足場かけと発達を促すために必要な人の存在
オリンピックミュージアムにはすてきな映像作品がある。1本あたり、そんなに長い作品ではないものの多くの人が画面にひきこまれている。
一通り最後まで展示をまわったあと、もう一度そこへ戻って映像を見ておられる方があって、その方のおかげで苦手意識を払しょくして楽しむことができた。
私自身には苦手意識があるものの、一緒にいる人の存在や、その人が主体的かどうかは大きい。
先日、スケートに行ってぶざまにコケたのだけど、スタッフの方が見本のようにすべってくださるのを見て、ああすればいいのかと理解できた。足場かけといったりするけど、私だけでは登れないハシゴを上らせることができる。
私自身がその場で主体的に楽しめるようになるまでに、必要な「知識」や「技術」の部分をサポートしてくれる人の存在が大切だと思った。
その回数も必要で、「知識」や「技術」はそんなに簡単に身につけられないことがある。本を読むという行為だって、時間をかけて身につけてきたのだから。作品や資料、展示を読む行為だって、時間がかかる。
さて、どうしたらいいのだろうか。