涙があふれてくる ブラームス「ヴァイオリンソナタ第1番」《雨の歌》 op.78
この作品が気になりだしたのは今年6月の頃でした。ちょうど梅雨時でもあり、メールマガジン用記事のテーマにしようという不埒な動機(笑)もあったのですが。秋も深まりつつある今、時期を逸してしまった感があるけど、まあ、雨は四季を通じて降りますし問題ないかと。
(↑冬は雪になる地域もあるぞ!)
「雨の歌」という副題が気に入っていました
まったく個人的好みで恐縮ですけど、私は雨が好きです。
雨は一般的に嫌われているようで、「明日の天気は雨」と聞くと憂鬱な気持ちになる人が多い気がします。そりゃそうです。濡れるし、雨具が必要で、靴も濡れズボンも濡れ、帰宅してから洗ったり乾かしたり、いろいろな処置に手間がかかります。
でも、雨が降ることで空気や大地、そして道路が洗われます。植物にとって雨水は一種のプレゼント。水は地球という惑星の源ですから雨は天からの恵みといえるでしょう。
…って能書きは、このあたりでやめておきます。
このソナタの副題が「雨の歌」の理由
ブラームスがKlaus Grothの詩を使い書いた歌曲作品59-3 "Regenlied"(=雨の歌)のメロディを、第3楽章に使用しているため、この副題がつけられたそうです。
もっとも命名者はブラームス自身ではありません。後の誰かがつけた「通称」です。ベートーヴェンの交響曲につけられたニックネーム「運命」や「田園」みたいなものです。
正式タイトル「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第1番」じゃ、人目を惹きませんが、「雨の歌」とあれば人は「なんだ、なんだ?」と注目するでしょう。私のような雨好きじゃなくて、雨嫌いの人には少し逆効果かもしれませんが、想像をふくらませて音楽に臨もうと思うかも知れません。(思わない?)
第1楽章
穏やかに飛び跳ねるような、という表現もおかしいけど、ヴァイオリンのそんな印象的リズムによるメロディで始まる第1楽章。優しい雰囲気に心和みます。ジャララーンと和音を流れるように奏でる寡黙なピアノも素敵です。
何度も聴き続けるうちに私は最近、この第1楽章は第3楽章(歌曲「雨の歌」のメロディをモチーフにしている)の変奏のような気がしています。長調のメロディが上下流れるように進行しています。シンコペーションのピアノ伴奏部が少し不安定に感じますが、それも「味」ですね。
第2楽章
第2楽章も「雨の歌」の変奏ですね。ゆったりとしたリズムが心を落ち着かせてくれます。中間部は力強いピアノがきざむ低音和音がむしろ悲しげです。主役はピアノでヴァイオリンのメロディは装飾の役割にも思えてきます。
まるで二台のヴァイオリンで奏でているように聞こえる和音中間部。印象的です。
ふたたびピアノが重苦しくきざむ低和音を飾るヴァイオリンの神経質なメロディが静寂に色を添えます。
第3楽章
歌曲「雨の歌」のメロディは七変化して雄弁に語るのを、小刻みなパッセージでピアノが包み込みます。ときおり呼応のようにピアノがメロディのリズム「たんたたーん」と鳴らすところは、両者の会話みたい。
抽象的能書きはこの辺にして、私がこの文の中で強調したいこと。それは、第3楽章を聞くと、自然と涙が溢れてくることです。メランコリックな音色が感情の蛇口の元栓をゆっくりと自然に開いているかのごとく。
名盤は数多い中、私が本日お勧めするのは、三浦文彰(ヴァイオリン)と辻井伸行(ピアノ)による演奏です。
特に第3楽章は他に比べテンポがゆるやかで、音を噛みしめるようにていねいに奏でている点が、私は好きです。
甘美なメロディを妖艶に奏でるアンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)とランベルト・オルキス(ピアノ)のコンビによる演奏もお勧めです。身震いします。