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モーツァルト愛

【注意】この文章は超長い(13000字を超えている)ので、できたら読み上げアプリにかけることを推奨します。手順①この記事をスマホの読み上げアプリにコピペする②読み上げさせる③寝転びながら、あるいは雑用をしながら聞く。【注意終わり】

 20世紀前半に相対性理論とは別の人だが音楽学者でモーツァルトなどを研究したアルフレッド・アインシュタインという人がいた。彼は「モーツァルトは子供の時から、作曲によって成熟した感情を表現する能力を持っていた」と主著の中で述べている。モーツァルトは成人してから父親に、もっと世間のことに分別をもって対処するよう注意された時「私は幼い頃から音楽しか知らず、それ以外のことについては無知のまま育ちました。世の中のことを学ぶ機会がほとんどなかったのです。」と返信したぐらいで、音楽以外のことには疎いイメージがある。その彼が子供の頃から成熟した感情を音楽で表現できたというのが本当なら、どうしてそういうことが起こるのかというと、音楽と人のこころがとてもよく似ているもので、前者を学ぶことが後者を学ぶことにもなるとしたら説明がつくということになるのではないか。彼は子供の頃から音楽のことばかり勉強していて、それを通じて人のこころにも通じることができたのだと。

なぜ人は音楽を聴くのか?この問いは根源的というか哲学的というか、神話として答えるしかないような問いだと思うが、これも「音楽はこころとよく似ている」とすればそれがそのまま答えとなる。人のこころを動かす芸術作品は他にもいろいろあるが、絵や映像、文章は説明的にこころに訴えるが、音楽は何の説明もなく直接こころに響くようだ。たとえば男と女が別れ話をしている絵柄なり文章なりがあると、それを見たり読んで「ああ悲しいだろうな」と鑑賞者は思う。しかし音楽はそういう説明は一切なくても「なんかこの音楽は悲しい」「この音楽は楽しい」と直接こころに訴えてくる。
こころにはもともとかたちのようなものはないが、音楽をはじめとする人類の文化がそれをかたちづくってきたと私は考える。音楽は文化によっても時代によってもすごく異なる。我々普通の日本人にはインドの1オクターブに24音ある音楽とか中東の音楽は普通理解できない。同じ日本の音楽でも江戸時代の三味線の音楽とか伊勢神宮とかで演奏されるような音楽は現代の日本人の多くにはエキゾチックに聞こえる。そこまで遡らなくても、50年前ぐらいの流行歌でも意味が分からないものがある。これら理解を絶するような音楽の存在はそのまま我々の理解を絶するようなこころのかたちがこの世界に存在することを意味すると思う。

私は20代の頃からモーツァルトすげえと思っていた。あまり聴きすぎたせいか、ある時は「モーツァルトは神だ」という直感が頭の中を稲妻のように閃いたこともある。年取った今の私はこういう尖ったこころの動きにはクールであるが、人生に何かを期待する年頃には「神の啓示でも来たか?」なんて思ってしまいがちだ。まあそんなことはどうでもいいのだが、モーツァルトは神っぽいものとして扱われがちだと思う。ショルティとか、あと、たしかバーンスタインだったろうか、神の存在を感じたければ教会に行くよりモーツァルトの音楽を聴いたほうがいい、みたいなことを言った。誰かは、もっと具体的に、交響曲41番4楽章の第何小節とかを指して、ここは人間が書いたんじゃなくて神様が書いた、みたいなことが言われる有名な箇所もあるという。それがどの箇所か忘れたが、そういうことは知らなくても、私はこの楽章に精神的に救われたと感じたことがある。モーツァルトとガッツということはイメージとして合わないが、ガッツとかこころの張り、前向きな気持ちを後押ししてほしい時にモーツァルトの音楽が心を支えてくれるという経験を私はたびたびする。どれでもいいのではなく、「このたった一曲」というのがそのつどある。ある時は交響曲38番にガッツをもらう。20代の頃は仕事に出かける前に30分、ベッドに寝転んで、交響曲39番を聴いてから出かける習慣があった。その頃いちばん大事だと思っていた曲で、この曲を最初から最後まで今聴いたのだから、何が起こってもいいや、最悪生きてここに戻って来れなくてもいい、っていう気持ちを整えて、つまり辞世の儀式みたいにこの曲を毎日毎日聴いていたこともあった。今ではこの曲を聴くことは稀になったが。私は今では全然ないが、若い頃は自殺願望があった。苦しいことがあると死のことをすぐ考えたりしたが、ある時は、「フルートとハープの協奏曲」を聴くしかない、と思った。この曲だけが自分の心を救ってくれる、と。全然そういう感じの曲じゃないんだけど、当時、30歳になったかならないかというような時期によく聴いていた曲だった。ちなみにそれが私が自殺のことを考えた最後だったような気もする。

