やさしく読める作曲家の物語 シューマンとブラームス 18
第一楽章 シューマンの物語
17、すれちがう心 室内楽の年
マリエを授かり、母となった喜びをかみしめるクララですが、自分のためにも、そしてなにより3人になった家族の生活のためにも、演奏活動をしなければなりません。
幸い、3月に開いた演奏会の評判が高く、あちこちからお誘いはあるのですが、まだ生まれたばかりのマリエを置いてでかけるわけにもいきません。
それでも12月になると二人はマリエを預け、そろってワイマールへ出かけて演奏会を開きました。
ワイマールで出迎えてくれたのは、あのリストです。
相変わらず派手好きで、社交家のリストはワイマールで王様のように振る舞っていました。シューマン夫妻とは水と油のように全く違う性格なので、クララは居心地の悪いものを感じますが、根が親切なリストは、クララのピアニストとしての才能を高く評価しもてなしてくれます。
一方のクララもまたリストのピアニストとしての才能だけは認めていました。
二人がライプチヒに帰ってくると、追いかけるようにリストがライプチヒにやってきます。ちょうどライプチヒでは、クララのピアノとシューマンの新しい交響曲による演奏会が開かれようとしていました。
この交響曲は、クララのお誕生日にシューマンがスコアを送ったあの交響曲です。それだけシューマンもこの演奏会を大切に思っていました。
ところが、リストは持前のサービス精神で、演奏会に飛び入り参加。
クララに花束を贈り、二人でリストの作曲した「ヘクサメロン」という曲を二重奏 したのでお客さんは大喜びです。
しかし、そのおかげでせっかくのシューマンの交響曲は霞んでしまったのです。そのせいでしょうか、
「今日の君の演奏は全然良くなかったね」
と、シューマンはすっかりひがんでしまったようです。
新しい交響曲の評判が良くなかったことも、機嫌が悪い原因の一つです。
シューマンはこの交響曲を作り直すことを決めますが、結局「交響曲第四番」として完成するのは10年もあとのことになるのです。
「本当にリストにも困ったものだわ・・・」
そう思いながらも、クララは演奏家としての血が騒ぎはじめていました。
実際、この演奏会の後クララの評判は再び高まって、次々と新しい演奏会のお願いが舞い込んでくるようになりました。
年が明けると、シューマン夫妻はそろって北ドイツの都市に演奏旅行にでかけることにしました。各地でクララは大歓迎されます。
幼いころから慣れ親しんだ演奏旅行をすることで、クララもまた自らピアニストとしての誇りや喜びを取り戻していました。
演奏会前の緊張、音楽と一体になる感動と興奮、お客様の拍手や賞賛の声。
それらはクララの人生では欠かすことのできないものだったのです。
「クララさん、よく来てくださいました。素晴らしい演奏で大感激です」
「私はあなたの演奏を前にも聴きましたよ。まだクララ・ヴィーク嬢の頃にね」「あなたがご主人ですか?こんな素晴らしい女性と結婚できてお幸せですね」
どこへ行っても、人気者はクララだけです。
しかも、オイテンベルクでは宮廷からの招待状がクララにしか届きません。一人で留守番をすることになりシューマンの我慢も限界です。
「ぼくは君の付き人じゃないんだよ。ぼくにも雑誌の仕事があるし、もちろん作曲の仕事もある。それを犠牲にして一緒に来ているというのに。君には君の芸術があるというのなら、君が一人で旅に出て、ぼくが子どもと家に居るのが一番だ。まあ世の中の人は何というかわからないけどね」
「ロベルト、なんてひどい事を言うの・・・」
コペンハーゲンからのお招きを受け、もう少し旅を続けようとするクララを置いて、シューマンは一人ライプチヒに帰ってしまいます。
初めての大ゲンカに、クララの心も痛みます。けれど、これからの生活の事や、ピアニストとしてのキャリアを考えると、クララも旅を続けないわけにはいかないのです。そもそも、1人で演奏旅行に行くのは初めてではありません。
「大丈夫。今までだって一人でやってきたのだもの」
と、クララは自分を奮い立たせて一人コペンハーゲンへ向かいます。
しかし、運悪く旅の途中嵐で船が出なくなり、荒れ狂う海を前に1人で次の船を待っていると、愛するロベルトや可愛いマリエの事が思い出されて心細く、早く家に帰りたいと思ってしまうのでした。
一方のシューマンも、ライプチヒに帰ったもののクララのことが思われて、作曲どころではありません。
「ぼくは何て馬鹿なんだ。クララを一人で行かせるなんて・・・」
シューマンも一人で悔やみ続けます。
彼にとってもクララは自分の命と同じくらい大切で、一刻も離れられないものである事を今更ながら思い知るのでした。
雨降って地固まると言いますが、二人の心のすれちがいは結果としてお互いが掛け替えのない大切な存在だということを改めて教えてくれたのです。
そして五月。
「お帰り、ぼくのクララ」
ライプチヒに戻ってくるクララのためにシューマンは部屋を花で美しく飾り、優しい眼差しで迎えてくれました。
「さあ、これからまた良き日が待っている」
この日、シューマンはそう日記に書きました。
この年、シューマンもただクララのお供をしていただけではありません。
交響曲作りが一段落して、次に彼が取り組んだのは室内楽です。
室内楽は、大勢で演奏する交響曲とは違い、もっと少人数、例えば3人とか4人で演奏するスタイルのことです。
人数が少ない分、一つ一つの楽器の魅力が生かされて、まるで楽器同士でおしゃべりをしているような楽しさがあります。シューマンもこの室内楽の魅力に取りつかれたのでしょうか、ヴァイオリン2本と、ヴィオラ、チェロによる弦楽四重奏や、それにピアノが加わったピアノ五重奏や四重奏などの名曲がこの年に生まれています。
特に、クララもよく演奏した「ピアノ五重奏曲」(作品44 )は今でも最高傑作として多くのピアニストに愛されています。
メンデルスゾーンに捧げられた弦楽四重奏(作品41)のお披露目はちょっと変わった形で行われました。
それは夫婦の3回目の結婚記念日、そしてクララの23回目のお誕生日である
1842年9月13日のこと。
クララが朝起きると、階段にヴァイオリニストのダヴィッドとその仲間が並んでいるではありませんか?
すると彼らはおもむろに素晴らしい弦楽四重奏を三曲続けて奏で始めたのです。
「まあ、もしかしてこれはロベルトが作曲したの?
なんて素敵なプレゼントでしょう」
初めはサプライズプレゼントにびっくりしていたクララも、曲が進むにつれてロベルトの才能の素晴らしさを改めて感じ、ますます尊敬の気持ちを深くするのでした。
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