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ラスボス
1か月前に適応障害を発症し、休職中の僕だが、少しずつ体調が回復してきたのに伴い「リハビリ」をするようになった。
あえて人ごみの多いカフェで作業してみたり、人と会話する機会を増やしたり。以前のように、周囲の環境や情報の行き来をわずらわしく感じることなく生活できるよう、ある種のトレーニングを課している。
そして、その最終関門ともいえるリハビリが「雀荘」だ。
まだ元気だったころから、趣味で麻雀を打っていたのだが、休職して初めて気が付いたことがある。適応障害など精神的なストレスに悩む人にとって、雀荘は最悪な場所である。精神的な不調をもたらす要素がそろいすぎているのだ。
<空間の開放性>
僕にとって心地よいと感じる空間は、ある程度開けていて、広々とした空間。加えて、川や山など自然の中で過ごすことに、とても安心感を覚える。
一方、雀荘はビルのワンフロアに所狭しと雀卓が並んでいることが多い。実際の対局中も、自分も含めた4人+雀卓が、約2m四方の空間におさまる。
<ともに過ごす人>
(本音を言うと一人でいるのが一番落ち着くが)親密な人であるほど、一緒に過ごして安心感を覚えるのは当たり前だ。
一人で雀荘に行く場合、いわゆる「フリー」という料金体系で対局をすることになる。その日その場所に同じく来店していた「はじめまして」の人と同卓(対戦)するわけだ。しかも、約2m四方の空間内で。心地よいわけがない。
<コミュニケーション>
百歩譲ってその場に居合わせたのが初対面の人だったとしても、ある程度会話することで安心感を覚える側面もあるだろう。
ただ、前述した「フリー」の場合、そのような場面はごくごくまれだ。1半荘(1回の対戦)にかかる時間がおよそ1時間ほど。その間、ルール上必要な発生以外は一言も発さない。というか、マナー的に発してはならない。極度の緊張感に包まれて頭をフル回転させるあの時間は、いつまでたっても生きた心地がしない。
そんなこんなで、リハビリと称して赴いた今日の雀荘も、店から出てきたころにはアタマとココロがへとへとになっていた。
ここまで雀荘のことを悪者扱いしてしまうと誤解を招くかもしれないので、断っておきたいが、僕は麻雀がとてつもなく好きだ。少なからず含まれる「運」という要素に、それぞれが持ち合わせる英知を武器に終わりのない戦いを挑み続けるこの競技に、心底惚れている。長くなりそうなので、麻雀という競技についてはまた改めて書こう。
少しそれたが、この雀荘をラスボスとして、僕のリハビリはまだまだ続く。いつか、少しでも雀荘の環境さえもポジティブにとらえられる瞬間が来るといいのだが……。
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