 そのぐらいモーツァルトには熱心だったが、私が興味があるのはオーケストラ曲とピアノ曲ぐらいで、弦楽器などの室内楽はほとんど興味を持つことができなかった。唯一の例外として晩年の傑作クラリネット五重奏曲k.581だけはよく聴いていたが。穏やかで平和な曲だが、当時のモーツァルトは経済的にいちばん苦しくて、この頃書いた知人に借金のお願いをする手紙が今も残されていて、それを読むといたたまれない気持ちになるが、その同時期にこんな天国のような穏やかな曲を書くギャップがすごいみたいなことはよく言われるが、そんな悲惨さを包含するような分厚いニュアンスをこの曲は持っている。当時経済的に追い込まれて苦しい気持ちにあるというのと全然矛盾しないようなような穏やかさ、というのがこの世に存在するのだ。モーツァルトはそういう複雑で重層的で微妙なこころを表現できる人だった。こんな人は他にいないような気がする。

 私は、弦楽四重奏曲などというジャンルはすでに歴史的役割を終えた冴えない存在だと思った。それが、モーツァルトがこのジャンルに20曲以上残したり、その後もなんとなく惰性でベートーヴェンとかブラームスが曲を書いちゃったから、仕方なくこの分野が残ってる、ぐらいに思っていた。私はモーツァルトは神ではないか?と頭の中で閃いたりしたこともあるにも関わらず、弦楽四重奏曲だけは、退屈で、全部同じように聞こえる似たような曲ばかりだと感じていた。モーツァルトの弦楽四重奏曲の中でいちばん有名なのは17番「狩り」というものだというが、冒頭を聴いただけで退屈さの予感しかしない。
 もう何年も前、ふとこの曲を聴き込んでみようと思ったんだと思う。17番を聴いて、14番を聴いて、18番を聴いて、21番を聴いて、どれを聴いても全部同じに聞こえるだけだ。音楽が退屈ならせめていい音がすればいいのだが、私はヴァイオリンの音はオーケストラでたくさんで合奏していればいい音だと思うが、1本だけで弾くとなんだかおじいちゃんの声みたいに冴えない音で嫌いだった。それでもハイドン・セットと言われる6曲の弦楽四重奏曲はモーツァルトが力を入れて書いたというからきっと何か魅力があるんだろうと思って、いちばん有名だという17番を毎日聴くことにした。当時、私はちょうど昼ぐらいに起きる生活をしていた。まず起きてYouTubeで17番をかけ、眠気が去るのを待ち、起き上がり食事をし仕事に出かける。毎日規則正しく同じ時間に17番を聴いていると、さすがに1楽章がこうで2楽章がこうで、という区別がついてくる。2楽章はメロディと拍子が合わない感じがあり、その解消を原動力にして音楽すすんでいくように感じられた。どんなふうに解消しているんだろうとそれを丁寧に聴くうちに、昼のポカポカした日差しのイメージと混ざり合って生まれ故郷に帰ってきたみたいな懐かしい音に聞こえてくる。3楽章は、たしかアインシュタインがモーツァルトの曲の中でもっとも内省的なものの一つと言っていた、深いニュアンスを含む曲だ。モーツァルトの音楽の特徴は、ある曲をある時期に繰り返し聴くとその頃の思い出と深く結びつくということがある。たとえば私は中学の時に交響曲36番リンツをよく聴いていて、それが小澤征爾指揮ドレスデンシュターツカペレの演奏だった。リンツを聴くとその頃の空気までも思い出される感じで、今でも私は自分のこころをいちばんよくあらわす音楽は何かと聞かれればリンツと答えたい。そのぐらい、モーツァルトの曲を繰り返し聴くと自分の思い出やこころと結びついてそれがいつまでも解けない。これは私の場合、流行歌ならよくあるが、クラシック音楽の他の作曲家ではそういうことは起こらない。モーツァルトだけ特別だ。
 そんなふうで17番だけ毎日聴いて、あえて他のクワルテットは聴かないようにしていたが、確かに17番は最初から最後まで聴き込んだ、どの部分をちょっと聞いても「あ、17番だ」と分かるぐらいになった時、他のハイドン・セットを聴いたら区別がついた。ただ区別がついたというだけだが、なぜか私の人生の中で特別の体験という感じがした。夢の中で知り合った人がその日の昼間に実際に訪ねて来たらこんな感じがするだろうというような。
 そうするとモーツァルトの弦楽四重奏曲は今までとは全然違う聞こえ方がしてくる。
 モーツァルトという作曲家のいちばんの転機はハイドン・セットと言われる6曲の弦楽四重奏曲だ。その歴史的経緯は以下の通り。
 1781年にハイドンが「ロシア四重奏曲」という6曲セットの弦楽四重奏曲を発表した。ハイドン49歳の時の作品で、モーツァルトは25歳、死の10年前のことだった。ハイドン自身はこの作品を「全く新しい特別の方法で作曲された」と称した。
 ヤマハのHPでは

