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【ランニング日記】マンネリ化と戦いながら走る。 【1/24(月)〜1/28(金)】

1/24(月)

今日は朝イチで撮影。8時半には家を出たい。

こういう日も、というかこういう日こそ走るのが、私の中で結構大事なのだ。なんとなく。そんなわけでいつもより早く起きて、6時過ぎ、久々に暗い道を走る。

今日は公園の噴水に氷が張っていない。暖かい日になるのかもしれない。(と、思っていたらめちゃくちゃ寒かった。なんなんだ。)

なんと言っても今日は、余裕で10キロ走ることのできる時間に家を出た。やればできるのである。8キロにしておこうかな…と、思いつつ、10キロを走る。

相変わらず、スピードはあまり出ない。もうこれは仕方ないのかもしれない。シューズのサイズが大きいということもあるかもしれないけれども、まあ、そんなにスピードを求めて走るわけではないので(もちろん目安にはするけれど)、大きな怪我とかがないようであればこれでしばらくは走ってみよう、と思う。(高いしさ…シューズって…)

でもそういえばランニングで「大きな怪我」って、私はしたことがない。そんなに怪我をするほど走っていないということもあるだろうけれども(まあたぶんそうなんだけれども)、それにしたって毎朝毎朝、ろくに(というかほとんどというかまったく)ストレッチもせずに、起きて30分後くらいのさっむい中を急に走り始めて大きな不調がないというのは、なんというかありがたいことではある。もちろん、身体がその生活に馴染んできてくれているというのもあるのだろう。

「走っても怪我しない身体」というのは私が大事にしたいものの一つかもしれない、と、ふと思う。それが私にとっての一つの健康のバロメータみたいになっているかもしれない。でももちろん、なんというか、過信や驕りは禁物である。だいたい、こんなに不完全な精神を持った私の身体である。完全なわけがない。そのあたりは慎重に、走っていかねばならない。

というわけで今日もなんとかかんとか10キロを走り、軽く筋トレをすませて一日がかりの撮影にそなえました。えらい。ほんとうにえらい。体重はまったく減らないけれども。えらいものはえらい。

1/25(火)

また体重が増えている。心当たり?そんなものはありすぎる。仕方ない。なにもかもがおいしい。

それでも、毎日毎日筋トレをしていたら、体型みたいなものはちょっとずつかわってきたなあ、と思う。理想を言えばこうなりたいああなりたいというのは山のようにあって、それはやっぱりあと2キロばかり体重を落とした方がそれに近づくわけだけれど(最後の2キロってほんとうに、遠い。)それはそれとして、同じ体重であればそりゃ今の方がしっかり筋肉がついているな、という実感はまあ、ある。

まっっっっっっっったく変わらなかった太ももとおしりも、1ミリくらいの変化はある、ような、気がする。あくまで気がするだけだけれど。

だからやっぱり毎日地道にでも、少しだけでも、続けていくことっていうのはやっぱり大事なのだ。あまり効率は良くないかもしれないけれど、着実な変化というのはもちろん、積み重ねによってだってうまれる。

だけど同時に、その「理想をいえば」のところまでは、まだまだ、遠い。そこに至るまでには「地道に同じことをコツコツと」だけではやっぱりだめで、たまにはギアを強く入れたり、新しいことに挑戦したり、少しずつ変化させていくこともまた、大切なのだろうと、そう思う。まあ変化させるためにはその土台にあるものが必要なわけで、それをコツコツ毎日積み重ねていくこともまた、大切なのだろうけれど。

そんなわけであまり代わり映えもしないけれども今日も走る。昨日10キロ走ったので、今日は8キロ。昨日は一日中立ち仕事で、くたくたになって帰ってきた。撮影の途中で「これは帰ってごはんを作るのはぜったい無理だぞ」と思い至り、帰りの東京駅でお弁当を買って帰った。これはほんとうにえらかった。しっかり食べて英気を養い、早めに寝ることができた。片付けがないって、うれしい。

それでまあ今朝は早く起きたわけですけれども、ゆっくり洗濯物を片付けたりなんだりで、8キロ。昨日はまったく家事ができなかったので、今日はグリーンたちに水をやるときに、ちょっと剪定もしてととのえようと思う。原稿も…すすめたい。がんばれ私。

1/26(水)

