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【ネタバレあり】映画「怪物」についての2つの疑問

このnoteは主に、自分の音楽プロジェクトMusicoluneの活動について書いています。

しかし、今回の記事は映画「怪物」について。
自分の意見をまとめたかったので、書く事にしました。
是枝監督か坂元裕二さんから反論来ないかな。

ネタバレあり。
そして、少年達とは違う当事者ではない立場からの意見表明です。

怪物は誰か?という主題については異論無し

雑居ビルの火災から始まる数々の事件。
登場人物の偏見から、相手を「怪物」と見なし状況は悪化していく。
しかし、それぞれの視点から事件が描き直されると、「怪物」と思われる人物は一人しかいなく、その偏見こそが「怪物」だと分かる。

怪物と思われた人物は、実は優しい人達である事が分かる過程はとても見事で、全く異論は無かったです。

星川君を「治療」しようとする父親だけは怪物。


1つ目の疑問「LGBTQに特化した作品ではない」という是枝監督の発言

是枝監督は「LGBTQに特化した作品ではなく、少年の内的葛藤の話と捉えた。誰の心の中にでも芽生えるのではないか」と言っている。

この発言について、自分は疑問を感じています。
LGBTQを偏見視する怪物達に苦しめられる少年達を主人公にしながら、それは主題では無いと言って良いのか?
それは、つまり自分達が言いたい事が別にあり、LGBTQの人達の苦悩はそのネタ元なんですよ…とも聞こえてしまう。
実際に苦悩している人達がいると言うのに。

これは作品の中で批判している怪物側の視点じゃないですか?

2つ目の疑問、物語のラストについて

ここからは完全ネタバレなので、観てない人は読まないで下さい(笑)


物語は、下記のどちらとも取れるような終わり方をします。
そして、その解釈により作品の評価が180度変わる。

①台風による土砂崩れに巻き込まれて、主人公である2人の少年が亡くなる。
②2人が無事に助かり、彼らの想いが叶う様な美しい世界へ走り出す。

映画が終わった時、自分はどちらの結末なのか分からなかったです。
ただ、冷静に後で考えてみると、②だった場合2人を心配してかけつけた湊の母親と保利先生に会っているはず。しかし会っていない。
という事は①が物語の結末だと自分は解釈しています。

そう解釈した時に、何が問題か?

LGBTQへの偏見が元で亡くなってしまった少年達の死を、当事者ではない私達が美しいものとして涙を流す。
つまり、LGBTQの人達により沿った物語ではなく、娯楽として消費してしまっているのではないか?という疑問です。

この物語のラストで流れるのは坂本龍一さんのAqua。
自分も好きな曲です。
悲劇として描かれているのであれば異論は無いけど、美しいものとして描かれている様に思えます。
LGBTQの当事者で無い人達が、この様な結末を描くのは怪物側の視点では無いですか?

ちなみに、こちらの記事で、是枝監督はLGBTQの方の意見を聞きながら、作品を作ったと言っています。

しかし、この記事を読んでも、自分の疑問は解消しませんでした。
映画で表現しているものと、乖離していると自分は解釈しているからです。
是枝監督か坂元裕二さんから反論来ないかな。(2回目)






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