プロダクション「会社」を辞めて何がしたかったのか。
努めていたプロダクションを辞め独立したのが2008年。あれから12年、よく生き延びてるもんです。(笑)初心忘るべからずということでこの大変な時期自分に気合をいれるためにも少し、したためさせていただきます。
会社のメンバーであるからには会社が決めたアーティストを担当する。当然のことです。自社のアーティストを売らないとオマンマの食い上げです。いいアーティストなのに売れない。ならば売れるようにしろ。これも当然です。で いろいろやって売れなければどうなるか。契約更新がない。それだけです。毎年1月~3月様々なドラマに遭遇していたのを今もはっきり覚えています。
プロのスタッフとしてお仕事をする上ではそれなりの結果を出させていただいていたのですが年齢を重ねるごとに自分の中のこだわりが強くなってきました。好みと一言では言い表せないモヤッとしたものなのですが自分がいつまでこの仕事を続けられるのか、自分の人生に悔いはないか、様々な自問自答が続き、やるならまだ身体が動くうちにと2008年、会社の社内事情もきっかけになり「えいやっ!」で事務所を立ち上げた次第です。イベント制作や専門学校の非常勤講師などをしながら残りの人生を共に転がってくれるアーティストを探し始めたわけです。今2人3脚で走っている波多野菜央との出会いはまたの機会にということで。
とにかくLIVE HOUSE は片っ端から。夜な夜なHPやSNS Youtube などうろつきながら「いいアーティスト」を探して。 いいアーティストの基準とは何か? 僕はもとより音楽に良い音楽も悪い音楽もないという考え方です。超絶技巧でバカテクなミュージシャン、それはそれで立派なセールスポイント。へたっぴでピント外れそれもまた魅力。地味だけど飽きないよねなんてのも素敵な事です。昔の話になりますがまだ若かれし頃 その時付き合ってた彼女が狭いボロアパートのキッチンで歌ってた鼻歌がアリーナでツアーをするアーティストの歌より何百倍も心に沁みたのを覚えています。
どこかに僕のハートをガシッと鷲掴みにして共に転がりましょう!という奴はいないか? 音楽的な素材はもちろんの事それ以上にその基準こそがその時の僕にとっての「いいアーティスト」だったわけです。老若男女関係なく。
そして独立から10年、波多野菜央というアーティストに出会いました。その時思ったのです、いい歳こいて何を言ってるんだと思われるかもしれませんが「運命の出会い」ってやはりあるものだということです。時代に迎合するのではなく自身の世界をしっかり持っているアーティスト、一番先頭で風を一身に受け共に行けるところまで。そうかこれがやりたかったんだとあらためて思った次第です。