ハイドンが、古典主義音楽の中心的な課題ともいうべきソナタ形式と、それを含むソナタという形式を確立したのは、1781年に書いた《ロシア弦楽四重奏》においてであるといわれています。

という評価である。私はこれ以上専門的なことはよく分からない。たとえばモーツァルトの交響曲29番はそれより前の1774年に作曲されたが、1楽章とかちゃんとソナタ形式になっているようなので、その後に書かれた「ロシアセット」でソナタ形式を確立というのは何を意味するのか?とか。ただ、モーツァルトがこれ以前に書いた13番までの弦楽四重奏曲と、ハイドンの「ロシアセット」に強い影響を受けて書いた「ハイドン・セット」と言われる6曲の弦楽四重奏曲(14~19番)とでは、世界が違うというぐらい全然別物である。だからハイドンのロシアセット以前と以後ではモーツァルトは激変した、というのは確かである。これも17番「狩り」を聴きこむ前の私には区別はひょっとしたらついてなかったのかもしれないことだが。他のジャンルの曲ではハイドン・セットの以前と以後では違いがより明確に分かる。交響曲だと35番「ハフナー」までがハイドン・セット以前で、36番「リンツ」が同時期に書かれた。(37番は欠番で)38番「プラハ」と39番、40番、41番「ジュピター」、モーツァルトの最も重量感のある4曲の交響曲がハイドン・セット以降に書かれている。ピアノ協奏曲だと14~19番がハイドン・セットと同時期に書かれていて、20番以降がハイドン・セット以降に書かれている。ピアノ協奏曲は19番までと20番以降に段差があると思う。私にはテクニカルなことは分からないが、食べ物にたとえると、ハイドン・セットはイースト菌の発見ぐらいの劇的な変化をもたらしたと思う。それ以前は小麦粉は、粉にして薄く延ばしてトルティーヤやチャパティみたいにして食べるしかなかった。それなりにおいしいがバリエーションに乏しい。しかしそれ以後はパンみたいにふっくらしてやわらかなものが作れるようになった。

