駒ヶ根の光前寺、でも早太郎じゃなくて守屋貞治の石仏について。そしてリアルゆるきゃん△
長野県と言えば豊かな自然に恵まれた地域ですが、その自然と溶け込むような形で石仏もたくさんあり、寺社の境内はもちろんのこと、路傍などいろいろなところで見ることができます。しかも神仏の種類も多種多様なら造形も伝統的なものからユニークなものまで多種多彩。
車がないとアクセスが難しいところが多いのが玉に瑕ですが…
今回紹介するのは駒ヶ根市の光前寺にある石仏、江戸時代に活躍した「高遠石工」を代表する仏師として知られる守屋貞治(「さだはる」じゃなくて「さだじ」。1765 -1832)の作品です。
「高遠石工」とは現在の長野県伊那市の高遠町出身(かつての高遠藩)の石工たちのこと。高遠は山に囲まれた地域ゆえに農業にあまり向いておらず、生計を立てる手段として石工を選んだ住民たちが各地に出稼ぎに出向いていたそうです。守屋貞治もそんな厳しい環境のなかで石工として生きる術を見出した高遠石工のひとりということになるのでしょう。
駒ヶ根の光前寺と言えばまずなんといっても「霊犬早太郎(別名しっぺい太郎)」の伝説の舞台として全国的に知られていますが(この伝説についてはまた別の機会に)、境内にある守屋貞治作の石仏もじつに素晴らしい。
とくに↓の半跏地蔵像は見事な出来栄え、境内の素晴らしい雰囲気もあいまって時間を忘れて見入ってしまう魅力を備えています。
全体のプロポーションの妙、造形の素晴らしさもさることながら穏やかな顔立ちからは深い精神性をもうかがえる気がします。
さらにこのお寺の見どころにもなっている霊犬早太郎のお墓のすぐ背後(なので見逃されやすい😒)には守屋貞治がその生涯でたったひとつだけ作ったと言われる阿弥陀如来像(彼の恩師の菩提を弔うために作ったものだとか)もあります↓
歴代住職のお墓があるエリアで立ち入ることができないため遠くからの拝観&撮影になってしまうのですが...
さらに本堂の前にはこれも彼が唯一作った石塔とされる「三陀羅尼塔」もあります↓。高さ4メートルほど、四方には小さな四天王像も見られます。
江戸時代の仏像と言えば円空と木喰行道(または妙満)がよく知られています(海外の日本の仏教&仏像好きの間でもそこそこ知られているようです)。膨大な数の木仏を製作した彼等の作品はどれも自由で個性的、現代人からみると「かわいい」と感じる面も持ち合わせているのが特徴ですが、この守屋貞治の作品は保守的というか、伝統的な様式(いわゆる「儀軌」)に忠実な作風となっています。
これは円空&木喰行道が思想家にして芸術家の面を持ち合わせていたのに対して守屋貞治はあくまで職人であり、依頼主の要望に基づいて仏像を作ったから、という立場の違いが大きいのでしょう。
ただだからといって優れた職人芸によって作り上げられた守屋貞治の作品が「芸術的」で「現代的」な魅力を円空&木喰行道に比べて評価や価値が下がる、とは決して言えないでしょう。
この両者の違いはクラシック音楽史上におけるバロック&古典派時代の作品づくりへの姿勢とロマン派時代のそれとの違いにあてはめることもできるのではないでしょうか。
いわば守屋貞治がJSバッハやハイドンなら円空&木喰行道はフランツ・リストやベルリオーズといったところでしょうか。
そんなわけでちょっとクラシック音楽ネタになりますが、いちクラシック音楽のファンとして、わたしはこの守屋貞治~基本に忠実で端正な仕上がり、でもそこには本人の個性もしっかり宿っている~を「仏師界のジョージ・セル」と評したい。
↑の画像はセル&クリーヴランド管弦楽団によるベートーヴェン交響曲全集&序曲集。端正でシャープな音作り、奇をてらわず作品の本質を明確に描き出す姿勢、しかもそこには確かな個性も宿っている。このゴールデンコンビが遺した録音は守屋貞治の作風に通じるところがないでしょうか?
守屋貞治の作品とジョージ・セルが遺した録音はいずれも「真の個性とは単に伝統やルールからの逸脱や否定によってもたらされるわけではない」という重要な真実を示してくれているように思えます。
とくに近年は不謹慎だろうと非常識だろうと話題になった者が得をする「炎上商法」が幅を利かせているだけにこれらの作品は高い価値があるのではないでしょうか。
なお、この光前寺、アニメ/コミックの「ゆるきゃん△」にも登場。作中では境内で「熊とイノシシが出没します」の注意書きの立て看板を見た登場人物(志摩リン)が「え、出んの?境内に?」と驚くシーンがあるのですが↓
わたくしが訪れたときには↓のような注意書きがありまして。境内の一部が熊&サルの出没のため立ち入り禁止。
これを見た瞬間に「リアルゆるキャンモード」に突入、「え、ほんとに出んの?境内に?」となりました😂。
境内の奥にある「賽の河原」というエリアにも守屋貞治作の地蔵菩薩像があるのですが、このような理由で見ることができませんでした。残念無念、また次の機会を期したいと思います。