祖父『おっちゃん』の二十三回忌
はじめに
今年は、母方の祖父の二十三回忌だと連絡があり
ふと、祖父との少ない思い出が蘇ってきたので
忘れないうちに残しておこうと思います。
今回は、皆さんに有益な情報があるわけではないので
興味がない人はそっと閉じていただければと思います。
もしよければ見て行ってください。
私の祖父
通称:おっちゃん 当時、私はそう呼んでいたようです。
私の祖父である『おっちゃん』は22年前、満69歳で亡くなっています。
心臓の病気だったと記憶しています。
亡くなった当時、私はまだ6歳で小学校にあがる直前でした。
一緒に過ごしたのは約6年と短かったのですが
小さいながら、とても優しかったことを覚えています。
ただ、私の母に聞くと
【少し暗いところで本を読んでいると問答無用で破られた】
【大事なものを出しっぱなしにしていたら、翌日捨てられていた】等
そこそこ破天荒で、所謂、昭和の怖い親父だったのでしょう。
(今そんなことしたら問題になりそうですね、、、、笑)
私に対しては人が変わったように、優しく接しているのをみて
母がよく『おっちゃん』にぐちぐち文句を言っていたのを覚えています。。。笑
都内某所で道路工事関係の会社を経営していた『おっちゃん』は
きっと、もう少し若かった頃は相当怖かったのでしょう。。。笑
思い出(遊園地)
そんな『おっちゃん』との思い出の一つは
【松屋浅草の屋上遊園地】があります。
2010年に閉鎖してしまったのですが
当時はこの松屋浅草の屋上に、小型の遊園地があり
乗り物に乗れたりした時代がありました↓
母に聞くと、幼稚園が休みの日は、必ずと言っていいほど
連れて行ってもらっていたようです。
当時、幼稚園児である私のスポンサーとして(笑)
『おっちゃん』は同行してくれていて
3,4歳だった私は【おっちゃんお金!おっちゃんお金!】と
お金がなくなるたびに、せびっていたようです。
今考えると、子供の自分に説教をしたくなるくらい最低な発言ですが
当時の『おっちゃん』はニコニコ笑いながら【はいよー】と言って
100円玉を無限に私に渡していたようです。
後々、母に話を聞くと
『私の時は、参考書ですらお金出すのをしぶっていたのに・・・』
と母は『おっちゃん』によく文句を言っていたそうです。笑
思い出(ランドセル)
残念ながら、早くに亡くなってしまったので
私が『おっちゃん』と遊んだ記憶は、遊園地ぐらいしかなく
それもかなり薄いです。
もう一つの思い出といえば
自宅でランドセルを背負ってその姿を『おっちゃん』に見せたことです。
入院していた『おっちゃん』が1度祖母の家に帰ってきた時がありました。
今思えば、余命が僅かで『最期を自宅で過ごしたい』という
『おっちゃん』の要望があったのかもしれません。
ただ、5歳で『おっちゃん』に頼めば、100円がもらえて乗り物に乗れる
最高の世界で過ごしていた、世間知らずの幼稚園児であった私は
そんなことはつゆ知らず。
親に言われるがまま、翌年から使うランドセルを背負い
『おっちゃん』と一緒に写真を撮りました。
きっと私の両親は、もう見ることができないかもしれない、孫のランドセル姿を
『おっちゃん』の目に焼き付けてあげたかったのだと思います。
今思うと、私も成長の節目を見せることができてよかったなと思います。
晩年の記憶
『おっちゃん』との思い出はこれくらいしかなく
これ以外に私の記憶に残っているのは晩年の『おっちゃん』の姿です。
母に聞くと、生前の元気な時は【綺麗好き】だったそうなのですが
私の中に、色濃く残っている『おっちゃん』の姿は
『アーガス・フィルチ』なのです。
誰かというと、ハリーポッターに出てくるホグワーツ魔法魔術学校の管理人です。
調べていただければわかるのですが、無精髭と禿げ上がった頭が特徴で
とても【綺麗好き】には見えません。
母にこの話をすると【その時は晩年の晩年でもう亡くなる直前】とのことでした。
心残り
やはり5,6年しか一緒に過ごしておらず、後半は病気だったこともありますが
とても、可愛がってもらっていたんだと実感します。
ただ、欲を言えば、中学、高校、大学入学、就職やピアノの発表会を
見てもらえなかったことが、とても心残りです。
きっと、大した点数をとっていなくても、ピアノの発表会でどれだけミスしようと
【『俺の孫は天才だ!』と近所に言いふらしてたと思うよ】と母は言っています。
そして、今、そんな言葉に支えられて、大学まで卒業し
無事に社会人としてお金を稼ぎながら、音楽を学ぶという
ある程度、自分のやりたいことをやれる、幸せな生活を送ることができています
きっと『おっちゃん』がまだ生きていれば、お小遣いくれたり
楽譜を買ってくれたり、一緒にお酒を飲んだりして
私のことを褒めちぎってくれていることでしょう。笑
もう直接、私の演奏や話を聞いてくれることはないけれど
音楽を通じて『おっちゃん』に私の気持ちを届けられるように
日々、学び、成長したいなと思います。
最後に
ここまで呼んでくれた方、いらっしゃるかな?
ありがとうございます。
皆様にも、お祖父様やご家族がいらっしゃることと思います。
すぐに会える距離にいる人、遠くで暮らしている人
既にお亡くなりになってしまっている人
ここまでの、私の稚拙な文章を呼んで、お祖父様を含めて
ご家族のことを思い出してみてください。連絡してみてください。
直接会うことはできなくても、こんなコロナ禍だからこそ
また改めて家族のありがたみを感じられるかもしれません。
この文章が、みなさまとご家族を繋ぐきっかけになれれば幸いでございます。
(多分『おっちゃん』も喜びます笑)
お付き合いいただきまして、ありがとうございました。
2021年9月25日(土)