれはもう既に絶対です。
#RADWIMPS #37458


こうだ!って決めつけていた価値観は

どこかで崩れ去って初めて昇華していく。


そういう意味では10代から価値観が変わらないのは

ある意味怖いことなのかもしれないね。


世の中に寛容になり受け入れてみて創造する。


違いがあって当然。だから気にすることはない。

いや、気にしてたらキリがない。

隣の人とは違う僕をどう愛せるか、そして信じれるか。


いつだって僕は井の中の蛙なんだろうなぁ〜


そんなことを思った、涼風纏う5月の夜でした。#情緒的


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