 モーツァルトはこの「ハイドン・セット」6曲を1782年12月から1785年1月まで、2年以上をかけて完成させている。モーツァルトにしては異例の時間のかけ方だ。
 モーツァルトの作品数は断片を含めると900曲を超えると言われるが、まとまった作品のほとんどはケッヘル番号がついているので、その約600曲を対象にしてどの年代にどれだけの量を作曲したかをみると、作曲を始めた5歳から14歳の10年間にK.100までの100曲。15~17の3年間にk.200までの100曲。18~21歳までの4年間にK.300までの100曲。22~24歳までの3年間にk.400までの100曲。20代後半の5年間にk.500までの100曲。30代前半の5年間に残りの100曲強を作曲している。つまりハイドンセットを書いた20代後半以降を円熟期とすると、それまで年に30曲以上のペースで作曲していたものが年に20曲ぐらいにペースダウンしている。これは作品の質や密度の向上、晩年の生活難や自作作品の演奏機会が減ったことなどが原因と考えられるが、ベートーヴェンから始まるロマン派の萌芽(ロマン派の作曲家は古典派以前の作曲家と比べると作品数が激減している)ということもあるかもしれない。

 25歳以降はペースダウンしたとはいえ年間20曲ぐらいのペースで作っている。モーツァルトの代表作である39、40、41番の「三大交響曲」だって1788年の夏に1ヵ月半で書かれているのに。ハイドン・セットは、他の曲を書きながらとはいえ2年ちょっとかかっている。モーツァルトにはこんな時間をかけて書いた作品群は他にないはずだ。この6曲は1785年9月1日に出版されハイドンに献呈された。その献辞には、

 …高名なお方であり私のもっとも親愛なる友人よ、ここにいるのが、私の六人の子供です。これらは、本当に、永く辛い労苦の結実です…どうかこれらを受け取って下さりますよう、そして彼らの父親とも導き手とも友人ともなって下さりますよう。今後私はこの子たちに対する一切の権利をあなたにお譲りするとともに、父親の贔屓目が見逃したかもしれない彼らの欠点を多めに見て下さるよう、そしてそんな欠点にも関わらず、私にとって大変ありがたいあなたの寛大な友情を続けて下さるよう、衷心からお願いいたします。…
 云々とある。これ以上ないというぐらい丁寧でへりくだった文章で、モーツァルトってこんな感じのこと言うんだ、という感じである。
私はクラシック音楽に大した造詣もないが、このハイドンに捧げられた6曲は、元ネタであるハイドンのロシア四重奏曲のレベルを軽く超えちゃってるように思う。なんかハイドンが「全く新しい特別の方法で作曲された」という自信作をいきなり超えちゃってごめんね、という気持ちと、でもこれはあなたのロシア四重奏曲にインスパイアされてそれは尊敬するし感謝してるよ、というような気持ちをこの献辞から感じる。

ハイドンもこの曲を最初に聞いた時、モーツァルトの父レオポルドに最大限の賛辞を述べている。「神の前で、そして誠実な人間として申し上げるが、あなたの息子さんは私が直接でも間接でも知るすべての作曲家の中で最も偉大です。センスはいいし、それ以上に作曲の深い知識を持っています」つまり、あっさり抜かれちゃったな…って認めちゃってると思う。
 ハイドンはハイドンでいいと思う。私はモーツァルトのハイドン・セットが好きになり始めた頃は弦楽四重奏曲ばかり聴いて過ごしていたがその時にハイドンのもよく聴いた。ロシア四重奏曲の1番の4楽章は、あとで触れるかもしれないが、この格好良さはモーツァルトでは出せないなといういい曲で、私がハイドンの曲の中でいちばん好きな楽章だ。モーツァルト(1756-1791)が死んだ後もハイドン(1732-1809)は18年間生きていて、その間にいい弦楽四重奏曲もたくさん作った。ハイドンといえば交響曲作曲家というイメージだが、私はむしろハイドンの本領は弦楽四重奏曲のほうにあると今では思っている。後期の弦楽四重奏曲は、たぶんモーツァルトにひけをとらないという評価ではないかと思う。モーツァルトと違ってパリッと明確でわかりやすいキャラがそれぞれの曲にある。弦楽四重奏曲はモーツァルトよりハイドンのが好きだという人がいても全然おかしくない。でも私は、ハイドンの作品にたましいが救われるという感じは全然しない。

