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やさしく読める作曲家の物語 シューマンとブラームス 31
第四楽章 ブラームスの物語
1、 旅立ちの秋
「いよいよ行くのね」
1956年10月。
ロベルト・シューマンが亡くなって3か月。
深まりゆく秋のデュッセルドルフ駅にブラームスとクララの姿がありました。
「ロベルトが亡くなり、大きな子供たちは寄宿舎や親せきの家に行ってしまい、そしてあなたまで故郷のハンブルクに帰ってしまう・・・。
寂しくなるわ。まるでもう一回お葬式をしているよう。」
いつになく気弱なクララにブラームスも心が揺れます。
「クララ・・・。でも、またすぐに帰ってきますよ。
今までと同じように・・・」
「そうね。でも、私たちはあなたに甘え過ぎてしまったわ。
この2年半あなたは曲を作る事もほとんどなく、私たち一家の世話に明け暮れてしまったのですもの。
子どもたちにも、決してあなたの御恩を忘れてはいけないと言い聞かせるつもりよ」
「当たり前の事をしただけです。
わたしにとってシューマンご夫妻は掛け替えのない方々なのですから」
「でも、あなたの才能をつぶしてしまったらロベルトに叱られてしまうわ。ハンブルクではご両親があなたの帰ってくるのを待っているでしょう?」
ブラームスはちょっと苦笑いをしました。シューマン家のことにかかりきりの息子の事を、お母さんはいつも案じていたのです。
「今年の夏は、お姉さまにもすっかりお世話になってしまったわね」
愛するロベルトを失ったショックから立ち直れないクララを、ブラームスは姉のエリーゼやクララの子供たちも誘ってスイスへ旅に連れ出していたのです。
「でも、美しい景色を見てずいぶん気持ちが落ち着いたわ。本当にありがとう。私もいつまでもめそめそしていられないわ。子供たちのためにもしっかりしなくては。」
「ぼくもシューマン先生のように素晴らしい曲が書けるようにがんばります。
それでクララ・・・。お願いなのですが、
新しい曲が出来たらいままでのようにまた見て頂けますか?」
「もちろんよ。完成したらすぐに送って下さい。楽しみにしているわ」
「11月にはヨアヒムと一緒に先生の追悼音楽会を開きます。
ぼくは先生のピアノ協奏曲を演奏するつもりです。
聴きにいらして下さいますよね」
「ええ。そのつもりよ。クリスマスには帰って来て下さるの?」
「子供たちも皆家に帰ってくるでしょう?
ぼくも彼らと一緒に過ごすクリスマスを楽しみにしています」
ブラームスは美しいクララの姿を目に焼き付けて、思い出深いデュッセルドルフを後にしました。
初めてシューマン家を訪れて過ごした夢のような日々から三度目の秋。
様々な思い出が汽車の窓に浮かんでは消えて行きます。
シューマン先生が自殺未遂を起こしたという知らせを聞き、このデュッセルドルフにかけつけて以来、入院している先生のために、そして残されたクララと子供たちの為に、ブラームスは出来る限りの事をしてきました。
そんな日々のなかで、クララに対するあこがれは、もっと強く深い想いへと変わって行きました。
「尊敬する奥様」で始まっていたクララへの手紙は、いつしか「愛するクララ」「最愛のクララ」で始まるようになり、ブラームスはその想いを伝えずにはいられなくなっていったのです。
クララにとっても、ブラームスは「特別な人」で、彼の心遣いや愛情にどれほど救われたかわかりません。ブラームスが居たからこそ、嵐のような日々を何とか乗り越える事ができたのでしょう。
クララは日記の中で子どもたちに、どれだけブラームスがクララを励まし力づけてくれたかを記し、ブラームスは自分にとって真の親友であり、彼ほど愛した友は他に居ない事をわかって欲しいと語りかけています。
それ程深い絆で結ばれていた二人ですが、その二人を強く結びつけていたロベルト・シューマンがこの世を去った今、これ以上クララのそばにいてはいけないとブラームスは思ったのです。
クララがロベルト以外の人を愛することは決してない事を、ブラームスはだれよりも知っていました。しかも、ブラームスとクララは14歳も年が離れています。無責任な人たちが二人の仲を面白おかしく言っているのも知っていました。二人の間にある想いは、二人にしかわからない特別なものだったに違いありません。
