
河上徹太郎全集よりモーツァルトについて
しばらくぶりの投稿。
夏に少しお教室のチラシのポスティングをして、その中に、
このnoteのQRコードを載せてしまったので、その後、なんとなく
小っ恥ずかしくなり随分のご無沙汰になってしまった。
暑い暑い夏が過ぎ、今は木枯らしが吹くような季節。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか…
いろいろ書きたいことはあるけれど、遅読、遅筆、遅寝遅起き…
遅いんじゃ。私の全てが……良い風に考えれば、このぶんだと
たぶん大器晩成もずいぶん遅くにくるはず。と
思うことにする。
「遅」という漢字の由来は、旧字体が
「遲」
意味は
足がつかえて前に進めない様子を、歩くのが遅いサイに
たとえているのだとか…
んん(-_- )なんか感覚的に納得
仏教にも犀(サイ)のようにただ一人歩めとあるが
古代インドや古代中国では、サイは特別な動物だったのだろう。
旧字体の漢字一字ならともかく、旧字体が多用され書かれた文章は本当に読みづらい。
だけど、夏目漱石など明治の文豪の作品もいつかは楽しみたいので、
ここらでしっかり旧字体と向き合う秋にしている。
そんな旧字体繋がりから、表題の内容に入るが、昭和の文芸評論家
河上徹太郎の音楽に関する評論集を読みはじめている。
そのはじまりが、モーツァルト(河上氏の文章内ではモオツァルト)
モーツァルトの評論といえば、小林秀雄が有名だが、
その友達であった河上徹太郎を今回は読んでいる。
死ぬということは、モーツァルトが聴けなくなることだと語った偉人も
いるくらい、モーツァルトはクラシック音楽の中でも別格だと、これまで
何度も教わってきた。
しかし、私の中に染み込むように、溶け込むようにモーツァルトの音楽が
入ってきたことは正直一度もなく、音楽においてそのような衝撃、ないし自分と一体になるような感覚は、ヘンデルやショパンやドヴュッシー、プッチーニなど、他の作曲家の作品が多かった。
瞑想や坐禅体験をすればよくわかるが、私は常に
いろいろな心の声がガヤガヤ喋っている。
おそらく私のような雑多な感性で生きている人間には
モーツァルトは遠い。
精神が澄んでいる人ないしは
純粋かつ深淵な世界に普段からいる人
一つのことに没頭している人
天才あるあるの、凡人には到達できない境地ゆえの孤独を感じながら暮らしている人
このような方々は、きっと素直にモーツァルトの音楽を楽しむことができるのではないか、と思う。
では河上徹太郎氏が対峙したモオツァルト
だいぶ心揺さぶられる情報が多い。とりあえず
まだ読み足りていないことも多く、20ページほど読んだところまでを
ほんの少し備忘録的に。
今回、河上徹太郎のモオツァルトの評論を読んで、そこにモオツァルトの生の実像を
知ることが多く、また、取り巻く環境や人、特に父親との関係性、妻との関係性に
ついて、よりリアルに迫ってくる何かと、モオツァルトの天才ゆえの一層の孤独
そのあたりに触れているようで、興味深いところが多かった。
作曲家をかつて生きていた人と捉えられるようになると、音楽の聴き方が変わるのは、すでにJ・Sバッハで体験済みである。よってこれからが楽しみでもある。
話を戻す。
河上氏の評論によると、普段のモオツァルトの自宅での様子を記した当時の話から
なかなか落ち着きのない人であったようだ。
常に、考え事をしながら自宅の部屋を行ったり来たり、何かでリズムをとったり。
つまり、そこにいる人間の誰かというよりも、モオツァルト自身の中の自分と
会話していたのではないかと思う。
また、生涯に父レオポルド以外に、三人の師により多くの影響を受けたとある。
一人目が大バッハの息子、クリスティアン・バッハ
二人目がパパハイドンと言われるヨゼフ・ハイドンの弟、ミハエル・ハイドン
三人目がマンハイム楽派のショーベルト(シューベルトではない)
※ショーベルトはパリの楽壇で名をなした。
彼はクラヴシニストであるが、そのロココ調の優雅さの中に、それだけでなく
当時の器楽曲におよばなかった「詩的」な情操を盛ることに成功したとある。
それが、モオツァルトののちの歌劇に大きな影響を与えたとのこと。
このあたりは、ウィツェワ、サン・フォアの共著からの記述で、最も納得のいく論とのこと。
また、モオツァルトの家によく出入りしていた若い音楽家アンドレ・シャハトナーの
回想録によると、算術を覚えたての少年モオツァルトは、覚え始めるや、数週間はそのことしか頭になかったそうだ。
しかし、またシャハトナーを離れた別の記述では、モオツァルトについて彼は哲学・文学・絵画に殆ど教養も関心も持たなかったと河上氏は書いている。さらに、彼が生きて交渉した人物は、殆ど知的といへる人を含まなかったとある。
ほんとかなあ?
モーツァルト、知れば知るほどおもしろい。
あれほどの膨大な量の手紙を残しながら
掴みどころのない謎も多い。
悲哀もある。
亡くなる時には、妻のコンスタンツェは雪が降っていることを理由に埋葬に同行しなかかったようで、たった一人での天国への旅立ちだった。
また、コンスタンツェが同行しなかったこと、それがもとで、
共同墓地に埋葬されたモーツァルトがどのあたりに
埋葬されたかがわからない所以になっている。
先述したが、バッハのインベンションなどに
向き合わねばならなかった学生の頃、私はどうも苦手でしょうがなかったが、
20歳を過ぎて少ししてから、
バッハの生涯を丁寧に繰り返し教え導いてくださった師匠のおかげで
バッハの音楽が好きになった。
崇高な世界であることはもちろんで、そのことをあらゆるアプローチから
情報を与えてくださったことに深く感謝している。
知ることは、やはり大事である。
よく知識を引き出しに例えるが、引き出しにしまってる知識を
必要な時に、時々開けるという感覚よりも、音楽というのは
もう少し、自分の精神に横たわり血とともに、いつも静かに流れている
精神の川のような気がする。
おそらく私がモーツァルトを今よりもっと理解して、精神や体に
その音楽が染み込み溶け込むには、まだまだ時間がかかりそうだし
なんなら一生わからない世界かも知れないけれど、だけど
モーツァルトは、いつも誰のそばにもいてくれる気もする。
不思議な人である。
※画像お借りしました。ありがとうございます。