 ハイドン・セットの他の曲については、15番は6曲の中で唯一短調で書かれているが、全楽章ゆっくりめのテンポなところはがっかりする。冒頭のメロディは同じく5度差の音ではじまるハイドンの「五度」というニックネームを持つ76番ニ短調のアレグロのほうが断然かっこいい。モーツァルトはテンポの設定を間違えた。当初はそう思った。最終楽章はやはりゆっくりめのテンポの変奏曲だ。短調、ゆっくりめ、最終楽章、変奏曲というのはブラームスの交響曲4番と同じだ。1楽章の雰囲気も似てるし、3楽章がブラームスの4番はやたら派手なところが違うが、それ以外は両者はよく似てる。似ているけれども雰囲気は違う。ブラームスの4番は劇的でドラマチックで、従って非日常の世界だが、モーツァルトの15番は日常の世界にある。モーツァルトに限っていえば弦楽四重奏曲はどれも日常の世界に属する。ドラマチックではないので、だから我々の日常の悩みに寄り添ってくれるのはモーツァルトの15番のほうだ。我々の悩みの多くは、表面上は何気ない平和な日常が続くが、その下の目立たないところで自分だけに負荷がかかるような形でやってくる悩みが多い。そういう時は15番がいちばん慰めてくれる。

 ハイドン・セットの中でいちばん最後まで冴えないなあと思ったのが18番。6曲の中ではいちばんモチーフが少ない、つまり少ないメロディをいろいろと展開していて、それでいて6曲の中ではいちばん演奏時間が長い。少ないネタを引き延ばして長々と続く音楽のどこがいいのか?と当初は思った。1楽章はやる気のなさそうな感じで始まるし、2楽章も1楽章の始まりとよく似たような感じで、なんだかカマキリが鳴いているような貧相な感じの音楽だ。もっとモチーフをたくさん使えば豊かな響きになるんじゃないか、みたいに思っていた。が、気が付くと6曲の中でというより、なんだったらすべての音楽の中でいちばん好きな曲の一つになってしまった。1楽章と2楽章の印象は当初とあまり変わらないが、そこまで聴いた時に意識の焦点がぴったり合ってくれば3楽章の変奏曲と4楽章のソナタ形式のアレグロは楽しめる。外形的にはすごく違うが、私の中ではショスタコーヴィッチのヴァイオリン協奏曲1番と似ている。1楽章がゆっくりで退屈なところ。2楽章がカマキリを思わせるような貧相な感じで始まるが気が付くとそこそこ盛り上がり、そこまでで心の焦点が合えば3楽章と4楽章がこころと共鳴するところ。
 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の中にはオーケストラで演奏されてさまになるものもあるが、モーツァルトの少なくともこの曲はオーケストラで演奏したら間の抜けたものになる、弦楽四重奏以外の何物でもないという音楽だ。オーケストラの演奏は少なくとも数十人、多ければ100人を超える演奏者が集まって演奏するので、その楽しみ方はお祭りのようであるが、弦楽四重奏曲の楽しみ方は、仲のよい4人が集まってするホームパーティみたいな感じだ。4人がこんなふうに集まって一晩を過ごしたら楽しいだろうなあ、という種類の音楽だ。私がいちばん好きなのは3楽章の変奏曲だが、ベートーヴェンは自分の弦楽四重奏曲を書く前にこの曲の4楽章を自分で手書きで写譜して勉強したという。

