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なぜ曲を作っていると本が読めくなるのか
2月の後半から3月の前半にかけて再度アメリカに行ってくる。昨年と同様にフェイ・ウェブスターのUSツアーでオープンニングアクトを務めるmei eharaにバンドメンバーとして同行するのだ。前回は西海岸を北上するツアーだった。今回はアメリカ東部、カナダ東部、そしてアメリカ中西部を周るツアーだ。
ニューヨークのラジオ・シティに始まり、メイン州のポートランド、モントリオール、トロント、コロンバス、クリーヴランド、インディアナポリス、ミルウォーキー、そしてシカゴへと至る行程となっている。トロントとシカゴはそれぞれ2回公演行うので全部で11公演だ。これを15日間で周る。
ニューヨークは死ぬまでに一度は行ってみたいと願っていた場所だ。行けるんだ。実際に。すごい。楽しい。生きていて良かった。音楽をやっていて良かった。
別に音楽をやっていなくても行こうと思えば行けるだろ、という指摘があるかもしれない。たしかにそうだ。しかし、刺激よりも安らぎを求めがちな自分の性格からして、仕事でなければ行かなかったと思われる。さらにいえば、仮に音楽を志さず、リアルジョブだけを食い扶持にしていたとしても、ニューヨークに出張するような職に私が就ける可能性は極めて低い。人生を12周ぐらいすればそのルートを選択できるようになるのかもしれないが、残念ながらこの命は一度限りのものだ。そういう意味でも音楽をやっていて良かったと言わざるを得ない。
2月21日にトリプルファイヤーの単独ライブをやった数日後に出国の予定だ。眠る間もない。これが本当の「ノー・スリープ・ティル・ブルックリン」……と書いてみて、泣きそうになった。あまりのアツさに。
2月21日のキネマ倶楽部の仕込みと新曲に関する作業を夜な夜な進めている。ここでいう作業とは、もっぱらデモ音源の制作を指している。自分で作った料理を自分で食べたときに、いまいちだと感じることはあっても、美味しくて感動することはあまりない。一方、自分で作ったデモ音源を自分で聴くと、美味しいポイントがどこかしらに感じられるから不思議に思う。自分の好きなテイストを盛り込んでいるのから当然といえば当然か。問題はそのテイストが他人の耳にも通用するかどうかである。どうか通用してほしい。
家での作業は楽しい。バンド活動においてもっとも楽しい部分だ。そして、自分が自分でいられる唯一の時間という感じがする。しかし、作業ばかりしていると惨めな気分に襲われる。自分が他にやることがない暇で退屈な人間に思えるからだ。このことは既に何度も述べてきた。
作業ばかりしていることの弊害は他にもある。私は専業ミュージシャンではないので、余暇をやりくりして作業の時間を捻出しなければならない。音楽ライターとしても活動しているから、締め切りを守るためには、そちらにも時間を割く必要がある。そうなると趣味に使える時間はほとんど残らない。
残された時間を使って本を読もうとしても目が滑って内容が頭に入ってこないことは日常茶飯事だ。文中のキーワードから、過去に他人から言われた嫌な一言を思い出してしまい、反芻したまま戻って来れなくなる場面も少なくない。
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