博物館機会の平等のために

①博物館で作品や資料、展示を読む行為は身につけるのに時間がかかる。

その子自身が主体的に博物館を楽しめるようになるまでに、必要な「知識」や「技術」の部分をサポートしてくれる人の存在が必要だ。すなわち組織的に行われる「教育活動」としてやらなきゃいけない。個人的にやることや、1回限りのイベントではあまり有効ではないと思う。

②学校以外の評価の場をつくる。

何かを注意深く見たり、それを独自の方法で表現できたり、そこに宿っている考え方を応用させたり、そして、そのことによって他の人が何らかの反応を示してくれた時、徐々に自己肯定感が育まれるだろうと思っている。
圧倒的に語彙や国語力が足りていない子だとしても、「気づく」ことは得意かも知れない。それを人に伝える能力が不足しているだけ。(ここで、対話型鑑賞がその足場がけになることが想定される)
こうした子どもの居場所を考えることができるのは、博物館だけではないと思う。児童館、子ども食堂、公民館、図書館だって考えていると思う。でも、博物館は博物館の武器をもって、子どもたちのサポートができると思う。

パットナムの『われらの子ども-米国における機会格差の拡大-』じゃないけど、上方移動の可能性をつくりたい。生まれや育ちで「損」をしている子たちにも目をむけた活動をしていきたい。

そういうことがきちんとできてから、博物館に行くのは個人の趣味だからとか、好きな人・興味がある人がいけばいいと言えると思うの。

さああああああて、動きてーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーけど、動けないし論文にでもするかぁ。

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