そして今、一つの季節が終わったことを感じていたブラームスとクララにとって、この日の別れは特別な意味を持っていました。
この後も、ブラームスはお休みになれば当たり前のようにクララと子供たちのもとへ帰ってきて共に過ごし、まるでシューマン家の一員のように一生親しく関わりあってゆくことになります。
一生を通じてクララとブラームスの間にはお互いを思いやる手紙が沢山ゆきかい、新しい曲が完成するとブラームスは必ず一番はじめにクララに見せて意見をもらう事にしていました。
しかし、ブラームスはクララへの深く強い想いは心の奥底に大切にしまったまま。それを表に出すことは二度とありませんでした。
「ぼくの青春は終わったのかもしれない。これから立派な作曲家になること。それがシューマン夫妻に対する一番の恩返しだ」
故郷へ向かう汽車のなかで23歳のブラームスはそう感じていました。
クララへの叶わない想いは彼を大きく成長させていたのです。
こうして、決意も堅くハンブルクに戻ったブラームスは、演奏家として活躍する一方で、作曲にも本格的に取り組むようになりました。
シューマン一家の世話に明け暮れて、仕事の面では目立った活躍の無かったと思われるデュッセルドルフでの2年半ですが、ブラームスにとって決して無駄なものではありませんでした。
ヨアヒムやクララと共に演奏会に多く出演して、ピアニストとしての経験を積み重ねることが出来ましたし、同じ作曲家仲間のグリムやディートリヒなど多くの友達と知り合い、お互いに刺激を受けてたくさんの事を学びました。
後にブラームスの力強い味方になった評論家のハンスクリットや、ブラームスの歌曲を歌ってくれた歌手のシュトックハウゼンと知り合ったのもこの時期です。
完成したものは少ししかありませんでしたが、決して作曲をしていなかったわけでもありませんでした。
それどころか、彼がデュッセルドルフから持ち帰ったかばんの中には名曲の卵たちが沢山入っていたのです。
その中からまず彼が取り出したのは、以前二台のピアノのためのソナタとして作曲し、クララたちと一緒に演奏した思い出の曲です。
彼はその曲を交響曲に作り変えようと色々と工夫したのですが、どうしても思うような曲に仕上がりません。交響曲を作曲するのは作曲家にとって大きな夢ですが、それを実現させるまで、ブラームスにはまだ長い年月が必要でした。
そこで、心機一転。ブラームスはそれをピアノ協奏曲にしようと考え、苦心の末、どうにか第一楽章を仕上げる事ができました。
「とても素敵な協奏曲だわ!きっと良い曲に仕上がるわ。
演奏できる日が楽しみよ」
と、約束通り楽譜を受け取ったクララは褒めてくれましたが、なかなかブラームスの納得のゆく曲に仕上がりません。
ヨアヒムにもアドバイスをもらいながら、デュッセルドルフの思い出が詰まったこの曲と粘り強く取り組み続けるのでした。
ハンブルクに帰って一か月後の11月には、クララと約束した通りヨアヒムと一緒にシューマンの追悼演奏会を開きました。
もちろん、客席にはクララの姿がありました。愛するロベルトのピアノ協奏曲を演奏するブラームスを、クララはどんな思いで見つめていたのでしょうか。
そして、クリスマスが近づくと、ブラームスは子どもたちそれぞれに心のこもったプレゼントを抱えて、当たり前のようにデュッセルドルフのシューマン家に帰ってきました。
「ヘル・ブラームス!来ていたのね!今年のクリスマスプレゼントはなあに?」「それはまだナイショだよ」
学校の寄宿舎や預けられていた先から戻って来た子どもたちは、ブラームスの姿をみつけて大喜びです。
「おかえりなさい。ヨハネス」
クララもいつも通りやさしくブラームスを迎えるのでした。
久々ににぎやかさを取り戻したシューマン家ですが、皆にとって一番大切な人はもう居ません。
クララは思い出の多いこの家を離れて、春になったらお母さんの居るベルリンへ引っ越そうと考えていました。
「ここで皆と過ごすクリスマスは、これが最後になるのだわ」
シューマン家にとって、そしてブラームスにとってもつらく悲しかった1856年が静かに終わろうとしていました。