 「不協和音」のニックネームを持つ19番だけはわりとシュッとしてわかりやすく、ハイドン・セットの中ではいちばんましだと昔から思っていた。ただ、1楽章冒頭の、古典派の音楽とは思えない変な不協和音の部分は、今も謎だと思うが、発表当時も評判悪かったという。ハイドン・セット自体はすぐに大評判になったというが、19番については、出版社が注文した人に送ったら「冒頭が誤植だらけやんけ!」と送り返されてきたりしたという。サルティという当時のイタリアの作曲家はこの19番の冒頭の不協和音について「野蛮」「忌まわしい」「悲惨」と酷評したという。私は昔はこの冒頭の変な音は、「あの時代によくこういう音を思いついたなあ」と思って感心していたが、上述したように17番ばかり繰り返し聴いていた時にこの19番を聴いたら、普段とは全然違うように聞こえて非常に興味深かった。17番は当時の人の趣味にいちばん合っていたとか、いちばんハイドンっぽいとか言われ、モーツァルトの室内楽をTVなどで紹介する時もこの17番の冒頭が流れることが多かったりもするが、もう一つの特徴として、6曲の中でいちばんシンプルな音がすると思う。テクニカルなことは分からないが、音の響き方がいちばん単純で、当時の人にとっても耳なじみがよく、つまりいちばん保守的というか新鮮味がないというか。YouTubeでそればかり毎日毎日聴いてたので、耳がそれに合ってきちゃったようだし、おすすめの動画も弦楽四重奏曲がたくさん出てきて、ある日、ハイドンの弦楽四重奏曲のライブ演奏の動画がおすすめされたので聴いたら、やたら格好よかった。我々が今ハイドンを聴けば、古くさいということが大前提にあるが、17番ばかり聴いてたせいで、ピカピカに新しい音にきこえ、しかもシュッとして興奮させられた。今考えるとたぶんあれは、上で少し触れたロシア四重奏曲の1番の4楽章だったと思う。
 そんな先祖返りしたような耳で聴く19番は、ジャズのようだった。80~90年代のスティングのようだった。初めて「ラザラス・ハート」を聴いた時の酔うような気持ちを思い出した。
 それまで冒頭の不協和音は曲の本体とは関係なく付いている余分なものだとしか思われなかったが、これにははっきりと意味があると感じた。こういう説は聞いたことがないので私の新説かもしれないが、あんな突拍子のない音は当時の人は聞いたことがないのであそこで耳が一旦馬鹿になるのだ。その変さを10とすると、その後に出てくるちょっとだけ変な音は許容できる。あの不協和音の前奏がなければ受け入れられない変さ5とか6ぐらいの音が、変さ10の前奏を聴いた後だから、ちょっと変だとは思いながらも受け入れられてしまう。それが酔った気分にさせるのだ。人は音楽にただの居心地のよさだけを求めるのではなく、刺激を求めることもある。ちょっとした音程のはずれを、聴衆の半分は拒絶し、半分は歓迎するみたいな。ハイドンの「軍隊」という交響曲がある。2楽章が軍隊の行進を思わせる音楽なのでそう呼ばれていて、当時の人にはそれが非常に刺激的だったらしい。今聴いても我々にはこの音楽のどこが刺激的なのか全然分からない。トルストイがベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ「クロイツェル」を聴いて衝撃を受け、それで「クロイツェル・ソナタ」という小説まで書いたが、今の我々はこの曲を好きになることはあっても、衝撃というほどではない。ドビュッシーやストラヴィンスキーが登場した時も違和感や強い刺激があり、多くの人は拒絶感を持ちながら、その刺激とともにやがて時代に受け入れられていく。1950年代にアメリカで「暴力教室」という映画があり、そのBGMに「ロック・アラウンド・ザ・クロック」という初期のロック音楽がかかり、その音楽に興奮して観客が映画館で暴れ出したという。今の我々がこの曲で興奮するのは不可能である。
 音楽というものが新たな刺激を提供することによって表現の可能性を広げるという性質を持つ以上、音楽はどんどん音程の外れたものになっていく。そうすると昔の人が当時のコンテンポラリー音楽からどんな刺激を受けていたかというのは、後の時代の人には常に不可視になる。しかし、たとえば明るい場所にいた人が急に暗いところに入ったら目が馬鹿になってるからしばらく見えないけど、目が慣れたら暗くても見えてくる。それと同じで、耳もそんなふうに、昔の刺激の少ない音に慣れると、昔の人がどんな音にどんな刺激を感じたかというのを追体験できるということだと思う。これは暗闇で目が慣れるというほど早くは順応できない。数週間ぐらいはかかるだろう。
 少し脱線するが、我々は神さまが必要ない世界に住んでいる。ニーチェが神の死を宣告したのは前々世紀のことだ。伝染病が流行ったりするのも、日食や月食が起こるのも、彗星がとんでくるのも、我々は科学の知識でもって説明するので、そういうところに神さまは必要なくなる。しかしそれは、明るくて目が馬鹿になってるから夜の星が見えなくなったことをもって「星は存在しない」と言っているのと同じではないのか?我々は、いちおう七夕とか言って太陽暦の7月7日に天の川が空にあると言っているけれど、見た人なんてまずいないのではないか。もし見れるとしたら旧暦の七夕、つまり秋になって空気が澄んで、しかも町の灯がほぼないような田舎に行ったらやっとうっすら見れるか見れないかというものである。天の川なんて我々にとっては織姫と彦星の物語と同じく神話で知っているだけだ。もし我々が、夜は電灯とかなくて、音楽もごく素朴なものしかなくて、すべてが中世のような環境に戻ったら、その時はじめて感じることができる何かが必ずあるはずだ。近代以前にはお化けとか超常現象はありふれていた。「遠野物語」やリルケの「マルテの手記」にはそんなものが強烈な説得力とともに出てくる。ついでに神様だって見れるかもしれないじゃないか。光を当てるといろんなものが見えるようになるけれど、逆に見えなくなるものがある。知識についても同じことが言えるのではないか。近代的知識を身に着けたゆえに我々は近代という檻の中に閉じ込められているのではないか。

