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バッハ エピソード37 コレギウム・ムジクム BWV 1067 

教会カンタータの作曲が落ち着いた頃、1729年にバッハはコレギウム・ムジクムという、大学の学生たちから成る演奏団体の指揮者を引き受けます。この団体は、1701年にゲオルク・フィリップ・テレマンが創設したものです。

彼らは市内のツインマーマンのコーヒー店を中心に活動を行なっていました。
コレギウムの指導は1729年から37年まで続けられ、数年のブランクをおいて39年に再び指揮者を務めています。
冬場は金曜日の夜、夏場は水曜日の夕方に演奏会を開催。
バッハは、このツィンマーマンのコーヒー店や屋外で催されるコンサートのために、ミニ・オペラのような世俗カンタータ、チェンバロやヴァイオリン協奏曲、管弦楽組曲(BWV1066~1069)などを提供しました。バッハは自らチェンバロで通奏低音を弾きながら指揮をします。音楽を心底愛好する、演奏レベルの高い若者たちで構成されるコレギウムの指揮をすることは、バッハにとって、とても楽しい時間だったでしょう。

管弦楽組曲 第2番 ロ短調 BWV 1067

演奏時間は約20分。この第2番はフルートが主に活躍し、フルート協奏曲といってよい形式です。
今日ではフルート奏者にとって極めて重要なレパートリーとなっています。


初めてエマニュエル・パユのこちらのコンサートの映像を見て、バッハの曲だと知り、この曲が大好きになりました。
特に遊び心を感じる装飾の連発となる最後の第7曲目「バディヌリ」は、パユならではの演奏です。

ちなみにコーヒーハウスでの演奏会は無料で、あくまでも食事のお客様へのサービスです。食事をしながら音楽を聴くという宮廷の習慣を再現してみせたものでした。こんな曲を演奏してくれるなんて、最高なカフェですよね。大都市ライプツィヒが見本市で沸く時期には演奏会を増やしていたようです。とても賑わっていたのでしょう。


なお、テレマンは、その後も1713年にフランクフルトで、1722年にハンブルクでもコレギウム・ムジクムを創設し、市民の間で音楽鑑賞の習慣がどんどん広まっていきました。


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