水野十郎左衛門の墓

人は一代、名は末代

の名台詞でしられるお芝居
「極付幡随院長兵衛」

人入れ稼業を営む侠客、町奴長兵衛と敵対する旗本奴白柄組の頭目
「水野十郎左衛門」

この人の墓が中野の功運寺にあるというのでいってきました。

すみずみまで整備された浄土宗のお寺。
有名どころでいえば吉良上野介義介や林芙美子の墓もあります。
中野の早稲田通り界隈は大正の震災で移転してきたお寺が多く、近くのお寺には河竹黙阿弥の墓も。

案内板に水野家とあるもののおなじ区画に墓石がたくさんあってどれが十郎左衛門かわからない上、石が古くて彫り込まれた文字が判別しにいくい…。
なんとか戒名をたよりに見つけ出しました。
「寂窓院殿一閑宗心居士」とかすかに読める小さな墓。

さてこの十郎左衛門
17世紀、まだ戦国の気風が残る中、世は天下泰平。
金持ちのボンボンがやり場のないエネルギーを奇行でまぎらわすという、この上なく迷惑な人たちのリーダーでした。
無銭飲食、おしがりゆすりなんでもあり。
家柄がいいから誰にも咎められない。

そんな中、身を捨てて敢然とたちむかった男一匹花川戸の幡随院長兵衛

十郎左衛門の屋敷に招かれ、いぜんからの意趣遺恨によって湯殿で騙し討ちにあい、命を落とします。
この件については不問にふされた十郎左衛門でしたが、度重なる無頼狼藉の咎をもって切腹させられてしまいました。

「倫魁不羈」といわれた戦国大名、水野勝成の孫で、実際は本当にめちゃめちゃな人だったそうですが芝居の中では、長兵衛と男の絆を感じつつ、仲間内からの圧力もありやむにやまれず長兵衛を殺す、という側面もあり、完全な悪とも言い切れない部分があります。

長兵衛 百まで生きるも水児で死ぬも、持って生まれたその身の定業
卑怯未練に人手を借りずこなたが初手から呉れろといやァ
名におう天下のお旗本八千石の知行取り
相手にとって不足はねえ
きれいに命をやろうから、度胸のすわったこの胸を
サァすっぱりと突いてこい

水野 もし又血の気の多い奴等が、押して来らば七八人、斬って捨つれば逃ぐるは必定
たとえ何人殺そうとも無礼をしたゆえ斬り捨てたと、いえば済むのが武士の徳
その手始めに某が家重代の首足丸
切れ味鋭き大身槍で、ただ一突きに田楽刺し
時候も丁度木の芽時、茂る樹木に行く道も暗き旅路の十万億土、道を急いで早く行け

とかなんとか、はじめて大衆演劇でみたときは台詞の美しさにシビれ、歌舞伎座でみた仁左衛門ふんする水野は美しく哀しかった。

この次の日に長兵衛の墓にも行ってきたので、また改めてまとめます。

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