 モーツァルトの話に戻るが、その頃の作曲家というのは今のように芸術家ではなく職人だった。お皿を作る陶芸家にたとえると、彼はお皿を、芸術品として作ることもできるし、ただの実用品として作ることもできる。デパートに、今度セールをやるので500円で売れる皿を100枚作って、と言われて作るのは実用品のお皿だろう。床の間に「誠」みたいな字を入れて飾っておくような大きなお皿は芸術品だろう。モーツァルトやハイドンの時代は弦楽四重奏曲とか交響曲などを6曲セットで発表していた。こんなことは作曲家が芸術家になったベートーヴェン以降は考えられないことだ。ブラームスが交響曲を6曲セットで発表するのを想像すると笑えてこないだろうか?この人は交響曲1番だけで21年かけて作曲している。ヴィヴァルディは自分が作曲するスピードは楽譜を清書する職人よりも速いと自慢していた。この自慢は芸術家のものではなく職人のものだ。

 私はヴィヴァルディやテレマンを聴きこんだことはないけれど、イメージとしては、曲を、セールで売る皿のように作っていたように思う。モーツァルトも、短い生涯に900曲も作って、どれも同じに聞こえるし、1曲1曲にそんな大した違いはないようにみえるけれども、聴けば聴くほど、どの1曲も唯一無二なんだよね。弦楽四重奏曲でいうと、ある時は22番の2楽章のラルゲットが、世界の中心みたいに感じることもある。同じく22番の3楽章の刻むような心地よいリズムも、他にこんな音楽はないように思うし。よくぞ1曲こんな音楽を作ってくれてありがとうと言いたい気持ちだ。14番の4楽章は後のジュピター交響曲のフィナーレと似ている言われ派手で人気の高い曲だが、2楽章のポツリポツリとしたメヌエットだって、他にこんな曲はないと思う。似た曲としては20番の2楽章があり、両方とも同じ女性のイメージがある。後者は社交界できれいな服を着て踊っているような感じで、前者はその同じ女性が子供の頃におままごとでもして遊んでいるような感じ。
 ある時、頭の中で音楽が流れていた。何の曲だろう?と考えても思い出せない。数日ぐらい考えていたと思う。最初はビゼーの交響曲かなとか。モーツァルトのパリ交響曲かな?とか。両方ともパリに関係ある音楽なのでその周辺の曲を色々聞いたら、けっきょくモーツァルトの交響曲29番の3楽章だった。何気ない曲で、だから今までそんな気にも止まらなかったんだけど、そんなことを経験するとそれが忘れられない特別な曲になる。
 ある作品に「出会う」ということがある。村上春樹のエッセイで読んだが、彼にとってスコット・フィッツジェラルドが特別な存在になった時のことが書いてあった。村上はヘミングウェイが好きで、同時代のアメリカの作家も読んでおこうと思ってフィッツジェラルドを読んだ。特に気にかかることもなく何冊か読み終わって、ある時、「夜はやさし」のある部分のことをふと思い出して本棚から取り出して再び読み返して、その時にフィッツジェラルドに「出会った」という表現を使っていたと思う。小説でも音楽でも、ある作品を読んだり聴いたりすることと、「出会う」ということは違う。
