
信濃町の循環
行ってみたい場所があった。2024年のやりたいことリストにもいれていたのに、交通費が…とか、どうせ行くなら雪の季節に行きたいし…とか、いざクリスマスの足音が近づき雪が降り始めると、この天気で電車やタクシーが動くのかわからないし…とか、言い訳が止めどなく浮かんできて行けなかった。
2024年に達成できなかったその項目をそのまま2025年のやりたいことリストに書き写しながら、今年の年末もそこに行くことなく2026年のやりたいことリストを更新する自分の姿が脳裏にちらついてしまった。その瞬間つくづくそんな自分のことが嫌になって、その施設に電話をかけて予約をした。そうしたらなんだかすごくすっきりして清々しい気持ちになった。東京から新幹線で行けばお金もかかるし、連日の大雪のため立ち往生の心配もあるしと不安材料は山積みのままだが、このままウジウジといつか行きたい…と思いながら過ごすよりはずっといいように思えた。
ここで数万円を使ったからといって、将来、ああ…あの時あそこに行かなければ今日納豆ご飯が食べられたのに…なんて項垂れる日はきっと来ないはずなのだ。焼肉屋で厚切り牛タンを頼むのは我慢しなければならない日が来るかもしれないが、それくらいは未来の私(と夫)に我慢してもらおう。
海外旅行に行ったり飛行機で九州に行ったりはする癖に、それより遥か遠くにあるように感じていたその場所は長野県信濃町にあった。The Sauna。株式会社LAMPが運営するサウナ施設だ。サウナを予約し、雪の季節の平日限定で今年から始まったという最寄りの黒姫駅と施設間の送迎サービスを予約した後は、ひたすらポッドキャストなどでLAMP支配人である野田クラクションべべーさんのインタビューを聞き漁ったりして気持ちを高めていった。
The Saunaは現在五号棟まである大自然の中にあるサウナ施設だ。信濃町にあるLAMP野尻湖ではこのサウナを楽しむこともできれば、サウナの前後にレストランを利用して食事をすることもできるし、宿泊をすることもできる。サウナを趣味にして丸二年になる私の夢は、冬のThe Saunaでサウナ後に雪ダイブをすることと、フィンランドさながらの雪景色の中で焼きたてのソーセージを食べることだった。夫は私ほどサウナに興味があるわけではないが、この特別な体験と思い出を自分一人で消化するのはあまりにももったいない気がして、夫にもついてきてもらうことにした。
東京にいると他の地域の雪事情がいまいちよくわからない。毎年のように数年に一度の寒波が列島を襲い、毎年のように日本のどこかで数年に一度のクラスの大雪が降るため、ネットで調べてみても信濃町の本当の姿がよく見えてこなかった。The Saunaのインスタグラムでも、特に送迎サービスに支障をきたすほど雪が降っているとか、東京からの客が来られなくなっているとかの情報はなかったので、連日の大雪報道で不安はつのったが当日の朝予定どおり新幹線に乗り込んだ。在来線のしなの鉄道も真っ白な視界の中どうにかこうにか動いてくれ、無事時間どおりに黒姫駅に到着した。しなの鉄道に乗りながらずっと窓の外を眺めてソワソワしていたのは我々よそ者で、スマホに目を落としていたのは地元の学校に通う高校生だ。
黒姫駅で待ってくれていたスタッフさんのハイエースに乗り込み、The Saunaまで道なき道(に我々には見えた)を進んで行った。雪は道の両脇にとんでもなく積もっており、雪のない時期の風景が全く想像できない。
「今朝にかけて久しぶりに大雪が降ったんですよ。」スタッフさんが運転しながら教えてくれる。「新雪が積もっているから今日は雪ダイブできますよ!」実はサウナ予約後に、あーもっときちんと調べて一週間後にJRのキュンパスキャンペーンを利用して来るべきだった、などと落ち込んでいた私の気持ちが俄然盛り上がってきた。そうだ、新雪がなければ雪ダイブはできないのだ。中途半端に凍った状態の雪しかなければダイブは危険なのである。私は風邪をひくこともなく今日無事黒姫駅でハイエースに迎えてもらい、夢に見たThe Sauna到着手前まで来ているし、今朝降ったという大雪のおかげで一時間ほど後に待つ雪ダイブも約束された。後は楽しむだけなのである。
サウナの予約時間まで少し時間があったので、LAMPのカフェを利用して待つことにした。朝新幹線でパンを食べてきたものの、とっくにお腹が空いていた。サウナで低血糖で倒れるわけにはいかないので、少し甘みのあるヘーゼルナッツラテを注文する。薪ストーブでメラメラと燃える火を見ながら、本当に来たんだな、と思った。東京から日帰りで行ける距離なのに、ものすごく遠いところまで気がした。

