無口な男のアメリカ
Faye Websterの北米ツアーのオープニング・アクトに抜擢されたmei eharaのバンドの一員としてアメリカに渡り、10日間で6公演をこなし、先週の木曜日に無事帰国して1週間が経過した。じわりじわりと日常に順応しつつある。
アメリカ滞在中、ホテルの部屋に戻ると即座にベッドへ体を投げ出し、そのまま寝て朝6時ごろに目を覚ましていた。毎朝5時頃に床に就き、正午に起きるという日本での夜型生活とは真逆である。アメリカで過ごすうちにこの生活リズムが定着し、日本に帰って来ても早寝早起きという人間らしい生活が続いたままだ。もう何年も朝から活動するということをしてこなかったから様子が掴めず、途方に暮れている。
朝8時頃、駅前の松屋で朝定食を食べて家に帰ろうとすると、ちょうど通勤や登校する人々の流れに逆らう格好となり、落伍者のような気分を味わう。切ない。朝から洗濯機を回し、コインランドリーで乾燥機にかけたりしているとなんとなく気持ちが悪い。コインランドリーは深夜に限る。飲食禁止にもかかわらずカップラーメンを食べながらスマホで動画を観ている利用者らしき人物と距離を保ち、読書をしながら乾燥が終わるのを待っていると気分が落ち着く。
アメリカでの10日間は人生でもっともワイルドな10日間だったと言って過言ではない。気がつけば反芻ばかりしているし、早くアメリカに帰りたいとすら考えてしまっている。37歳にしてようやく人生が始まったという実感が湧いた。今後どこかのタイミングでアメリカに移住することがもはや既定路線と化している節もある。
もし仮に今回の滞在がもう少し長くて、たとえば一ヶ月程度だったとしたら、心身ともに限界を迎えてホームシックになっていたかもしれない。そう考えると10日間というのは腹八分目のジャストサイズだったといえる。他方で、長く滞在するうちに環境に慣れ、益々居心地が良くなっていた可能性もある。もしそうなっていたらアメリカを離れるのが苦痛で仕方がなかったに違いない。いずれにせよ、日常の生活に戻らざるを得ないのであれば、やはり10日はちょうど良いサイズだった。そう考えておくことにする。
しかし2024年はなんて濃密な年なのだろう、と思わずにはいられない。クルアンビンのローラ・リーに間接的だとはいえインタビューができたし、7年ぶりにトリプルファイヤーのアルバムをリリースできたし、渋谷クアトロでのレコ発も盛況に終わったし、ギタマガやサンレコにも取材してもらえたし、音楽の仕事でアメリカに行けたし、LAではヴルフペックのライブに行けたし、もはや思い残すところはないと言って差し支えないだろう。
仮に80歳まで生きるとして、この先の43年は2024年を懐かしむだけの人生になってしまってそうな予感がする。それだけトピックに事欠かない一年だった。勢い余って過去形にしてしまったが、2024年はまだ3ヶ月残っているのだった。音楽活動、文筆活動、ダイエット、そして英会話などもりもりやっていく所存だ。
正直な話、自分はもっと英語が使えると思っていた。想像していた以上に聞き取れなかったし、言葉も出てこなかったからショックを受けている。しかし、そのショックで火が着いて、勢いでDMM英会話に入会してみた。ひとまずひと月取り組んでみることにする。初月は半額だし。
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