さっっっっっっっっっっっむい。くっっっっっっっっっっっらい。昨日の予報では「東京は雪かも」とのことだったけれど、外は雪が降っている様子はない。天気予報を見てもくもりと晴れマークだ。ただ、それにしても、寒い。

昨日は比較的早く寝たので(火曜日は息子の塾がないので、いろいろスムーズに進む)、今朝は早く目が覚めた。いや、なんなら、3時半に一度起きた。普段は朝までぜったい起きないので、めずらしい。そうしたらもう朝だと勘違いしたねこが「カリカリをよこせ」とすごんでくるのでなだめるのに大変だった。毛布をすっぽりかぶり、攻撃をかわす。

あまりに走りたくなくて、無駄に洗濯物を片付け、むすめを起こし、走りたくないようと泣きつき(迷惑である)、ねこにも泣きつき(無視される)、でも仕方がないので外に出る。するとどうしたことでしょう。外、まだ暗い。

よく見ると、雨が降った形跡がある。どうやら天気が良くないらしい。そりゃ寒いはずである。もう、今日は5キロでも走れば良いということにしよう…

ところがどういうわけか、こういうテンションがやけに低い日に限って、走りはじめのタイムが結構、良い。ようやく新しいシューズが馴染んできたのだろうか。あまりに高機能すぎて、私のような凡人が履きこなすには1ヶ月の時間が必要だったのだろうか。まあともかく、なんだか今日は調子がいい。

仕方がない、8キロちゃんと走るか…と、考えながら走る。しかしよく考えたら今日は、10キロ走っても間に合う(間に合ってしまう)時間に家を出ている。折り返し地点のところで、9キロいくか…いや10キロがんばるか…と、結局10キロを走った。えらい。

途中ちょっとしんどくなったものの、今日は久々にタイムがよかった。いつもよりキロあたり10秒くらい速い。しかしこの10秒という数字、たいしたことないようで、めちゃくちゃたいしたことある。この10秒を縮めるのがどれほど大変かって、私は走らないと絶対にわからなかったと思う。やってみないとわからないこと、知らないことって、ほんとうに山のようにある。10秒が持つ重み、結構知らないものなのだ。いやまあ、その重みを知ったからといって何かが変わるかといえばそうではない気がするけれどもまあ、知るというのは大事なことだ。たぶん。

と、うだうだ考えながらなんとか10キロを走り切る。

さて今日はビジネスホテルにこもって仕事です。久々にペニンシュラにこもって仕事したいところだけれどもとりあえずは現実的に追い込んでいかねばならぬ。で、慌てて準備して外に出たら、めっっっっっっっちゃ寒かった。いつも出かける時に思うけれど、よくまあこんな寒い中走ってるな、私。

1/27(木)

「ねえ家壊れるからやめて・・・・・」と、我が家では私がしょっちゅうこのせりふをつぶやく。どんな激しい戦いが家庭内で行われているんだという話ですが、これはねこに対してつぶやくせりふである。

つまり今朝も、朝の5時からねこ(もうほとんどこねこではない)がどったんばったんがっちゃんばっちゃんと走り回りあらゆるものをなぎ倒し大騒ぎで私を起こしてくれた。眠い。

仕方がないので6時前、体を起こし、寝室のドアをあけてねこを解放する。待ち受けていたおねえちゃんねことなんかもう雪だるまがころがっていくみたいにわちゃわちゃと転がりながら遊んでいる。元気だ。6時なのに。

38歳のニンゲンにはそんな気力はまったくなく、のろのろと準備をする。今日もあまりに寒そうでまったく外に出る気がしない。息子はまだすやすや寝ている。むすめは昨日から楽しみにしていた「バナナトースト」を焼くのに楽しそうである。

なんとか気持ちを奮い立たせ(ほんとうに毎日この繰り返しである)ああ走りたくない、走りたくないけどいってきます…と、外に出る。

昨日はまあまあ走り始めのペースが良かったのに、今日はそうでもない。ようやくシューズに馴染んできたのかと思ったけれど、昨日は気まぐれに調子が良かっただけのようだ。なかなか上がらないペースをApple Watchで確認しながら、凍えそうな道を走る。