私はモーツァルトの音楽はたくさん聴いたけれど、「出会った」作品はそれほど多くないと思う。せいぜい40か50か60ぐらいのものだと思う。モーツァルトの曲900曲についてすべて「出会う」という経験をするものかどうか知らないが、私の生涯の時間が終わる時までにすべての「出会う」べき作品に出会い切ることはないと思われる。
 作曲家が芸術家になったロマン派以後の作品がモーツァルトの作品と違うのは、ひとつは量の違い。それと、ロマン派以後の作品は、盛り上がり方が、基本非日常を目指してると思う。ベートーヴェンの第9の最終楽章とか、あとなんでもいいけど、ドヴォルザークの8番や9番、チャイコフスキーの5番でも、シューマンのピアノ協奏曲でも、ラフマニノフの協奏曲でも、ショスタコーヴィッチの交響曲でも、むっちゃ盛り上がるが、その盛り上がり方は、人が毎日経験すべきものではないと思う。我々はそういうものに毎日触れることは可能だ。大恋愛小説を毎日とか毎週1冊ずつ読むことは可能だが、実際は我々は大恋愛なんか、生涯に、多い人だって10回もしないだろう。つまり、ロマン派以降の作品というのは、我々の日常とは乖離している。我々はそれを毎日聴いたりしてるけれども。そのちぐはぐさ。
 でもモーツァルトの作品は、ドラマチックなものもあるけれども、基本、日常に属するものだ。ラフマニノフのように英雄的な響きじゃなくて、年に一回のお祭りじゃなくて、仲の良い4人が集まって夕ご飯を食べるみたいな日常に寄り添う音楽だ。しかもそれが特別な存在感を持つ。どの一つも日常に属しながらも唯一無二の存在である。モーツァルトは職人だったかもしれないけれど、まるで芸術作品のように一つ一つを特別なものとして作ることができた。これが私はモーツァルトの資質の中でいちばん驚異的なものだと思う。これが何を意味するかというと、我々の一日一日が特別でありえるということだ。いわばサステナブルな価値を示してくれている。それはロマン派以降のドラマチックな作品には示せない何かで、かといってロマン派以前の職人には基本提供できないもので、つまりモーツァルトだけにしか提供できない何かではないか。
 昔、TVかラジオで聞いた話だが、ある人がダライ・ラマと会う機会があった。その人が「あなたの人生の最高の瞬間っていつ頃でしたか?」と聞いたら"right now."と答えたという。一瞬一瞬が最高だというけれど、私がそれを聞いた時思ったのは、人生は短距離走じゃないから、そう毎日毎日最高、って思えるわけがない、せわしなくて息切れするに決まってるじゃん、と。しかしモーツァルトの作品に触れていると、あんなにたくさんの曲が、モーツァルトが日常的に作り続けていた曲のどれもが個性をもって特別な存在だなあということを思い知ると、そういうこともありえる話だなと思えてしまう。そういうことを手に取るかたちで示した人が、モーツァルト以外にいるのかどうか。私にとってモーツァルトが特別なのはそういうところで、神様の存在とか41番の4楽章のどこかが神様が書いたみたいなのは私には全然ピンときていない。

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