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声、だしていこうぜ

「麻雀最強戦」という大会がある。日本全国からプロアマ問わず参加できる歴史ある大会で、他のスポーツの「天皇杯」「皇后杯」に似ている。プロ雀士でもこのタイトルを生涯の目標に掲げる人も多いほどで、対局中はいつにも増して緊張感が画面越しに伝わってくる。

ある若手選手が出場したときのことだった。対局開始早々「ポン」と発声した同選手(他の選手が捨てた牌を自身がもらう行為)。解説席にいたプロ雀士の方がこう言った。

「まずはひとつ声を出していこう、ということですかね。緊張感のある舞台ですし。ここは一度発声することで、対局に入り込もうとしてますね。」

当時まだ雀荘に通っていなかった僕は、画面の前で「へー」「そんなもんかねえ」と漏らすだけだった。ところが、雀荘に通い始めてから、僕はこの選手の心情を痛感することになる。

声が出ないのだ。

いつかの記事にも似たようなことを書いたが、雀卓を囲んだときの緊張感は並大抵のものではない。初めましての3人と半径2m以内に座り、約1時間の対局を共にする。競技に必要な発声以外は許されない。自身の一挙手一投足をつぶさに観察されていると思うと、まるで密室で取り調べを受けている感覚になる(捕まったことはないが)。

そのような空気の中で、本来必要なタイミングで発声できない瞬間を、僕は幾度となく経験してきた。あまり前に出たがらない自身の性格も相まって、たった一音節の言葉が喉につっかえることがよくあった。そんなときは決まって、場の空気にのまれ、本来のスタイルで対局に参加できずに終わる。

身体能力を駆使して競技するスポーツとは違い、波打ったような静寂の中で自身の思考だけを頼りに進行していく麻雀。ただ「声」という観点から切り取ってみると、案外同じ断面図をのぞけるのかもしれない。

試しに、対局が開始してすぐに意図的に発声してみたことがあった。すると、ここが一つの関門だったかのように、その後は他の余計な情報に思考が飛ばず、かなり集中して参加できた。あまり注目を浴びたがらない僕が、自身の利益のためにずいっと前に出ることには相当な価値があるようだ。

やはり、内側にためていたものを外に吐き出す行為は、すっと僕のマインドを楽にしてくれるらしい。

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虫かご
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