昨日あたりから、足の付け根が痛い。筋肉痛のようなかんじ。筋トレはいつもと変わらないものをコツコツこなしているだけなので、やっぱりこれは新シューズで知らず知らずのうちに力が入ってしまっていたのかもしれない。

でも今日は7キロを走ったのだけれど、終わってみればそんなにひどいタイムでもなかった。昨日ほど良くはないけれど、目も当てられない、ということも、ない。これはなんだかんだで、少しずつシューズに馴染んできたということかもなあと、思わなくはない。

来週は一週間家をあけるので、いつもとは違う道を走ることになる。でもここのところ体重が減らなかったりなんだったり、(久々に体型の写真をとってみたらいらないお肉がたいへんよくついていた…)こうあらゆるものが「マンネリ化」してしまっている感じがすごくあったので、ちょっと変化を楽しみながら過ごしてみよう、と、思う。ちょっと食も見直しながらね。

1/28(金)

寒い。走りたくない。心の奥底の奥底から走りたくない。心の奥やら側面やらあらゆるところをのぞきこんで必死で探しても、「走りたい」という気持ちは見当たらない。向かいのホーム、路地裏の角、こんなとこにいるはずもないのに。まあ、知ってたけど。

ほんとうに走りたくなさすぎて、そこそこ早く起きたはずなのだけれど、むすめの制服を探すのを手伝ったり、ああつばくろうの手袋が見当たらない、と探したりしているうちに、どんどんと時間がすぎていく。わざとじゃないのと思うじゃないですか、たぶんわざとです。わざとだよ?って言うサチコと同じです。(わからない人はNANAを読んでください。)

もううだうだ言っているけれどもとにかくほんとうに走りたくないのだ。できれば8キロ走ろうかと起きた時は思っていたけれど、うだうだ考えているうちにそんな時間はなくなり(わざとだよ?)7キロをなんとか走ることにする。

あまりにも走りたくないものだから、走る前はけっこう、世の中のあらゆるものに腹が立っている。いや、今年のテーマは「怒らないこと」だから怒らないようにしたいのだけれど、私はまだ全然修行も足りないので、腹が立つという現象は生じてしまうため、「今イラッとしたな」とか、まずはそれを認識するようにしている。つばくろうの手袋が見当たらないとか、なんでこんなに洗濯物がたまっているんだとか、airPodのケースを開けたらイヤホンがなくて空だったとか、ほんとうにイラっとポイントは朝から山のようにある。

でもそれをなんとかまるっと抱えたまま、外に出る。外は相変わらず寒い。なんでこんなに寒いんだ。冬ってなんなんだ。ここにもイラッとポイントである。

だけどそれを全部抱えて走っていると、まあほんとうに不思議なことに、「そんな怒ってても仕方ないよな」と、思えてくる。洗濯物がたまっているのは洗濯担当の夫が毎日毎日あんな朝早く出て夜遅く帰ってくるから仕方ないし、そうなるとつばくろうの手袋が行方不明になるのも仕方ない。冬の寒さなんてそりゃあどうにかなるもんではない。そしてairPodは、空だと思ったら自分の耳についていた。びっくりするわ。まあ、人生そんなもんなんである。だから怒っている場合ではない。

自分の足で、走ることを日々繰り返していると、どうしてもマンネリも生まれる。「こんなもんでいいでしょ」みたいな、おごりみたいなものが出てきたりもする。「言ってもこんだけやってるんだし…」みたいな甘えみたいなものも見え隠れする。それが、ここ最近の私だなと思う。だけどどれもこれもとにかくすべて、私から生まれたものだ。走るのも、走ることを決めるのも、食べるのも生きるのも、すべて私だから。自分の足で、ちゃんと走っていると、その事実に気づく。そうだよな、自分でなんとかするしかない。ギアを入れるのは、自分しかいない。

そしてその時に大切なのは、自分に期待をしすぎないこと、なのだろうと思う。私は自分のことを信頼はまあしているけれど、信用はしていない。今の自分みたいな、「倦怠期」みたいなものだって生まれる。だからこそ、その中でもとにかく走り続けることで、なんというかそういう自分と向き合っていくしかないのだろう。

ほんっっっっっっっとに走りたくなかったけれど、ともかく走って、あとなんとか筋トレもした。来週は一週間、少しあたたかいところで走る予定。今週もおつかれさまでした!

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虫明 麻衣(Mai Mushiake)
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