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【1】新聞記者・佐倉 | 芽吹き
「イノッチに似てるって言われない?」
初めてかけられた意外な言葉に、佐倉は思いがけず箸を止めた。
「いやぁ、言われたことないですね……。そもそも、有名人に似てるってあまり言われたことないです」
「そっかぁ、笑ったところ似てると思ったんだけどな」
そう言って、目の前に座る滝沢はまた電子タバコを口に運んだ。
ここは「喫茶バルコニー」。東京神田・竹橋に店を構える、老舗の喫茶店である。客が出入りする度に冷たい風が足下を吹き抜ける中、二人は一足早いランチを堪能していた。
今日の日替わりランチ「豚肉の竜田揚げ定食」を一心不乱に頬張るこの男は、佐倉充(さくらみつる)。この物語の主人公である。新卒で入社した広告代理店の営業を3年でやめ、今年から新聞記者として働き出した26歳。
その対面で、電子タバコとコーヒーを交互に口にしているのは、滝沢裕二(たきざわゆうじ)。佐倉の上司かつ、育成担当である。新聞記者人生23年になるベテランだが、同じ量が運ばれてきたはずの「豚肉の竜田揚げ定食」は佐倉よりも速く平らげてしまった。
いまやその数を減らしている喫煙可能な喫茶店で、なおも佐倉はランチをかきこむ。滝沢が「ゆっくりでいいよ」と制する声にも気を止めず、箸を動かし続けるのも無理はない。
この日入社したばかりの佐倉を待っていたのは、座学研修だった。朝9時半からみっちり3時間。学生時代以来の長時間学習に、佐倉の脳みそは早くも悲鳴を上げつつあった。ただ、新聞社で働くことさえ初めての佐倉が積み上げたインプットは、その時間に見合ったものであった。
ひとつの新聞紙面は、多くの役割とそのプロフェッショナルでできあがっている。
まず、佐倉が所属する編集部。足で稼いだ情報を記事にする。
その紙面を校正し、記事の内容を最終決定するのが、デスクと呼ばれる人。記者は、この人たちに手厳しい指摘を受けることもしばしばあるのだとか。
内容が確定した記事を、実際の紙面にレイアウトするのが、制作部。まるでパズルのように、一枚の紙面の中をびっちりと記事で埋めていく作業は圧巻である。
忘れてはならないのが、営業部。紙面に掲載される広告をとってくるのが仕事だ。また、そのスポンサー様から広告料を頂いた上で、同社に関する記事を作成することもある。純粋にジャーナリズムの精神に則り、その記事がもつ影響力を重視する編集部の記者と違い、営業部は金額の大小によって記事の規模が変わるため、両者は対立することも少なくはないらしい。
そのほかにも、電子版の記事を手がける電子部や、図や写真の調整を行う図版部など、それぞれが生み出した産物がかけ合わさることで、新聞は作られている。
このように新聞のいろはを説いてくれる滝沢を、佐倉は多少なりとも信頼していた。相手から情報を引き出す記者生活の賜物か、およそ二回りも年が離れた佐倉への接し方も丁寧だ。本人が少し心配になるほど、気遣ってくれていた。佐倉は、たとえそれが思い違いであっても、期待されていることが嬉しかった。
その日の午後。講師として訪れた電子部の蓮見は、彼の直属の後輩である滝沢について触れ、
「あいつ、記者としてはめちゃくちゃ優秀なんだけど、怒ったらチョー怖いからね。ちょっと気が短いところあるのよ。佐倉君も気をつけてね ♫」
と言い残して去って行った。佐倉は、見えない誰かに背中をバシッとたたかれたような気持ちになった。やはり、自身が勝手に作った型に、他人の性格をはめる行為は危険なようだ。
佐倉の記者生活は、まだはじまったばかりである。
(続)
この物語はフィクションであり、実在の人物や団体とは必ずしも一致しません。
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