時間になったので、水着を取りに行く。レンタル水着の棚から好きなサイズを選び、更衣室で着替えてから外に出る扉を開け、氷点下の中、夫とこれまたレンタルのポンチョを羽織り、サンダルを履いてサウナに向かった。今回予約していたのは日帰り二時間利用のユクシである。ユクシとはフィンランド語で数字の1の意。ここがThe Saunaの中で一番最初に作られた、全てのはじまりのサウナなのだ。
我々の準備が遅かったのか、定員六名のサウナの中では既に今日二時間ユクシでの時間を共にする四名のお仲間が先に到着して汗をかいていた。出遅れたー、と一瞬思ったが、そのおかげで後々四名の方とはタイミングがずれ、夫婦二人で貸切のようにユクシを利用することができて結果的にはとてもよかった。サウナ室には小窓があり、薪サウナの柔らかく優しい熱にあたためられながら雪景色を眺めるという贅沢な体験に心が躍る。それぞれのサウナにはスタッフさんが専属でついてくれているようで、我々のユクシにもスタッフさんが何度も出入りして、薪を追加でくべてくれたり、サウナストーンにアロマ水をゆっくりかけてロウリュサービスをしてくれたりした。サウナ小屋の前には温かいお茶が用意されていたり、憧れのソーセージが注文できるようになっていたり、とにかく痒いところに手が届くサービスが散りばめられている。
明るく親切なスタッフさんに川の水を引いてきているという水風呂(当日の水温は4度)と、雪ダイブができる新雪の積もった場所を案内してもらった。東京からのこのこやってきた私は長野の雪のことを信じきっていたが、言われてみれば確かに下に何があるかわからない雪にダイブするのは危険だし、少し凍りかけでもしている雪にダイブするのはもっと危険だ。ここなら大丈夫、と太鼓判を押された場所に安心して体重を預けた。「思っている三倍は冷たいですよ!」と言われたとおりの冷たさだった。
不思議なのは水風呂だった。水温4度程度しかない川の水に浸かる瞬間は身がギュッと縮む思いだったが、水から上がってポンチョを羽織ると、全身がじんわり暖かくなった。我々はじんわり暖かくなったまま裸足でサンダルをつっかけて、サウナ小屋の周りの至るところに置かれているインフィニティチェアで横になった。今朝東京からやってきたとは思えない、美しい雪景色が目の前に広がっていて胸がいっぱいになる。もうサウナの話はいいよー、と普段から私のサウナ話に付き合わされてうんざりしている夫も、こんなに雪を見たのは人生で何回もないかも、とサウナ後の雪景色を楽しんでいてホッとした。
サウナ後の最後の休憩の後は、インフィニティーチェアに横たわってぼーっと雪と木々を眺めている我々の元に、簡易テーブルと、先ほど注文した自家製ソーセージ二種、豆乳キノコスープが運ばれてきた。この自然の中で食べるこんがり焼き目のついたソーセージは、言うまでもなく極上の味がした。


株式会社LAMPは、「ぜんぶ自然」をコンセプトに掲げるこのThe Saunaだけでなく、山菜とりやキノコ狩り、野尻湖でのサップなどのアウトドアツアー、宿泊事業などを運営している。スタッフが一番に楽しんで働き、その結果お客さんも喜ぶ、そして町での雇用も生み出し、信濃町全体を活性化させていくという壮大なプラスの循環を作っている真っ最中のようだ。こんなにもサウナ好きの中で有名になり、傍目からは大成功しているように見えるのに、将来的にまだサウナを増やしたり、信濃町の空き家を宿泊施設にして救ったり、などと新しい構想がまだまだあるらしい。
サウナを好きになって丸二年。ずっと夢見ていたThe Saunaは、大人の夢が全て詰まった空間だった。あたたかくて、美味しくて、楽しくて嬉しい、自然に囲まれた空間。2025年にやりたいことのリストから早速鼻高々に「The Saunaに行く!」を消しながら、またいつかここに行くために頑張ろうとひそかに思う。
支配人の野田さんがポッドキャストの番組のインタビューで、LAMPやのThe Saunaは毎日訪れるような施設ではないから、変に安くしてなんとか施設を維持するのではなく、単価をあげてでもいいサービスを提供してお客さんに満足してもらい、従業員にもしっかり給料を出していい循環を作っていければ、というようなことを話していた。その言葉どおり、今回私は結構なお金を使ったのにこんなにも満たされている。
次回The Saunaに向かう時、野尻湖の周りはどんな景色だろうか。雪見サウナも捨てがたいが、緑の木々に囲まれながらソーセージをかじりたい気もするし、サウナ後に野尻湖まで走って行って飛び込んでみたい気もする。そしてLAMPの作り出すプラスの循環の一部に私もなりたい。
その時はぜひまた夫を信濃町まで連れ出して、一緒にLAMPで泊まるのだ。