「利用しにくい人」観 ー鶴田総一郎、倉田公裕、大堀哲
昭和31年(1956)、鶴田総一郎は移動博物館の対象として「文化の恵まれない農山漁村の人々」をあげる。これを「日本向きに解決し、成果をあげている」事例があると書かれているところを見ると、欧米の事例を参照したと思われる。
昭和54年(1979)、『博物館学』で倉田公裕は「博物館利用者」という章を設けて「旧来の博物館的考え方の、来る人だけ来れば良いというたぐいの消極的な考えでは、次第に社会から疎外され、ただ一部の研究者、好事家のために存することになりかねない」と主張する。そして、所得、地域、年齢、性別、職業、知識、動機などから観客の細分化を試みる。さらに、博物館が社会のなかに存在する以上、博物館社会学が必要であり、入館者に対するアンケートでは「博物館に来ない人々、つまりより多くの人々の博物館に対するイメージ、態度、期待を調べることはできない」と述べる。
平成9年(1997)の『博物館学教程』では、大堀哲が「アウトリーチ」の対象として、利用者像を拡大する。「博物館を利用したくても利用できない人や、そもそも博物館を利用するという習慣がないために博物館にやってこない人」を挙げ、海外事例として、1970代頃から積極的に取り組まれるようになった、マイノリティ・グループのための分館の設置を紹介する。また大堀は、交通の便が悪い地域で移動博物館を行う活動は古くからあったが、近年はイベントを「おとり」とした活動へと変化してきていると説明する。これにより「交通の便の悪い人」から「博物館にまったく興味を持たない人や一度も博物館を訪れたことのない人」を対象とすべきだと説く。そして最後に「視覚障害者も博物館の新しい、しかし大切な利用者」であると締めくくる。