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【雑記】文人お墓参り記と自分のお墓についての一考察

趣味は何かと問われれば、読書、しかない。
楽器演奏も辞めてしまったし、長時間の移動が駄目になってしまったので旅行も苦痛である。

ここで人に言えない趣味を突き詰めて考えると
「文人の墓巡り」
が出没する。文字通り1人で色んな寺社仏閣、霊園を訪れてお墓参りをする。
我ながら気持ちの悪く、暗い趣味だ。

自分の親類のお墓参りにもここ5年は行っていないのに。だって私、そんなに思い入れないし、それ以上にあちらからの私の思い入れはゼロに近い。

それならば私が個人的に思い入れがある文人の墓参りをした方が有意義である。文人サイドは迷惑かもしれない。死んでいるから迷惑は言えない。せいぜい嫌がらせするくらいだろう。
こちらの勝ちである。

大学の時に行った雑司ヶ谷霊園はとにかく広く、文人のお墓を一度に見ることができた。
しかし夏に行ったため、まじでここで行き倒れるのではないかと本気で死を意識した。墓だけに。Google mapはここから脱出する道しるべ教えてくれんし。なんか直射日光やばいし。
みなさん、墓参りに行く時は水分補給必須で。

太宰治の墓参りもちょっと行きづらい。
単純に駅から歩く。あと割と人がいる。
人がいない墓が好きなので。一対一の会話が好きです。
ちなみに太宰治の墓は本人が望んだ事から、斜め前に森鴎外の墓もある!!

その点、こないだ行った澁澤龍彦のお墓は良かった。
西鎌倉のお寺の中にあって、平日に訪れたせいか
まじで人がいない。小鳥の声しかしない。この時点で満点。
個人のお墓群から狭い階段を登って苔むした一角に澁澤龍彦のお墓はあった。
見つけるのにちょっと苦労した。
頼れるGoogle先輩で検索した過去の偉人のブログを見てやっと辿り着いた。ありがとう情報社会。
苔むした場所にある墓っていいですよね、直射日光にあたる墓に入るのはちょっと無理かも知れない。暑いし、私眩しいの苦手だし。

手を合わせると、なんとまあ、私と澁澤龍彦は今物質的には1番近いところにいる、という事実に胸がどくどくする。今この瞬間、私と澁澤龍彦は1番近いところにいるのだ。ごめんね澁澤龍彦。

「私のお墓の前で泣かないでください、そこに私はいません」なんて歌詞があったがそれだと普通に墓参りの意味が半減するのでやめてほしい。
今、この瞬間に、澁澤龍彦の骨と対峙する、究極の握手会である。ちなみにハガシもいない。

私の死後についても自然と考えてしまう。
このまま行くと私はど田舎の夫の実家の裏手にある墓に入る事になるだろう。
えっ、でもでも初対面の人と一緒に同じ墓に入って、ほぼ永遠に一緒にいなきゃいけないの嫌過ぎる。
墓に入ってる先祖だっていきなりよくわからんメンヘラの彼女連れてきたら嫌じゃん。大分話題に困る。

かといって自分の実家の墓なんてもっと嫌である。死んでも人の性格って変わらないよね。
喧嘩する未来しか見えない。それかあの気まずい空気。死んでからも気を使うのはちょっと無理。

永代供養塔もいいけどなあ、人見知りするから知らん人と同じ空間にいるの、嫌だけど。
案外仲良くなったりするんだろうか。いやでもなーそこでハブられたらそれこそ行き場ないしなー
と死んでも人間関係に縛られている未来しか見えない。

そうなると樹木葬か、海に撒かれるか。
個人的に泳げないので海はやめて欲しい。
やっぱり樹木葬かロッカーに骨壷inタイプのお墓がいいんだろうか。悩む。まず生きろ。

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